愛知県碧南市 「あみだくじ」のようにつづら折り 3つの橋を越えて尾張国へ
<国境を越えるためには、3つの橋を越えなくてはならぬ 容易に通過出来ない構造 かつて3つの橋は、あみだくじだった> 三河と尾張の国境に存在する3つの橋、市原橋・境川橋・緒川橋。現在、各橋は共に直線で繋がっており、容易に通過する事が出来る。 だが昔は、中島秋挙句碑のあたりから始まり、3つの橋があみだくじのように、中州に架かっていた。 現在、境川橋のほとりに立つお地蔵さん。かつては道の反対側にあった。『碧海の100年』という写真集にも写っている歴史あるお地蔵さんだ。 異国の地へと旅立つ御先祖たちも手を合わせた事だろう。
<香華なく 手を合わせる人もなく 忘れ去られたお地蔵様 先人の願により刻まれた命 今もただ静かに立つ> 3つの橋、最後の緒川橋を渡りきり、右手に釣り道具屋。その先、ガードレールの切れ目、くるま1台分あるかどうかの幅の道を入る。 用水路を渡る小橋のたもとに、1体のお地蔵様を見つけた。緒川橋は昔、現在の位置よりもう少し北側にあった。 当時の橋の位置から南へ下り、このお地蔵様の前で西に折れるのが大浜街道のルートであった。 異国の地へ上陸した御先祖たちを最初に道案内したお地蔵様である。先人達の願いの表れか、時代に忘れられようとも、頑なに当時と変わらず同じ場所に立っていた。
「堤防の道はどこへ行く」 市原橋を渡っていると右左折していく車を発見。どこへ向かうのかと目で追えば、次の境川橋へ差し掛かる手前という奇妙な位置に、一方通行の標識が見えてきます。 コンクリートで護岸された堤防には、車一台がやっと通れる程という心細い幅の道が北方向へ一直線にのびています。 両脇が川という条件なので、水かさの多い時には、まるで川の水面を通っているような感覚になってきます。 堤防の道は上流にある「境橋」へと続いています。この「境橋」も興味を惹く存在。昭和9年(1934)に架橋された故に欄干には洒落たデザインを用いてあり、架橋当時の時代性を垣間見ることが出来ます。
ガソリンスタンド裏を通り、川沿いの堤防道路を進む。 途中、地元の人に話を伺う。「あーわからんね、このへんの人は皆、比較的新しい時代に越してきたから昔の道のことは…」とのこと。 確かに以前見た明治期の地図では、田園地帯である印が示してあった。 のどかな岡田川の堤防沿いを進んでいくと左手に太鼓橋のように高低差のある橋が現れる。 その橋を渡り、県道50号を横切って、さらに直進を続ければJR武豊線の「緒川駅」へと出る。 さて、ここからどう進めば良いのかと思案。しかし、緒川駅周辺って「昭和の時代そのままだなあ」としばし感慨に耽る。 ■ 第17回 「東浦の入口は昭和の匂い」 へ
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