愛知県碧南市 8月のある一日 お菓子を貰い歩いた頃を思い出す「地蔵祭」

碧南の祭へ行こう!

地蔵祭 (じぞうまつり)

「弥勒菩薩」の現れるまで56億7千万年もの間 私達を助けてくれる存在

すべての扉が開かれた地蔵堂

<8月24日に一体何が起こるのか? 盆も終わり、世間がようやく休みボケから回復した頃にある案内紙がペタペタと。「地蔵祭」、「お地蔵さんまつり」、「地蔵盆」とタイトル付けされた案内紙。当日訪れてみれば、綺麗に着飾り、たくさんの供物を前にお地蔵さんが微笑んでいた> どの貼り紙も、日時・場所・主催者のみ書かれていた。お盆も過ぎた頃に、まちでは”ある貼り紙”が目立つようになってきた。 まるで関係者だけに分かれば良いといった類のものである。「地蔵祭」とは何なのか? 弥勒菩薩が現れるその日まで、無仏という不安な時代に私たちをお守り下さるお地蔵様たち。 そのありがたい存在に感謝する年一度のお祭りが地蔵祭だという。日々真っ暗な御堂の中でポツリと佇むお地蔵様たちも、この日だけは御堂の扉は開かれ、やさしい微笑みを私たちに投げかけてくれるのだ。

いただいたお菓子の数々

<地蔵祭の楽しみといえば、それはお菓子がもらえる事。私は3件のお地蔵様で供物のお菓子を貰うことができた。そういえばすっかり忘れていた記憶。子供の頃に何件もお地蔵さんをまわった事を思い出す。いい大人がこんなにも…。貰った菓子を手に、何だか私は「地蔵ゴロ」みたい> お地蔵様の世話役の方には感謝の意を表したい。こんな大人にも供物の菓子を貰えるなんて思いもしなかった。3件のお地蔵さんで持ちきれない程のお菓子。 まるで子供の頃に戻ったみたいで、素直に嬉しい。「最近、来る子供もおらんくなって…」と、寂しげに語る人がいた。 確かに子供の姿を見たのは、たった1件だけだった。時代の流れとはいえ残念である。 お地蔵様は、「子供を守る」と古くから言い伝えられているのに、最近は街の景観に邪魔だと疎まれる存在らしい。 現代はお地蔵さん受難の時代か…。

ヘボト自画像ヘボトの「踊躍歓喜(ゆやくかんき)」

鷲塚の地蔵様前に集まるご婦人達

「伝統的な地蔵まつり 鷲塚にて」

鷲塚の入口とも云うべき「鷲塚町1」交差点。 明治4年(1871)の「鷲塚騒動」で大浜へ侵攻する暴徒と、大浜陣屋から駆け付けた武装部隊が衝突した場所といわれている。 交差点の片隅には「思多橋地蔵尊」が祀られている。このお地蔵さんは昔「鷲塚の一本松」と共にお初池の畔にあったもの。 名にある「思多橋」とは「下橋」の当て字で、下橋とは油ヶ渕の悪水抜きとして開削された「古堀川」に架橋されていた橋。 8月のある暑い日、その「思多橋地蔵尊」御堂前に異変が起こる。 パイプ製の立方体に日除けの古布がはられたテントらしきものが御堂を包みこんでいるのだ。 風で古布が膨らむたびにゴザと人の足が確認出来る。内部から聞こえる女性の話し声。 古布の間から子供が出てきた。お菓子を胸に抱え、その表情は嬉しさでいっぱい。 今はどこも寂れてしまった「地蔵祭」が、鷲塚では昔と変わりなく営まれている。 昭和5年(1930)発行の「旭村誌」によると、「思多橋地蔵尊」は「冤罪を被り、無念のあまり自害した武士」を弔うために建立されたとある。 今も大切にされる「思多橋地蔵尊」に、鷲塚の人々の心温かさをみる。

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