愛知県碧南市 血気盛んな民衆が従順な氏子へ 畏れられる「大浜熊野大神社」
<古来より不可思議な話の伝わる大浜熊野大神社。仁安3年(1168)に流れ着いた流木が妖しい光を放つ怪奇に始まる歴史。現代においても噂が噂を呼び、血気盛んな大浜の民でさえも従順にさせる。この大浜熊野大神社は、本当に神様の存在を感じさせる場所、畏敬の念を持って訪れる> かつては大浜の最南端、旧字「元本堂」という人里離れた場所にあった大浜熊野大神社。 仁安3年(1168)に流れ着いた流木、夜な夜な妖しい光を放ったという怪異な現象から歴史が始まった。 遙か竜宮より赤い火の玉がやって来るという、民話「竜宮の松」もしかり、権現崎を守っていた「甲斐丸」も、ひょっとしたら別の任務を担っていたのかも知れない。 民話が伝えるように、この大浜熊野大神社とその一帯には不可思議な現象が昔より起こっていたようだ。 現代においても、血気盛んな大浜の民衆でさえ、境内の松林を歩くのを怖がる人がいる。 人のチカラでは到底立ち向かえない何かの存在に呑み込まれるような感覚に襲われるという。 私は、昼なお薄暗い松林のなかを歩いてみた。夜の墓場でも平気の私でも、なぜか訳が分からず足早になっていく。 何が怖いと問われても、言葉として明解に答えられない。何かの存在が私の精神を不安な気持ちにさせるのだ。 視界が開けて拝殿が見えてくると、やっと不安から開放された。 科学盲信に溺れる現代において、未だ神への畏怖を標す地として大浜熊野大神社はある。
大浜熊野神社は昭和の中頃まで海がすぐ近くにあり、境内の何割かの土地は砂浜であった。 碧南の民話「海を渡った手紙・加藤菊女の伝説」の主人公「加藤菊女」が、お百度詣りをして手紙を入れた文箱を流したのが、この大浜熊野大神社西の海岸である。 よほど綺麗な砂浜であったのだろう、今も境内の砂は細かくて砂というより”粉”に近い。 長い年月をかけて堆積した砂は地中深くまで存在しており、植物にとっては根を深く張る事が出来ず、巨大な松などはどうしても自重を支える事が出来なくなって傾いてきてしまう。 また植物だけでなく人間が作った石造物なども横たわってしまうのだ。 これは表面にある層が常に動いている事を意味するでは? つまり、熊野大神社境内は生きているのだ。
< text • photo by heboto >