愛知県碧南市 鷲塚の「遍照院」で発見した「地蔵さまの輪」 新たな結界なのか?
<個性的なお地蔵さんの顔を1つ1つ見ていると、いつのまにかお地蔵様と一緒にグルグルとまわってしまう。終わりがなく無限の輪の中へ。鷲塚・遍照院の「地蔵スパイラル」へようこそ!> 鷲塚「遍照院」の本堂南には面白いお地蔵さん達がいる。歴代住職さんのお墓かと思われる墓石の周りをグルリと一周、お地蔵さん達が囲んでいる。 そのお地蔵さん達、お揃いのお洒落な帽子を被っている。お地蔵さんのみなさんには、一体ずつ番号札が提げられており、また全部違う顔をしている。 だから、一体一体じっくりと見てまわると、自分も衛星のようにグルグルとまわってしまう。端から見れば、お地蔵さん達と椅子取りゲームをしているかのよう。 お地蔵さんと遊んでいるのか?はたまた遊ばされているのか?面白い場所ではある。
鷲塚「遍照院」のトイレをお借りするとビックリする事がある。男子便器上の棚には小さな厨子があるのだ。その扉は開け放たれ、手のひらサイズの 小さな仏さんが座っている。仏さんの後ろには貼り紙で「我が命小便して 南無阿弥陀仏 生かされる ありがたし」 (鷲塚・遍照院トイレの仏さん裏の言葉にて引用・作者不詳)とある。おしっこをしながらその言葉の真意を考えてしまう。 どんなに着飾った人でも、トイレという場所で小便を足すという行為は、その人なりの本性が出てしまうものである。 本来の姿、それこそが自分であり、現世に自分として生きていくことが何よりありがたいという意味なのか。 仏さんにはお賽銭とお水が供えてあった。トイレで仏さんに会うのは生涯これが初めてである。
< text • photo by heboto >