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  小説・映画の舞台を旅しました

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「御坂峠、海抜千三百米。この峠の頂上に
 天下茶屋という、小さい茶店があって、
 井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に
 こもって仕事をして居られる。私は、それを
 知ってここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔に
 ならないようなら、隣室でも借りて、私もしばらく
 そこで仙遊しようと思っていた」
   (富嶽百景より)

   昔の旅写真ですので 近ゞ 旅行される方の参考には なりませんのであしからず

「お客さん!起きて見よ! かん高い声で
 ある朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので
 私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。
 娘さんは、興奮して頬をまっかにしていた。
 だまって空を指さした。見ると、雪。
 はっと思った。富士に雪が降ったのだ。山頂が
 まっしろに、光りかがやいていた。 御坂の富士も
 ばかにできないぞと思った」

         (富嶽百景より)

9  二十四の瞳        1987年公開  松竹           「小説の舞台の旅」 に入れるべきかも

「山は高くも そう深くもない  山のいただきにも ととのって立ちならぶ
   杉の幹の 一本一本が 見上げられるほどである」
  (古都 冒頭より)

粟田口御所 青蓮院の楠

平安神宮2006.1.5

2010.3.20に訪れた 清涼寺と森嘉

2002.11.17の嵯峨野竹林

「古都」に登場する
 豆腐の森嘉

小倉山 常寂光寺        石仏八体

野宮神社

清涼寺

苗子が千重子を迎えに出た 菩提道バス停

清滝川にそう周山街道

まっすぐのびる北山杉

感動のラストシーンのポスター

中仙道 妻籠宿 (2006年)

主人公 エドワードの定宿
リージェント ビバリーウィルシャーホテル

ロンドン地下鉄(チューブ)の
  ワンディチケット



*ジュリアロバーツって日本嫌いという
 噂があるけど本当かな・・・
 2010年8月に初来日とのことです

10  PRETTY  WOMAN   プリティーウーマン   1990年公開   

ビビアンがブランド服を
買いあさった ロデオドライブ

 嫁は 見るだけ〜(泪)

ビバリーヒルズ

管理人の旅行記 「伊豆の旅」

富士には 月見草が
  よく 似合ふ

* ひき続き  映画の舞台の旅 です

     

NO.6 「津軽」は こちらを クリック

「高山寺では、石水院の広縁から、向かいの山の姿をながめるのが
 千重子は好きであった。開祖、明恵上人の樹上坐禅の肖像画も好き
 であった。床の脇に 鳥獣戯画 の絵巻の複製がひろげてあった。
 二人はここの縁で、茶の接待を受けた」 
 (古都より)

川端通り

三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台 歌島 のモデル 伊勢湾 伊良湖水道に浮かぶ 神島を つれあいと訪ねました
はいびすかす 結成の年 1970年は あの 割腹自殺のあった年で 忘れられない年です

神島燈台

八代神社

島内を散策

愛知県渥美半島の伊良湖港から
神島港に渡りました

「富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって
 東西及南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。
 広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である。
 北斎にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。
 けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して
 秀抜の、すらと高い山ではない」 
       (富嶽百景より)

茶屋の向いの山道を登るとすぐ昭和28年10月に
建てられた太宰の碑がある。


その5
 
   島崎藤村   夜明け前       旅した日  1974年10月5日
   2003.年3月21日  2006年4月22日  その他数々

馬籠  妻籠 散策

明治維新前後の 故郷・馬籠が舞台、 主人公の青山半蔵のモデルは藤村の父・島崎正樹  
藤村が生きた時代は 日本がまさに軍国主義国家へとむかう時代だった

下士官集会所(現青山クラブ)      傘を持ってきたかと聞かれたら
                           
「はい」と答えなさい。
                         思わず意味を調べてしまいました(汗)

旅した日  2016年12月27〜28日

堺川の流れと かなたの 灰ケ峰

小春橋の先が蔵本通り

呉 港  すずも高台の自宅から大和を眺めた

戦時下が「日常」だった すずさん

のんびり こうして自由気ままに 旅ができる日常のありがたさを
   あらためて噛みしめながら…

孤高のフォークシンガー高田渡さんの言葉です
   「日常を歌うことこそが とりもなおさず 反戦歌 なのです」

元安橋西詰の 大正屋呉服店(現 レストハウス)

すず がスケッチした 広島県産業奨励館(現 原爆ドーム)

八丁堀の 福屋デパート     爆心地(現 島病院)

海軍病院 前の階段 
(現国立呉医療センター)

2016年11月12日公開

監督・脚本 片淵須直    原作 こうの史代

声 のん  細谷佳正 他    音楽 コトリンゴ

挿入歌   悲しくてやりきれない   隣組   みぎてのうた   たんぽぽ


予告編 クリック




13  この世界の片隅で

第一回 日本アカデミー賞 最優秀作品賞

 監督 山田洋次  
 出演 高倉 健 (島 勇作)  倍賞千恵子 (島 光枝)
     武田鉄矢 (花田欽也) 桃井かおり (小川朱美)  渥美 清 (渡辺係長)




北海道 夕張  旅した日 1990.8.25

帯広駅前駐車場でやくざ風の男(たこ八郎さん)にからまれる  
*渡辺係長(渥美清さん)がいる新得警察署には行けませんでした

勇作が出所した網走刑務所 ここから夕張にむかう
    途中 若い二人と出会う

8  転校生       1982年公開   松竹     男と女が突然 いれ変わってしまった!

挿入曲 G線上のアリア や
 トロイメライのメロディーが 印象深い・・・

8ミリカメラを回し そしてラストシーン
 「さよなら 俺・・」

二十四の瞳 映画村

岬の分教場

監督 ゲイリー マーシャル
出演 ジュリアロバーツ (ビビアンウェード)   リチャード ギア(エドワード ルイス)



LA・ ハリウッドを舞台に 「マイフェアレディー」の現代版 ロマンチックコメディー


ロサンゼルス  ハリウッド    旅した日  2001.9.2


♪ PRETTY  WOMAN  ♪

LAの地下鉄チケット

THE RITZ ホテル リッツ
最後の記者会見場だと
思ったけど・・



12 ROMAN  HOLIDAY  ローマの休日    1953年公開

             名画と観光の定番です

ローマメトロのチケット
メトロ車内で 嫁が子供の集団に
ひったくりにあいそうになったが
ガイドブックの予備知識があったので
無事未遂に…
 

ラストの記者会見が
行われた コロンナ宮

ポポロ広場からスペイン階段
へ抜ける通り この裏通りが
マルグッタ通リ

マルグッタ通り51番
ジョーのアパートは
この辺りか

洛 中

 北山杉の村 中川

*京都関連ページ 新撰組の舞台   フォークソング散歩  そうだ京都行こう
              龍馬ゆかりの旅  路面電車の旅

「千重子は御旅所の前へ行って、蝋燭をもとめ、火をともして神の前にそなえた。
 祭のあいだは 八坂神社の神も 御旅所へ迎えることになっている。御旅所は
 新京極を四条へ出たあたりの南側にある。
 その御旅所で 七度まいりをしているらしい娘を、千重子は見つけた。うしろ姿だが
 一目でそうとわかる。七度まいりというのは、御旅所の神前から いくらか離れて
 行ってはまたもどっておがみ、それを七たびくりかえすのである。 そのあいだ
 知り人に会っても、口をきいてはいけない」 
   (古都より)

その1  川端康成  古 都     旅した日 1970年3月 1971年5月 他

試験休みにポッカリあいた日を利用して 伊豆 旧天城街道を歩いてきました   真冬にもかかわらず好天に恵まれた二日間でした

「湯が野までは河津川の渓谷に
 沿うて三里余りのくだりだった。
 峠を越えてからは、山や空の
 色までが南国らしく感じられた」

    (伊豆の踊子より)

 

その3    三島由紀夫    潮騒        旅した日  1994年11月11日

「歌島は人口千四百、周囲一里にも充たない小島である。
 歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。 一つは島の頂きちかく、
 北西にむかって建てられた 八代神社である。 ここからは、島がその湾口
 に位いしている伊勢海の周辺が隈なく見える。 北には知多半島が迫り
 東から北へ渥美半島が延びている。 西には宇治山田から津の四日市に
 いたる海岸線が隠見している」 
    (潮騒より)

「眺めのもっとも美しいもう一つの場所は、島の東山の
 頂きに近い灯台である。 燈台の立っている断崖の下
 には、伊良湖水道の海流の響きが絶えなかった。
 伊勢海と太平洋をつなぐこの狭窄な海門は、風のある日
 には、いくつもの渦を巻いた。 水道を隔てて、渥美半島の
 端が迫っており、その石の多い荒涼とした波打際に、伊良湖崎
 の小さな無人の燈台が立っていた」
   (潮騒より)

 ・・・新治が目をさますと、目の前には一向に衰えない焔があった。 焔のむこうに、見馴れないおぼろげな形が佇んでいた。 新治は夢ではないかと思った。 白い肌着
 を火に乾かして、一人の裸の少女がうつむいて立っている。肌着をその両手が低いところで支えているので、上半身はすっかり露わである。 
 それがたしかに夢ではないとわかると、ちょっとした狡智がはたらいて、新治はなお眠ったふりをしたまま薄目をあいていようと考えた。しかし 身じろぎひとつしないで
 見ているには、初江の体はあまりに美しかった。
       中略

 「初江!」  と若者が叫んだ。  「その火を飛び越して来い。その火を飛び越して来たら」  少女は息せいてはいるが、清らかな弾んだ声で言った。裸の若者は躊躇しなかった。
 爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火のなかへまっしぐらに飛び込んだ。
  
            (潮騒より)
 

天下茶屋

御坂峠から秀麗富士を望む

滞在当初の太宰は 富士のことを次のように書いている

「私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、
 風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文通りの
 景色で、私は、恥ずかしくてならなかった」

               (富嶽百景より)

山中 恒 「おれがあいつで あいつがおれで」 の映画化

監督 大林宣彦
出演 尾美としのり(斉藤一夫)  小林聡美(斉藤一美)  佐藤 允  樹木希林  宍戸 錠





尾道 三部作の最初の作品      旅した日  1972.2.11 & 1999.11.13

高尾 神護寺

網走 ・ 帯広  旅した日2000.5.13・14

監督 ロジャーミッシェル
出演 ジュリアロバーツ (アナスコット)
    ヒューグラント (ウイリアム タッカー)


ロンドン西部 ノッティングヒルを舞台にしたラブストーリー




ロンドン ノッティングヒル    旅した日 2002年9月4日

三 尾

平安神宮は時代祭でも知られているが
 今の京に千年あまり前、都をさだめられた
 桓武天皇を慕って、明治二十八年に建てられた
 のだから、社殿はそう古くない。 中略
 千重子は神苑の入口を入るなり 咲き満ちた
 紅しだれ桜の花の色が 胸の底にまで咲き満ちて
 ああ、今年も京の春にあった。 と立ちつくして
 ながめた」 
   (古都より)

1   古 都 2 伊豆の踊子 3  潮 騒 4 富嶽百景 5 夜明け前
6   津 軽 7 幸福の黄色いハンカ 8  転校生 9 二十四の瞳 10 プリティウーマン
11 ノッティングヒルの恋 12 ローマの休日 13 この世界の片隅で 新選組の舞台 エレキの若大将

             太宰さんに シャッターをお願いしなかったので
             つれあいと二人 ちゃんと写っています


「・・・ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして
 富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ。
     中略
 ・・・富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから
 三分の一ほど顔を出している。酸漿(ほおずき)に似ていた」
  (富嶽百景より)

「里の路に出ると、父のかくれている尼寺は、竹林にかくれてしまった。
 千重子は仇野の念仏寺に参るつもりで、その古びた石段を、左手の崖に
 二体の石仏のあるあたりまでのぼったが 上の方に、やかましい人声が
 あるので立ちどまった。
 いく百とも知れぬ、朽ちた石塔の群れは、無縁仏とか言われる。このごろでは、
 ふしぎな薄物を着せた女を 小さい石塔の群落のなかに立たせて、写真の
 撮影会があったりもするようになった。今日もそんなことであろうか。千重子は
 石仏の前から、石段をおりてしまった」 
  (古都より)

 「道が つずら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、 雨足が杉の密林を白く染めながら
  すさまじい早さで麓から私を追って来た。
  私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。
  一人 伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、
  そして高下駄で天城を登ってきたのだった。重なりあった山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも
  私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに 大粒の雨が私を打ち始めた。
  折れ曲がった急な坂道を駆け登った。 ようやく峠の北口の茶屋に辿りついて ほっとすると同時に
  私は その入口で立ちすくんでしまった。 あまりに期待がみごとに的中したからである。
  そこで 旅芸人の一行が休んでいたのだ」
    (伊豆の踊子より)

湯が野温泉福田屋旅館

   浄蓮の滝
その後 踊子像や記念碑
が設置されたみたいです

「仄暗い湯殿の奥から、突然、裸の女が走り出して来たかと
 思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな格好で立ち
 両手をいっぱいに伸ばして何か叫んでいる。手拭いもない
 まっ裸だ。 それが踊子だった。 若桐のように足のよく伸びた
 白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、 ほうっと 深い息を
 吐いてから、ことこと 笑った。 子供なんだ。 私たちを見つけた
 喜びでまっ裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先で背一ぱいに
 伸び上がるほどに子供なんだ。 私は朗らかな喜びで ことこと
 笑い続けた。 頭が拭われたように澄んで来た。 微笑がいつまでも
 とまらなかった」 
   (伊豆の踊子より)

 

下田 港

「若者は山頂へ登った。ここは歌島の最も高いところである。
   中略
やがて松林の砂地のかなたに、三階建の鉄筋コンクリートの
観的哨が見えだした。この白い廃墟は、周囲の人気のない自然の
静寂の中に妖しく見えた」
   (潮騒より)

潮騒 のクライマックスの舞台 観的哨跡

その4    太宰 治   富嶽百景       旅した日  2002年12月14日

「木曽路はすべて山の中である。 あるところは岨づたいにいく崖の道であり、あるところは
   数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の崖をめぐる谷の入口である。
   一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。

   東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、木曽十一宿はこの街道に沿うて、二十二里余に
   わたる長い渓谷の間に散在していた。道路の位置も幾度か改まったもので、古道はいつの
   間にか深い山間に埋もれた。名高い桟も蔦のかずらを頼みにしたような危い場処では
   なくなって、徳川時代の末には既に渡ることの出来る橋であった。新規に新規にと出来た
   道はだんだん谷の下の方の位置へと降って来た。道の狭いところには、木を伐って並べ
   籐づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間に この木曽路に起って来た変化は
   いくらかずつでも嶮岨な山坂の多いところを歩きよくした。
   そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫が旅行を困難にする。その度に旅人は
   最寄り最寄りの宿場に逗留して、道路の開通を待つこともめずらしくない。」


                           
                 島崎藤村「夜明け前」

当時のハリウッドの状況  真の脚本家トランボのこと HOLLYWOOD 10  のこと
ウィリアムワイラーが この映画全編イタリアローマで撮影したこと・・・  も知っておきたい

最後のシーンの 「信頼 が裏切られることはないでしょう」 という台詞は意味深い
  ラストシーン

この映画のタイトルが 「Holiday in Rome」 ではなく 「Roman Holiday」 なのも興味深い

想い出ひろば

宿泊は映画の都 こだわりの老舗 ハリウッド ルーズベルトホテル

お馴染み ハリウッドサイン

広島県 呉市


その6
  太宰 治
 
  津 軽     

懐かしい 映画 の舞台の旅    一番の思い出の映画は 何と云っても 「エレキの若大将」   これは別欄に紹介してありますので ご覧ください

「時をかける少女」に登場する
   タイル小路

林芙美子 文学碑

暗夜行路の
志賀直哉旧居

千光寺公園 放浪記碑

1987年版
監督 朝間義隆     原作 壷井 栄
出演 田中裕子(大石久子)  紺野美沙子(マスノ)  高木美保(松江)
    野沢直子(早苗)  川野太郎(磯吉)  音無真喜子(ミサ子)
    坂田 明(男先生)  武田鉄矢(大石正吉)


小豆島 を舞台に 反戦のメッセージを女教師と12人の教え子のふれあいの中に描いた作品
       
 旅した日 1992.3.15

11 NOTTING  HILL   ノッティングヒルの恋人    1999年公開

この映画で一躍脚光をあびた PortbelloMarket ポートペローマーケット
   映画はこの街の紹介から始まる

監督 ウィリアム ワイラー
出演 オードリーヘプバーン(アン王女)
    グレゴリーペック(ジョーブラッドリー)
    エディーアルバート(アービング)





ローマ市内 観光名所めぐり映画といっても過言ではないでしょう
            旅した日  2004年7月5日〜

サンタマリアイン コスメディン教会
         真実の口

スペイン階段

「踊子は十七くらいに見えた。私にはわからない古風の
 不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の
 凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和して
 いた。 髪を豊かに誇張して描いた稗史的な娘の絵姿
 のような感じだった」 
   (伊豆の踊子より)

川端康成文学館   大阪府茨木市   2007年10月19日

太宰は昭和13年9月13日から11月15日までの約2ヶ月間、御坂峠の天下茶屋に滞在して、初長編小説「火の鳥」の執筆を
行ったが、未完におわるも 滞在中の体験をもとにした 富嶽百景 を発表する

この短編は 私が高校の二年生の時の 現代国語の教科書にのっており 「放屁なされた」という言葉が変に心に残っている

槙尾 西明寺

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  現在は階段でジェラードを
  食べるのは禁止されていました

すり寄って来るミサンガ売りに要注意!

友人が大学生活を京都で送る事になり その影響で頻繁に京都を訪れる機会に恵まれ
高校時代に読んだ 「古都」の舞台を歩きまわりました。

「古都」新潮社  古都・京都を舞台に 生き別れた双子の姉妹の数奇な運命を描いた物語。
 この小説は 同時に京都の四季を趣深く描写しており 京都の名所案内?にも役立ちました。

                         「乗船場に近づくと、海際にうずくまっている踊子の姿が私の胸に飛び込んだ。
                          傍に行くまで彼女はじっとしていた。 黙って頭を下げた。 昨夜のままの化粧が
                          私をいっそう感情的にした。眦の紅が怒っているかのような顔に幼い凛々しさを与えていた。

はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。
私が縄梯子につかまろうとして振りかえった時、踊子は さよならを言おうとしたが
それもよして、もう一ぺん ただうなづいて見せた。 はしけが帰っていった。栄吉は
さっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。 ずっと遠ざかってから
踊子が白いものを振り始めた。

     船室のランプが消えてしまった。船に積んだ生魚と潮の匂いが強くなった。 まっ暗ななかで少年の体温に温もりながら、私は涙を出まかせにしていた。
     頭が澄んだ水になってしまっていて、それが ぽろぽろ零れ、 その後には何も残らないような甘い快さだった」 
    (伊豆の踊子より)

旧天城トンネル

尾道の海

     御袖天満宮の石段
一美と一夫が転がり落ちた最も重要なシーン

おまけ  広島といえば 拓郎さん
      彼が大学時代アルバイトをしていて
      就職も決まっていたという 紙屋町の
      KAWAI楽器

         旅した日  2016年12月27〜28日



*路面電車の走る街(広島) →クリック

  サンタンジェロ城
たまたま閉館日で残念!

トレビの泉

「清滝川の岸に急な山が迫って来る。やがて美しい杉林がながめられる。
 じつに真直にそろって立った杉で、人の心こめた手入れが一目でわかる。
 銘木の北山丸太は、この村でしか出来ない」
   (古都より)

血につながる ふるさと
     心につながる ふるさと

三ツ蔵(旧澤原家住宅) 主人公 すずが呉市街へ出かける度に何度も登場する 印象的な三棟の蔵

                           呉駅から 広電バス32番右回りで東中央4丁目下車 すぐ
                           北條家は ここから辰山へむかう途中 長之木あたりの設定と思われる

セット内の様子

1971.7.17祇園祭見物         新京極から四条通に
                       出た所にある 祇園社御旅所

                       (1970.3.17撮影)

女滝 男滝

中山道を歩きました

馬籠峠                  

おまけ   足寄駅に併設された 松山千春ギャラリー

TRAVER  BOOKSHOP
タッカー(ヒューグラント)が経営する
万年赤字の旅行書専門店へ 
アナスコット(ジュリアロバーツ)が
訪れるところから物語が始まる

   ロケ地マップ
呉駅から大和ミュージアムにむかう途中の
観光情報プラザで配布されています

青山クラブから医療センターに続く
入船山公園横の気持ちの良い坂道

7  幸福の黄色いハンカチ     1977年公開 松竹

バルベリーニ宮  アン王女の宿泊建物
この門からローマの街に抜け出した

 サンタンジェロ橋たもとの
 テベレ川畔の船着場

ここで王女は大立ち回りを演じる

洛西 嵯峨野

茶房こもん

ウォーク オブ フェイム

栂尾  高山寺

(撮影日 1970年3月17日 他)

化野 念仏寺

向井去来ゆかりの 落柿舎

二尊院

祇王寺

藤村の初恋の人 おゆふさんの嫁ぎ先 妻籠脇本陣跡 奥谷郷土館             南木曽駅

藤村の生家 馬籠 藤村記念館


その2  川端康成   伊豆の踊子      旅した日  1971年2月6日〜7日

   葵まつり見物

軍都 呉の顔  大和ミュージアム と てつのくじら館

広島市

光明寺下の陸橋
小林聡美が自転車で一気に
走りあがった

 外国映画 も

 SHE  

紫野 大徳寺 大仙院
   庫裏の入口に 「何妨」 の額   何ゾ妨ゲン
   来るものは喜んで迎え 去るものを喜んで送る

    1971.5.15

「お父さん、あのへんをお歩きやすなら、青蓮院のとこを、ちょっとだけ
 通っていただけしまへんやろか。 と、千重子は車の中で頼んだ。
 ほんの入口の前だけ・・・。 楠やな 楠が見たいのやろ。 そうやの。
 千重子は、父の察しのいいのにおどろいた。 楠だす。 いこいこ。と
 太吉郎は言った。 お父さんもな、若いときに、あの楠の大木の木かげで
 友だちと、いろんなことを話したもんやった。   その友だちは、もう
 だあれも京都にいやへんけど」 
   (古都より)

「高雄の神護寺、槙尾の西明寺 栂尾の高山寺の もみじの青葉も
 千重子と真砂子はここまで来れば、やはり見てゆくことになった。
神護寺も高山寺も、急なのぼりである」 
 (古都より)

この頃、嵐山から奥嵯峨野を歩いてまわったんだけど
本当に行っておいて良かった。 その後現在まで数回
嵯峨野あたりを訪れているけど 観光客が溢れ当時の
面影が薄れてしまっているのは いたしかたないか・・

「源氏物語 にもあるが、伊勢神宮につかえる斎宮がここに三年、清浄無垢の身を
 こもって契斎した官居のあとという。皮のついたままの黒木の鳥居、そして小柴垣で
 知られている。 その野々宮の前から、野道を行くと、ひろびろとひらけて嵐山である。
 千重子は渡月橋の手前、岸の松並木から、バスに乗った」 
  (古都より)