2013年5月31日、名古屋国際空港よりNH338便で、成田空港へ飛び、そこより、NH201便で、ロンドン、ヒースロー空港へ、約12時間半の空の旅になった。

今回の最大の渡英目的は、娘の出産の手伝いであった。約20日前にイギリスに入国し、3ヶ月間の長期滞在であった。

6月18日、13時45分に娘は病院で無事に3,580gの男子を出産した。名前はJohn Cecil Teru Dayと命名した。6月20日には病院を退院し、自宅育児が開始されたが、6月23日、看護師が定期健診に来た時、Johnの体重が思いも外に減少したことと、黄疸が出てきたことから、再度入院することになった。黄疸は軽く、すぐ治療は終了したが、体重の減少を懸念して、病院でミルクの強制供給を兼ねて、体力増強に力を入れた。

6月29日、Johnは体重も増加し、元気になったので、退院して、家に帰ってきた。それ以後は、母乳とミルクで、日に日に体重が増加し、元気になっていった。表情も日に日に変わり、笑うようになってきた。
Johnのため、ベッドの廃材を利用して、おもちゃ箱 及び クリスマスツリーを製作し、記念に彫刻をした。


イギリス滞在中、娘の出産前,及び出産後、二人の身体が安定してから、近くのドライブ、イギリス旅行をした。又、私達夫婦でフランス 及び ベルギーへの旅行もしてきた。

孫息子、Johnの順調な成長を確認し、安心して、9月1日、NH−202便でヒースロー空港を離陸し、成田空港経由、NH−337便で中部国際空港に到着した。

これは、このその後、日本に来たときの思い出を含むジョンの記録である。

2013年5月31日

NH201便で、ロンドン、ヒースロー空港へ、約12時間半の空の旅になった。写真は我々が乗るボーイング777の飛行機です。

搭乗口で、突然呼び出され、空港会社よりエコノミーより一階級上のプレミアム エコノミーに変更が告げられ、席も広く,ゆっくりした空の旅となった。

理由はともかく我々にとっては幸運であった。
ヒースロー空港に到着後、Gregが空港まで迎えに来てくれた。昨年は娘も一緒であったが、今年は身重の娘は家で待っていてくれた。

約1時間のイギリスのドライブで、Stavenageの娘夫婦の家に着いた。
娘も出産まで20日を切り、大きなお腹で動いていた。これは我々が、彼らの家に到着直後の自宅前での写真である。
2013年6月5日


千恵子が身重にも関わらず、近いところにドライブに出かけた。最初に隣町のWelwyh Garden Cityに買い物に行き、帰りに、菜の花畑の見学をした。今年は気候が不順で、約1ヶ月遅れていると言う。
2013年6月8日


4人でロンドンに行った。私とGregは大英博物館に行き、母さんと千恵子は買い物に行った。その後、ロンドンの中華街で落ち合い、中華料理を食べた。
大英博物館の像が建っていろ場所でGregの記念写真を撮った。
同じ像の前で、私も記念写真を撮った。
大英博物館には日本の兜と刀が展示されていた。
ロンドンの中華街で4人が落ち合い、散策をした。
写真の後ろの中華料理店で昼食を取り、その前で記念写真を撮った。
2013年6月13日


ロンドンに住むアンドルさんの招待で、彼女の家を訪問した。お茶を頂いてから、昨年逝去したアンドルさんの息子、ロバートの墓参りに行った。
この墓地に、ロバートが眠っている。彼女は若くして逝去した自分の息子のところにいつも来ていると言う。この日も彼女は目に涙を浮かべていた。
ロバートの墓をお参りしてから、アンドルさんの家に帰り、素晴らしいイギリス料理の昼食を頂いた。
帰りにアンドルさんの自宅前で記念写真を撮った。
2013年6月16日


父の日で、千恵子とGregが祝ってくれた。場所はLatchworth Garden city のLetchworth Hall hotelで入口での二人の記念写真である。 
このホテルのレストランで美味しい食事を4人で取った。至福の時間であった。
2013年6月18日


遂に、千恵子の出産の日が来た。この写真は総合病院で、その入口である。 朝早く4人で病院に行ったが、千恵子の帝王切開は一番最後になり、この病院で12時間以上待って、やっと孫息子に会うことが出来た。

千恵子の身体の安全お為、千恵子とGregは帝王切開を選択した。
日本でも同じように、夫は分娩室の入室が許可され、Gregも分娩に立会い、3.58kgの元気な生まれたての息子を抱え込むように喜ぶGregであった。

この子は私達の始めての孫息子である。名前は後でつけたが、John Cecil Teru Day と命名した。
千恵子の妊娠から主治医であったアタラ先生さん(Atalla)が、執刀し、出産後も気を配り、経過と診断に駆けつけてくれた。
千恵子の出産直後のGreg、主治医アタラ先生と一緒に記念撮影をした。
病院で12時間以上も待ち、やっと病室で面会出来たときの記念写真である。、
ジョンを間に、夫婦で喜ぶ千恵子とGregの記念写真である。
この病院で働いているGregの姉さん、XXXXさんが、見舞いに来てくれた。
2013年6月20日


ジョンは生まれてから3日目に退院して、自宅に来た。Gregが、チャイルドシートの上部を外して、ジョンはその中に寝たままで、自分の家の第一歩を踏んだ。
自宅に帰ってきたジョンを抱いて喜ぶお母さんの記念写真である。
当日はロンドンに住むアンドルさんが病院に駆けつけて頂け、ジョンと一緒に家に来て頂けた。
2013年6月21日


翌日、隣に住むおばさん、XXXさんが、ジョンを見に来てくれた。その時の記念写真である。
自宅でジョンと千恵子の生活が始まった。
2013年6月23日

看護師の定期的な検診の結果、ジョンの体重に異常が見つかり、直ぐに病院に行き診断した。

結果、黄疸が少し出ていたことから、再度入院となった。

黄疸は2回ほど、治療したが、数値が良くなったので取りやめ、ジョンの栄養強化を重点的に治療した。
ジョンへの体重が上向き始め、ミルク強制補給も終え千恵子の母乳とミルクの併用授乳で、良くなった。この写真は、Gregの姉さんがジョンにミルクを与えている記念写真である。、
Gregを含めて、私達は毎日、病院に通い、ジョンの状態を見に行った。日に日に元気になり、体重も増えていくジョンを抱く小生である。

1週間入院し、6月29日に退院した。
2013年6月29日


退院当日の午後、Gregの姉さん家族が、ジョンに会いに来てくれた。

これはその時の全員の記念写真である。
帰ってきたジョンの自宅での最初の入浴である。ジョンは気持ちよさそうに、泣きもせずに、おとなしくしていた。
家に帰ったジョンにミルクを与える小生である。   
   毎日のジョンの入浴を私は手伝った。ジョンは気持ちが良いのか、泣きもせず静かにしており、容易であった。
2013年7月1日


愛知県岡崎市上地に住んでいたころ、隣の家の博美が、今イギリスに住んでおり、ジョンに家族で会いに来てくれた。その時のジョンを抱いての記念写真である。
2013年7月4日


千恵子のイギリスの友達の政子さん家族が、ジョンに会いに来て頂けた、旦那はイタリア人でニコラさんと言う。
ニコラさんがジョンを抱いての記念写真である。   
   政子、ニコラ夫妻に抱かれてジョンの記念写真である。
2013年7月6日


今日はGregが楽しみにしていた庭のバーベキューを開いてくれた。

千恵子も腹の傷もだいぶ良くなり、元気になり、一緒にジョンを含めて5人で、イギリスの夕方を、ジョンを含めて5人で楽しんだ。
  バーベーキューを楽しむ私達、夫婦の記念写真である。
腹も満腹になり、ビールも利いてきたときの記念写真である。  
2013年7月7日

千恵子、お母さんそして私の3人でロンドンに行った。ジョンはGregが家で子守をした。

千恵子とお母さんは買い物に行き、私は一人で、昨年も行った自然歴史博物館(Natural History Museum)に行った。

昨年と同じように正面玄関には、大きな恐竜の化石があった。
今回は、昨年は時間が無かったため、見切れなかったところを重点的に見学をした。これも、昨年行けなかった場所から見た恐竜の化石である。
河馬を含め、多くの動物のレプリカが陳列されていた。
これは世界で一番大きなナマケモノの化石である。
千恵子とお母さんとイギリスで有名なハロッズ百貨店の前で待ち合わせをした。
ジョンも日に日に体重が増え、元気になって来た。笑うようになって、日に日に可愛いくなった。
2013年7月10日


庭の芝生も大きくなり、前庭、裏庭の芝刈りを行った。夏であるが、イギリスは涼しく、作業もそれほど大変ではなかった・
この頃より、朝と昼の食事後の食器の洗浄は私の仕事になった。これは、エプロンを掛けて、皿洗いをする小生である。
2013年7月12日


千恵子の依頼で、ベッドの廃材でジョンのおもちゃ箱の製作に掛かった。お母さん、Greg,千恵子も手伝い、だんだん箱らしくなっていった。
ジョンも我々の顔を、真剣に見るようになって来た。脳に少しずつ我々の記憶のメモリーが刻まれているようである
やっと、ジョンのおもちゃ箱が出来上がった。この中に入って、ジョンの記念撮影をした。
2013年7月19日 


千恵子の友達の久美子さんが、ジョンに会いに来てくれた。彼女にも二人の子供がいた。

彼女も国際結婚で千恵子と話が合うようであった。
 
   久美子さんの二人の子供とジョンを加えて記念写真を撮った。
2013年7月19日


千恵子の古い友達で、イギリスのロンドンの西側に住むクレアさんが、ジョンに会いに来てくれた。

ジョンを抱いて、楽しそうな彼女の写真である。、 
 
   同じく、ジョンを抱くクレアさんの写真である。
 ジョンを抱く、クレアさんと千恵子のショットである。  
   昼食はお母さんが作った日本料理で、彼女は日本に4年位住み、日本料理にはまったく違和感は無かった。
クレアさんの帰宅時、千恵子夫妻の家の前で記念写真を撮った。
   2013年7月23日

ジョンの体重も順調に回復し、千恵子の腹の傷も癒えてきたのでので、2泊3日の「フランス旅行に出かけた。 詳細は、フランス旅行のページ参照。

ユーロスターで2時間20分でフランスのパリに到着した。写真は今回最大の目的、ノルマンディー地方のモン・サン・ミッシェルの全景である。

世界で、行きたいところの一位、二位を争うだけあって素晴らしかった。
 もうひとつの目的は、セーヌ川ツアーで、写真は、船上より撮った、自由の女神とエッフエル塔である。

昔から、河川に沿って、街が発展してきた通り、川の両岸には歴史的建造物が沢山あり、楽しかった。
 
2013年7月26日



ジョンの生まれて始めての外出である。隣の、リサさんと一緒にジョンを乳母車に乗せ、定期検査に出かけた。
二人で乳母車を引き、家の前を歩いていく写真である。   
   リサさんは乳母車も手馴れたものであったが、千恵子は初めてで、手こずっていた。
2013年7月28日


ロンドンに住むアンドルさんが、ジョンに会いに来て頂いた。 彼女と千恵子の付き合いは長く、千恵子が学校を卒業し、英語の勉強にイギリスに初めて来たときのホームステー先の奥さんである。
昼食はお母さんが作った日本料理で楽しい時間を過ごした。彼女もまったく日本料理には違和感は無かった。
2013年7月29日


Gregの会社の友人(Mr.xxxx)は写真撮影のセミプロで、カメラも日本製のニコンの素晴らしいものを持っていた。

流石、自称セミプロだけあって、素晴らしい写真を撮った。写真は彼が撮ったジョンとGreg,千恵子のショットである。
この写真は彼が、ジョンを撮影しているスナップで、撮影姿が専門家のようであった。
これ以後、8枚の写真は、彼が撮ったジョンを中心に撮った写真集である。

ジョンの大きな欠伸の瞬間をうまく捕らえて撮影した。 
 
   ジョンを中心に、我々も入って記念写真を撮った。
 ジジ、ババがジョンを抱いて記念写真を撮った。  
   Greg、千恵子夫婦がジョンを抱いて記念撮影をした。
 ジョンを中心にイギリス家族全員で記念写真を撮った。  
   イギリス家族の大人だけの記念写真を撮った。
ジョンも益々元気になり、ダミーを欲しがるようになった。
あちらこちらを見て、話しかけるようにもなった
2013年7月30日


ニコラさんの奥さん、政子さんが日本に里帰りしたため、千恵子がニコラさんを夕食に招待した。

彼は喜んで、ワイン持参で駆けつけてくれた。イタリヤ人だけあって、酒は強かった。
2013年8月1日

ジョンもすごく元気になり、千恵子もまったく問題なくなったため、イギリス家族全員で、イギリスの1泊2日の小旅行に出かけた。

工程はコッツウォルドに行き、翌日、南下してウエスト・ベイに行くこととした。

写真はコッツウォルドに入って、直ぐに昼食をとったレストランである。
ドーバースヒル (Dover's Hill)、バートン・オン・ザ・ウォター(Buton on the water)、そして、チッピング・カムデン(Chipping Camden)とドライブをして行った。

写真は途中立ち寄った街での写真である。
コッツウォルド地方をドライブしている時、茅葺の家を見つけた。その家の前で記念写真を撮った。
バートン・オン・ザ・ウォターに立ち寄った時、木陰で撮った写真である。
2013年8月2日


コッツウォルド地方のモーターインで1泊し、翌日は最初にカースル・クーム(Castle Combe)と言う静かな田舎街に立ち寄った。静かな田舎で、街を散策した。
カースル・クームにも小さな教会があり、その内部でジョンと千恵子、Gregの3人の記念写真を撮った。
その後、南下し、ウエストベイ(West Bay)に行った。ここは映画撮影の場所に使われる素晴らしい景観の街であった。写真はウエストベイに到着し、ジョンをバギー(乳母車)に乗せ、散策している時の写真である。

この地はジュラ紀の1億9千年前の崖が存在していた。
後の崖はジュラ紀のもので、相当長い崖が存在していた。この前で記念写真を撮った。
イギリス家族と一緒に4人の記念写真を撮った。
帰路、車窓より、かの有名なソールズベリーのストーン・ヘンジ(Stone Henge)を眺め、渋滞に巻き込まれながら、夜の11時半頃、家についた。

高さ5mを越す巨大な石柱が、2重の輪になって並び、最大の石は50トンもあると言う。これは、ゲロト人の祭壇か、又は、日・月食を計算するものであるとも言われている。

ジョンはミルクを飲み、満腹になると、車の動きに連れて、すやすやと眠りに入り、泣くことはほとんど無かった。
家に到着しても、ジョンは元気で、話しかけると笑みを返してきた。
2013年8月6日

ユーロスターで約2時間でベルギーのブリュッセルに到着した。詳細は「ベルギー旅行」を参照して下さい。

今回の目的は首都、ブリュッセルにある世界で一番美しいグランプラス(Grand Place) の見学と中世のまま、時間が止まったゲント 及び ブルージュの見学であった。

写真は二つの川の合流点で花開いた中世の都、ゲントの街である。
 
   ブリュッセル、グランプラスのライトアップされた素晴らしい夜景である。
2013年8月11日


天気が良かったので、家より近くのFairlands Valley Parkに遊びに行った。広大な公園で、沢山の家族連れが来ていた。

この公園の上空は飛行ルートになっており、近くの空港へ離発着する飛行機が低空で飛んでいた。
ジョンのおもちゃ箱に加えて、クリスマスツリーもベッドの廃材で製作した・ その両方を前に置き、夫婦で記念写真を撮った。


ジョンが大きくなったとき、これを見ておじいちゃんを思い出してくれることを楽しみにしている。
ジョンは相変わらず良くミルクを飲み、眠った。元気そのもので、声をかけると、よく笑うようになった。
2013年8月18日


今日はクレアさんの家に招待された。彼女の家はロンドンの西側で、テムズ川の水上バスを利用して行くことにした。
水上バスを使うにも一度、ロンドン、キングス・クロス駅に行く必要があった。写真はキングス・クロス駅構内の記念写真である。
水上バスはEmbankmentで乗船し、両岸の素晴らしい景観を楽しみながらCanary Whartで下船した。その間にイギリスの有名な建造物を多く見ることが出来た。

ロンドン アイでテムズ川に突き出た観覧車である。高さは地上より135mで、ホイールは30分ほどに、一度、数分間停止をする。
どこの建造物か、分からなかったが素晴らしい建物が船上より見ることが出来た。このテムズ川に沿って色々歴史に残る建造物が建ち並んでいた。
この地域はビッグベンのような有名な古い建物が共存していた。.   ビッグベンは、議会制民主主義を生んだイギリスのシンボルです。11世紀に宮殿として建てられたが、16世紀以後は国会議事堂として使用されています。
セントポール大聖堂は300年の歴史を誇る素晴らしい建物である。ここはロンドンの東を守る要塞として昔は機能した。故ダイアナ妃が結婚式を挙げた場所でもある
タワーブリッジ。 現役の巨大な跳ね橋で1894年に完成した。建設の後、119年が過ぎた。
ロンドン塔。テムズ川を見守る堅牢な要塞。1066年にウイリアム1世が築いた王の城で、城は王室の血塗られた歴史を眺め続けた中世の城塞である
Canary Whartで下船したら、クレアさんが出迎えていてくれた。そこから、少し歩いたところに彼女の家がある。その家の前で、女性軍の記念写真を撮った。
クレアさんの自宅に入り、ジョンのおしめを換えたり、寛いだ。   
   ジョンをソファーに寝かせ、寛ぐ我々であった。
クレアさんがイギリス料理を用意していてくれ、楽しい昼食を取った。
 
 
   クレアさんがジョンを抱き、千恵子と一緒に記念写真を撮った。
同じく、楽しいイギリス料理の時間であった。
昼食後、少し休んでから、クレアさんが付近の案内をして頂けた。右側の家は1583年よりパブを続けていると言う家で、記念のため、一杯飲もうと中に入ったが、混雑していて、中で座ることは出来なかった。

前の道路は、オリッピクの時にマラソンで選手が走った道である。
帰路、ロンドン、キングス・クロス駅で見つけた不思議なプラットホーム。
これはイギリスの作家、J・K・ローリングさんによる児童文
学作品、ハリーポッターの物語に出てくる、ロンドン、キングス・クロス駅の9 4/3番線のプラッホームである。
イギリス国旗模様の服を着たジョンを抱いて、記念撮影をした。
ある日、Gregと近くのパブに行った。ビールを片手に持ち、若干小生も酔いがまわっていた時の格好をつけた写真である。
毎日がジョンを中心に動いていくようになった。このごろはカメラ目線も良くなり、じっとカメラを見るようになった。
ここから、3枚の写真はジョンの座椅子に座った3様の姿である。黒い座椅子に座ったジョン。
違った座椅子に、空色の服を着たジョンの写真。
黒い座椅子に座り、空色の服を着た、カメラ目線のジョンの写真である。
2013年8月30日


我々が9月1日に帰国することを知ったニコラ、政子夫婦が、彼らの自宅に招待してくれた。

ニコラはイタリア人で、彼が多くのイタリア料理を造ってくれた。イギリス料理を含め、すごいご馳走であった。
ニコラ、政子夫妻の子供とジョンが一緒になって記念写真を撮った。
千恵子が政子さんの子供を抱き、政子さんがジョンを抱き、記念写真を撮った。
2013年8月31日


最後の晩餐と千恵子の誕生日で、清閑なThree Horseshoesのレストランに行き、最後の夕食を一緒に取った。

写真はそのレストランの入口である。
イギリスに来てから私は初めて、厚いマクロナルドを食べた。 美味しかった。
2013年8月31日



レストランより帰ってきてから、家でケーキを用意し、千恵子の誕生祝いをした。当年45歳となった。
  2013年9月1日


Gregの運転で午後3時頃、ヒースロー空港に向けて家を出た。途中若干渋滞があったが、無事空港に到着し、ヒースロー空港で税金還付申請をした。

ヒースロー空港は全館禁煙で、タバコが吸えるのはここが唯一の場所であった。

我々の後ろのカウンターが税金還付申請場所である。
 
 ヒースロー空港のチェックイン場所に通じる通路で、最後の記念写真を撮った。  
今は通関は全て無人で中に入ることが出来る。Gregがここまで来てくれ、本当の最後の写真を撮ってくれた。係員が写真撮影禁書場所と言ったが、そのときは既にシャッターが押されていた。
通関を通り、搭乗口付近で記念写真を撮ってもらった。

Lv.19:35 NH202便で、機上の人となり、約12時間の空の旅が始まった。
機上からの、サンセットは綺麗であった。成田空港で乗り継ぎ、中部国際空港に向かい、ここでは和彦が迎えに来てくれていた。

3ヶ月のイギリスの生活は終わった。今年は日本の酷暑が免れた。
2013年9月30日  
Yasmin Le Bon家族がジョンに会いに来てくれた。

Yasuminに抱かれたジョン。
 
   
   
   
   
   
2013年12月〜2014年1月

約1ケ月余、日本滞在。
細光に訪れたジョン。
 
 
   
   
   
高木に訪れたジョン。
   
   
   
   
安城市の八幡神社
   
   
   
   
   
   

 
 
藤田家にて
 
2016年7月〜9月

熱い夏を 滞在
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
2017年7月〜9月   
 
ジョンの5歳時の祝 
   
   
下呂温泉の足湯   
   
   
   
   
   
   
   
2019年7月〜9月   
   
   
   
   
   

2020年9月入学式

 
 
   COVID-19コロナウイルス対策マスク
   
   
   
イギリス長期滞在

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訪問場所