ベルギー旅行

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訪問場所

2013年8月6日、早朝に家を出て、ロンドンのユーロスターで、ドーバー海峡の海底を潜り、約2時間の列車の旅で、ベルギーの首都、ブリュッセルに到着した。

今回の旅行目的は、世界で最も美しい広場と言われるブリュッセルの
グランプラン(Grand Place)と二つの川の合流点に花開いたゲント、そして中世のまま時が止まったブルージュの訪問であった。

ベルギーはフランス、ドイツ、オランダ 及びルクセンブルグに囲まれた国である。

到着した日は、グランプランの近くのBrussels Marriott Hotelに荷物を預け、早速、直ぐ近くの、グランプランの広場の見学に行った。広場にはブリュッセル市庁舎、ブランバン公の館、ブリュッセル市立博物館 そして、ギルドハウスに囲まれ、いずれも素晴らしい建物であった。特に夜はライトアップされ、幻想的な景観を浮かび上がらせていて本当に素晴らしかった。昼間のグランプラン見学後、地下鉄を利用して圧巻の広さを持つ宮殿、王宮の見学、及び高台に行き、ブリュッセルの市街の見学をした。

8月7日は、ゲントとブルージュの訪問を現地ツアー会社に申し込んだ。ツアー会社がホテルまで迎えに来てくれた。観光客で日本人は我々二人だけであった。ガイドは英語とフランス語での説明であった。残念ながら、この日はほとんど雨に降られ、中世の石畳の街を傘をさしての見学であった。

最後の8月8日は、ブリュッセル市内を観光した。最初にホテルより2〜3分のグランプランに再度訪れ、徒歩で、右腕を触ると幸せになると伝えれられるセルクラースの像、自分の小便で爆弾を消し、街を救ったと言われる小便小僧の像、世界で最古のアーケード、ギャルリー・サンチュベール、市内で最古の教会、聖ミッシェル・エ・ギュデュル大聖堂、小便少女の像 そして、ブリュッセル市立博物館でここの歴史と、色々な国から送られた衣服を着た小便小僧のレプリカを見て回った。勿論、日本からも桃太郎と侍の衣服が展示されていた。帰路は来たときと同じユーロスターで約2時間でイギリスに到着した。

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2013年5月31日



Gregの車で、早朝にStavenage駅まで送ってもらった。 
これは、Stavenage駅のホームで電車を待つ、お母さんの記念写真である。
同じく、小生の記念写真である。
Gregは我々が間違いなく電車に乗れるか、心配し、プラットホームの向こう側で、我々を見ていてくれた。

我々が無事に乗車したことを確認してから帰って行った。
ロンドン。キングス・クロス駅の直ぐ隣にあるユーロスターチェックイン広場で、ここから、チケットを機械に掛けると、扉が自動的に開き、中に入ることができる。出国の手続きは非常に簡単で、荷物検査と、パスポートチェックだけであった。

ここで、審査を受ければ、ベルギーの入国審査は無かった。。
各列車ごとに、案内人がいて、我々が乗り込む時、親切にも写真を撮ってくれた。
ここは、ベルギー、ユーロスターのターミナル駅で、Zuidstion Gare du Midiと言う駅で、地下鉄を含め、色々な国内線も乗り入れていた。ユーロスターは裏玄関の方にあり、この写真は裏玄関の写真である。、
地下鉄でホテルの近くまで行った。ホテルの真向かいに、このような、素晴らしい建物が、あり、ここを目印として覚えた。
ホテル、Brussels Marriott Hotelは、4星だけあって、部屋は素晴らしかった。

荷物をホテルに置き、歩いて3−4分のところにある、世界で一番美しいと言われている、ブリュッセルのグランプラスを訪れた。

ここは、一枚の写真で撮りきれないですが、写真はブリュッセル市立博物館(王の家)です。

これもグランプラス広場で左手の建物が、プランバン公の館、そして、右の奥のほうが、ベルギービール醸造博物館、手前がブリュッセル市庁舎である。
グランドプラスには、昼間も含めて、多くの観客が詰め掛けていた。特に夜間おライトアップされた広場は素晴らしかった。
写真のように観光客が、見学及び買い物をしていた。
この写真はブリュッセル市庁舎の素晴らしい構造体の写真である。
グランプラスの昼間の見学を終え、ホテルに帰る路上で記念写真を撮った。後ろに見えるのが、今回の我々のホテルである。

このホテルの直ぐ前に、地下鉄の駅、Beursがあって、非常に便利であった。
その後、地下鉄を利用して、ブリュッセル市内の観光場所に行った。途中、ベルギーの名物、ワッフルを味わった。美味しかった。
地下鉄で、Parcと言う駅で下車し、最初に圧巻の広さを持つ宮殿、王宮を訪問すことにした。

写真は途中の広大な公園の広場での記念写真である。
王宮の前で記念写真を撮った。王宮は1904年に完成した、ルイ16世紀様式の宮殿で、今は迎賓館として使われています。
この王宮前で記念撮影をした。玄関の門扉も金箔が張られ、素晴らしいものであった。
王宮の室内はフラッシュを使わなければ撮影可能で、沢山の写真を撮った。

ここは、室内に入って、階段を登るところの素晴らしい彫刻である。
素晴らしいシャンデリアと室内装飾に心を奪われた。流石、王室だけの建物であった。
王宮内は沢山の部屋があり、いずれも、素晴らしい照明と、装飾であった。
この素晴らしい部屋の一室で記念写真を撮った。
この部屋も素晴らしく、同じく記念写真を撮った。
素晴らしい室内の景観である。アジアに伝わる釣鐘も展示してあった。
廊下も素晴らしい装飾が施工され、シャンデリアも素晴らしかった。
別の部屋には、壁に緑色の素晴らしい装飾が実施され。見るもの心を癒してくれました。
王宮は余りにおきな建物で、全貌の写真を撮ることは困難であった。これは、王宮出入り口付近の建物の写真である。
王宮の見学を終え、ブリュッセルの町を散策し、高台に行った。

ここからはブリュッセルが一望することが出来た。街には、訪問はしなかったが、ノートルダム・ラ・シャベル教会等、素晴らしい建物を見ることが出来た。先端の高い塔は前記の教会だと思う。
この高台より少し下ったところに広場があった。何故か、大きな木々に、白いペンキが塗布されていた。多分、これは、防腐剤が塗布されていたと思う、記念に写真を撮った。
見学も終え、地下鉄でホテル近くまで戻り、散策を兼ねて、夕食にいった。写真おように、色々なレストランがあった。
我々が店を選んでいるとき、日本語で、勧誘されたレストランでここの名物、ムール貝を食した。地ビールも美味しかった。

やはり、ここにも多くの日本人が訪れているようで、片言の日本語で勧誘された。又、このレストランの4〜5人の日本人が食していた。
食事後、最後グランプラスを訪れ、ブリュッセル市庁舎の大きな門扉の前で記念写真を撮った。
グランプラスの市庁舎の左横に横たわったセルクラースの像である。彼の右腕を撫でると幸せになると言われています。訪れる観光客がみんな撫でるので、セルクラースの右腕はいつもピカピカに光っています。

セルクラースは1320年頃生まれたとされ
ている人物です。彼はフランダース伯の攻撃から町を救った英雄として語り継がれています。
グランスプラス広場から眺めた夕日は素晴らしかった。
2013年5月31日


朝8時半にゲントとブルージュのツアー用バスがホテルまで迎えに来てくれた。

ホテルの前で待っていた我々に、ベルギーの男性ガイドが近づき、声をかけて来た。
迎えのバスは我々が初めてで、バスの中には誰もいなく、好きな座席を陣取った。


最初に訪れた場所は、二つ川の合流点に花開いた中世の都で、ゲントであった。

残念ながら、今日は朝から雨が降っており、傘を差しながらの観光であった。このツアーでの日本人は我々夫婦だけであった。

上、左の写真はゲントの街の風景である。

街の中には中世の、外壁に素晴らしい彫刻が彫られている素晴らしい建造物もあった。、
中世の建物面影の野中に、今は、路電電者が走り、バスが走っていた。温故知新の如く、古いものを大事に、そしてあたし文化・文明を取り入れた一画であった。
この写真は、天井の鴨居から、豚肉を吊るし、熟成させている家で、レストラン及び売店でもあった。

西欧は、日本と違って、公衆便所が非常に少ない。便所に行くには、このようなレストラン、若しくは有料便所を使うしかない。 我々一行は先ずここで用をを足してから、観光に入った。
流石、河川で発展しただけあって、このゲントの街には素晴らしい川が流れていた、この川を利用し、物資の運搬が行われ、産業が発展してきた。

川の両岸いは中世の面影を残す建造物が立ち並んでいた。
この素晴らしい景観をバックに記念写真を撮った。
ゲントには世界遺産の建造物が沢山ある。この写真はフランドル伯の城である。

この城はもともとは8
48年にバイキングの来襲に備えて建てた城塞であった。現在の城は1180年にシリアの要塞をまねて再建したものである。この城は堅固で中世の城のたたずまいを残している。鉄の甲冑を着た中世の騎士が出てきそうな雰囲気であった。
この要塞のようなフランドル伯の城の前で記念写真を撮った。
河川の橋の手すりには素晴らしい花が飾られていた。川と家屋と花が、街を盛り上げていた。
聖ニコラスと名づれた教会は世界中に沢山あります。

この写真もゲントで有名な聖ニコラ
ス教会です。この教会は少し変わったゴシック建築で出来ており、迫力があった。

サンタクロースの語源となった聖
ニコラスは船乗りと漁師の守護聖人でもあった。この教会は11世紀の中頃に建設されたが、12世紀に火災になり、13世紀に再建された。
ゲントより、少しバスで走ったところに、ブルージュの街があった。

ベルギー屈指の水の都だけあって、運河クルーズの観光船であったが、残念ながら、傘をしての観光である。
この街を縦横に流れる運河には、50以上に橋が架かっている。13〜14世紀、ハンザ同盟の主要都市として、町は栄えたが、運河の沈泥で商船の出入りが出来なくなり、発展が止まってしまった。

今は、この運河のクルーズ観光で、街を支えている。
中世のまま、時間が止まったこの街には、古い家を大事に、維持し、裕福な素晴らしい家を見つけた。
水の都、ブルージュには運河があり、その一画で、白鳥が楽しく、遊んでいた。これをバックに記念写真を撮った。
ブルージュの街で食事を取った。ここは、我々グループが昼食を取ったレストランである
水の都の川と中世の建物を背景にブルージュでの記念写真を撮った
このブルージュの街にも、将来の大物音楽家を夢見て、路上演奏をしていた。見たこともない、楽器を持って、素晴らしい音楽を奏でていた。多くの人が写真撮影をしていた。
街を散策しているとき、クリスマスツリーを含め、可愛いものがある店を見つけた。
ブルージュの歴史は、バイキングによって町が築かれた9世紀まで遡る事が出来ます。

そこは、栄光と挫折、そしてさらなる栄光の歩みで
あった。16世紀後半になるとブルージュは衰退の一途を辿り、18世紀中ごろにはベルギーで最も貧しい町と言われるまでになった。
ところが20世紀には、ブルージュは国際的な観光地として息を吹き返し、中世の面影を色濃く残す町並みが「北のベニス」と言われ新しい繁栄をもたらしました。そんな街の一番大きな広場の写真です。
どのツアーも同じように、必ず、お土産を買うように店に連れて行ってくれる。
このツアーも同じでチョコレート屋に案内し、ブルージュのチョコレートが非常に美味しいかと説明しているガイドある。

彼は、7ヶ国の言葉を話し、日本語も挨拶程度は出来るようだった。しかし、彼は説明するとき及び話をするときには絶対相手の目を見ようとはしなかった。はにかみさんかも知れない。
中世のままで時間が止まった都であるかのように、多くの観光馬車が走っていた。
このブルージュの街に、日本料理店があった。名前は「たぬきと書かれていた。
日帰りツアーでホテルに帰ってから、世界で最も美しい広場と言われるブリュッセルのグランプラスを再度訪れた。

今も中世の
ギルトハウスの奥深い魅力が見られた。 昼夜とはまったく違った顔が見られる場所でもあった。夜景は複雑な建物とライトアップにより素晴らしい景観を見せていた。

写真はグランプラスに行く途中からのブリュッセル市庁舎の塔である。


この素晴らしい広場は360度見ることが出来、左手の建物が、プランバン公の館、そして、右の奥のほうが、ベルギービール醸造博物館、手前がブリュッセル市庁舎でいずれも素晴らしい。
写真はブリュッセル市庁舎の塔をアップして撮った写真である。
ブリュッセル市立博物館(王の家)で、この館内にはブリュッセルの歴史が、残されている。
写真はギルドハウスの夜景の全景である。素晴らしい建築構造の建物であった。
写真は、この広場出入り口付近から、プランバン公の館,,ブリュッセル市庁舎を撮影した。
   
   
2013年5月31日


最後の日はグランプラスを再度、訪れ、そこから、この地の観光場所の散策をした。

ここから、5〜6分歩いた所に、小便小僧の像がある。途中の店の前には、この地のシンボル、小便小僧のレプリカが玄関に置いてある店が沢山あった。
勿論、写真のように店で小便小僧のレプリカを売っている店が沢山あった。さしずめ、日本では白浪7人少年でしょうか
小便小僧はブリッセル、グランプラスの近くの路地にひっそりと建てられていた。

諸説がありますが、この像の由来は小便で爆弾を消して街
を救った少年の武勇伝です。このような像は世界中にある。日本にも浜松町駅のホーム、北山形駅等にあります。
この小便小僧はジュリアン坊やとして親しまれており、この前で記念写真を撮った。
古い教会は歴史があり、心が癒されます。この教会は13世紀から400年の歳月をかけて造られました。ベルギーで一番格式の高い教会でゴシック建築様式の建物です。名称は聖ミッシェル・エ・ギュデュル大聖堂と言い、ベルギー王室の冠婚葬祭などに使われています。

街の中に聳え立つ教会は素晴
らしかった。
ミッシェル(仏)=ミカエル(英)。即ち、大天使ミカエルのことである。ベルギー王室の冠婚葬祭などに使われるベルギーで一番格式の高い教会である。荘厳なゴシック様式で素晴らしい建物であった。また、内部も素晴らしかった。
13世紀から400年の歳月をかけて造られた。一日に2回行われるミサでは、内部左側のパイプオルガンが素晴らしい音色を奏でる。また、内部の柱にある像も素晴らしい。この教会の名前は聖女ギュデュルより名付けられた。
この楽器の歴史ははるか紀元前にまでさかのぼります。古代ギリシヤでは貴族たちに珍重されて様々な儀式を飾りました。ヨーロッパのキリスト教文化にあっては、神への信仰と賛美を奏でるために教会をその響きで埋め尽くしました。素晴らしいパイプオルガンは世界中に沢山あります。この写真はベルギーの聖ミッシェル・エ・ギュデュル大聖堂のパイプオルガンです。私達はミサの時素晴らしい音色を聞きました。
ここに、小便少女の像が在ると聞き、地元の人に問い合わせ、其の場所を見つけた。飲食街の奥まった一画にあった。

その像は鉄格子で囲まれ、いたずらが出来ないようになっていた。

この像に何かの謂われるがあるか、それともベルギー人のユーモアは、私には分からなかった。
この建物はギャルリー・サンチュベールと言い、世界最古ののアケードで、1847年に建造されたアールヌーヴォー建築様式のものである。内部には老舗カフェや有名なシュコラティエなどが軒を連ねている。、
観光地の見学を終わり、再度プランプラスに再度戻り、この一画にある、ブリュッセル市立博物館(王の家)内を見学した。

ここには、ブリュッセル市の歴史が沢山残っていた。絵画、陶器、彫刻その他で素晴らしい時間を持った。


いつの時代の彫刻か、忘れましたが、相当古い彫刻であった。
この博物館には、小便小僧の衣服が、数百にも上るほど保存されている。

小便小僧ジュリアンは大変な衣装持ちで、頻繁に衣装が変わります。フランスのルイ 15世が、とても上等な衣装を小便小僧に送ったのをきっかけに、今では世界中から衣装が届いています。
この小便小僧の衣服は、日本から送られた桃太郎の衣服で、其のほかにも侍の衣服を着た小便小僧のレプリカがあった。
各国から送られた小便小僧の衣服が,レプリカに着せられ、展示されていた。
ブリュッセルは昔、火事にあい、街のほとんどが焼きつくされた言うことを江に残して後世に伝えていた。
最後はブリュッセル市庁舎の内部に入り見学した。室内は執務最中で奥までは入れなかったが、玄関付近には、ブリュッセルの歴史が書かれたものがあった。

中には素晴らしい兆候が置かれており、其の前で記念写真を撮った。
同じ場所で、ブリュッセル市庁舎の中庭で野記念写真である。
見学疲れをし、グランプラスの近くのレストランでゆっくりした昼食をとった。室内に案内されたが、屋外に席を取った。
ホテル、直ぐ前の地下鉄出入り口の前で、最後の記念撮影をした。左が地下鉄の出入り口である。
ユーロスターのターミナル駅、Gare du Midiに、少し早めに来たので、駅裏、正面玄関に行き、ベルギーの町を眺めた。

写真は、裏側で、飲食店塔が立ち並び、広場があった。ここで一休みした時の記念写真である。、
写真はこの駅の正面玄関で、大きな建物が立ち並び、と浮くには遊園地も見えた。
ブリュッセルはベルギーの首都だけあって、オフイスビル立ち並んでいた。この前で記念写真を撮った。
18:56分発、約2時間の列車の旅で、イギリスのロンドンに到着した。

Stevenage駅より、タクシーで娘夫婦の家に帰った。