2013年7月23日、早朝に家を出て、ロンドンのユーロスターで、ドーバー海峡の海底を潜り、約2時間20分の列車の旅でパリに到着した。
今回の旅行目的は、ノルマンディー地域のモン・サン・ミッシェルの訪問と、セーヌ川ランチ付きツアーの参加であった。
到着した日は、荷物を、Hotel Peletier Haussmann Operaに預け、地下鉄でエッフェル塔に行ったが、塔に登るには2時間以上の待ち時間が必要であったため諦めて、付近の散策と、最終日のセーヌ川ツアーの乗り場を確認して、ホテルに帰った。
7月24日。パリの有名なデパート、ギャラリー ラファイエット前に集合し、北西に約300km離れたモン・サンミッシェルにバスで向かった。ガイドは日本人で、観光客もすべて日本人であった。途中、ノルマンディーの田舎町を散策した。世界で一番か二番を誇る観光地だけあって、ここは素晴らしかった。帰路は有名なオペラ座の前で散会した。
最後の7月25日は、再度エッフェル塔をみて、近くの桟橋より、セーヌ川ツアーに参加し、フランス料理を食べ、歌手の歌を聞きながら、両岸の歴史的建造物を堪能した。帰路はユーロスターの2時間余でイギリスの到着した。
2013年5月31日 早朝、イギリスの娘夫婦の家を出て、フランスに向かった。これは、イギリスの家の前での記念写真である。 Gregが駅まで送ってくれた。 |
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ロンドン、ユーロスターのチェックイン広場で、ここから、ユーロスターの乗り場に入る。 | |
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Lv.7:55.9008号の列車で、約2時間20分の列車の旅でフランス、パリのPairs NORD駅に到着した。 写真はユーロスターの写真である。 |
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地図はユールスターの大陸間横断鉄道の路線図で、ロンドンとパリ、そしてブリュツセルを繋ぐ路線である。 |
Pairs NORD駅前を少し出ると、パリの街が広がっていた。 ホテルまで若干距離があった為、タクシー待ちの長い列に加わり、車でホテル前まで行った。 |
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明日のツアーの集合場所、ギャラリーラファイエット近くにホテルを取った。2つ星だけあって、余り立派ではなかった。 写真の左手がそのホテルで、Hotel Peletier Haussmann Operaある。 その奥に、日本料理があったが、経営者は中国人であった。 |
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ホテルに荷物を置き、早速、近くの地下鉄駅xxxxxxxから、XXXX線で、エッフェル塔近くのXXXX駅に行った。地下鉄を出ると、直ぐ前にエッフェル塔とセーネ川が目に飛び込んできた。 | ![]() |
これは、エッフェル塔をバックに地下鉄を降りた直ぐ近くで撮った写真である。 | |
少しエッフェル塔に向かって歩くと、橋があり、セーヌ川を望むことが出来た。右側の岸が、最後の日に、昼食つきのセーヌ川ツアーの乗船場である。 | |
エッフェル塔に登るため、当日チケット売り場に行ったが、登る人の列が凄く、担当者に聞いたところ、2時間以上は待つ必要があると告げられた。 時間も無く、登ることは断念して、付近を散策した。 |
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エッフェル塔の真下からの写真であるが。やはり、大きく壮大であった。流石、フランス、パリの象徴的な存在である。 塔の高さは、324mで、展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能である。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。鋼製ではなく、錬鋼製の塔である |
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セーヌ川の対岸よりエッフェル塔を眺めた写真で、セーヌ川にはツアー客を乗せた舟が走っていた。、 |
ホテルへ帰ってから、500m程度離れている、ギャラリー ラファイエットを下見に訪れた。明日、モン・サン・ミッシェルツアーの集合場所である。 このデパートの一角には、吹き抜きの素晴らしいホールがあった。 |
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この写真はギャラリー ラファイエットの表玄関で、明日のツアーの集合場所である。 7:20分にギャラリー ラファイエット表玄関に集合し、バスのツアーが始まった。日本人のガイドが旗も持ち、この場所に立っていてくれた。 観光客も全て日本人であった。 |
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2013年5月31日 パリ市内を通り抜けて、目的地に向かった。写真は途中の凱旋門である。 凱旋門は軍事的勝利を讃え、その勝利をもたらした将軍や国家元首や軍隊が凱旋式を行う記念のために作られた門である。 この凱旋門の下を潜り、北西に舵を取った |
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パリよりモン・サン・ミッシェルまでは約300km程度あり、日本で言えば、東京から京都に行くようなものである。 最初の立寄ったのは、かの有名なノルマンディー上陸作戦があった場所に近いノルマンディーの田舎町であった。 第二次 |
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ノルマンディーの田舎町は静かなところで小川が流れており、清閑な地方であった | |
この写真もノルマンディーの田舎町で、花が綺麗に咲いていた。 | |
車窓より、今回の最大目的のモン・サン・ミッシェルの姿が見えてきた。 ここもノルマンディー地方である。 |
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現地に着いたのは、ほとんどお昼であった。先ず最初に昼食をとった。 写真はフランス名物のオムレツで美味しかった。 |
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写真はオムレツを頂いたレストランから見えるモン・サン・ミッシェルです。田園風景の中に、毅然として立つ、この名所は素晴らしかった。 | |
今は近くまで、車で行くことが出来なく、このレストラン近くからシャトルバスが出ていた。 無料で5〜6分で、近くに行くことが出来る。、 |
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モン・サン・ミッシェルは大天使ミカエルのお |
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モン・サン・ミッシェルはひとつの街として存在し、今は、少ない住民が住んでいると言う。 内部、及び頂上に行くには、この店のある通路を通っていかなければならない。 | |
モン・サン・ミッシェルも長い歴史の中には色々な変遷があった。写真は監獄時代に造られた鉄格子の門である。 | |
頂上に登る途中の建造物に、キリストの像がはめ込まれていた。 | |
モン・サン・ミッシェルの途中からの海岸線とこの場所の建造に関わった人の墓が眼下にあった。 | |
途中の建造物は素晴らしかった。 | |
屋上より、建物の先端に建造された塔が素晴らしかった。 | |
モン・サン・ミシェルは大天使ミカエルのお告げにより建 |
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段々、増築されて現在の これは、現在の状況の模型で、建造歴史を表していた。 |
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モン・サン・ミッシェルの頂上から見たノルマンディー地域の海岸線である。この海岸線のどこかで、かの有名な史上最大規模の上陸作戦があ |
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この写真も屋上より、建物の先端に建造された素晴らしい塔である。 | |
ノルマンディーの海岸線を背景に家内の記念写真を撮った。 | |
同じく、ノルマンディー海岸線を背景に、屋上での記念写真である。 | |
モン・サン・ミッシェルの内部、礼拝堂は素晴らしかった。壁には色々彫刻が配置されていた。 | |
同じく、礼拝堂内の柱に取り付けれた彫刻は歴史を物語っていた。 | |
モン・サン・ミシェルの伝説。708年、アヴランシュ司 |
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国の監獄とし |
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モン・サン・ミシェルは百年戦 又、 18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止された。そし |
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出口の向かう通路には、沢山の土産店があった。ここを素通りして外に出られないようになっていた。 ここの店で、日本人が働いていた。 |
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名残を残して、モン・サン・ミッシェルを後にした。流石、世界でも屈指の観光名所であった。 | |
帰路は、長い時間バスに揺られ、到着したのは、ギャラリー ラファイエットの近くのオペラ座の前であった。 オペラ座は1875年に完成したガルニエ宮の呼び名として主に用いられるが、1989年にオペラ・バスティーユが新たに完成し、現在は主にここでオペラ公演が行われる。 |
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この家が、我々が宿泊したホテルの玄関である。驚いたことに、内部にエレベーターはあったが、二人でも狭いものであった。勿論、荷物を持ったら、二人は困難であった。 このようなエレベーターは始めての経験であった。 |
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しかし、このホテルで夜を担当する人がフレンドリーで、日本のことをよく知っていた。日本人の人が、彼の名前をMr.Satoと名づけと言っていた。 話が進み、一緒に記念写真を撮った。 |
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このホテルで、前記のマスターに我々の記念写真を撮ってもらった。 フランスに来て初めて、故尾のホテルでJCBのカードが使用出来た。 |
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2013年5月31日 今日はフランス滞在最後の日ですが、12:45より、約1持間半位のランチ月セーヌ川ツアーに参加した。 早めにホテルを出て再度、エッフェル塔を見学に行ったが、多くの軍隊がいた。隊長らしき人に撮影の可否を聞いたところ、Okの返事が出て、気楽に雑談した。その時の記念写真である。 |
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ここは、ツアー船上船場より、地下鉄乗り場方向の写真である。景観は素晴らしかった。 | |
右側の建物は、ランチなし、ランチ付きセーヌ川ツアーの乗船場である。エッフェル塔の直ぐ近くにあった。 フランスを流れる河川で、流域も全体がフランスに属している。全長780kmは、フランスではロワール川に続いて第二の長さである。 |
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この場所は、チェックイン後、乗船までの待合室で、色々な国の人が沢山いた。日本人は我々だけであった。 係員が英語の案内書でいいかと聞かれたが、冗談のつもりで、日本語の案内書がほしいといったら、本当に日本語の案内書があった。 、 |
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どこの国でも同じであるが、人間は水は欠かせないものである。このセーヌ川も同じで、川の両岸から街が発展し造られて来た。この両岸には、多くの歴史的建造物が立ち並んでいた。 乗船後、食事開始前のお母さんの記念写真である。 |
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これも同じく乗船後、直ぐの小生の記念写真である。 |
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ランチなしのセーヌ川ツアーの観光船が、二階に満杯の観光客を乗せて、対岸の方を走っていた。 | |
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セーヌ川から見たルーヴル美術館である。 今は世界最大の美術館ですが、中世期には要塞として使われ、その後は、宮殿であった。この建物は全長700mにも及ぶ大きなものである。 正面には、有名なピラミッド型の入り口になっている・ |
1310年にフィリップ美貌王が建造した、ラ・コンシェルジュリーである。 カペー朝の面影を残す唯一の建造物である。 | ![]() |
オルセー美術館で、ここはもともと鉄道駅でとして使われていた。1986年に美術館として生まれ変わり、19世紀末の美術作品、特に印象派の作品が提示されている。 | |
ノートルダム寺院は1160年から1330年にかけて建造された建物で、1831年、ヴィクトル・ユーゴの小説によって、腐れかけていた大聖堂が人々の関心を持ち、その後、修復されたものである。 | |
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かっての下院にあたるこの国民議会はフランス共和国のシンボルの一つです。直接選挙で選出された国民議会議員が、共和国の法案を討議・立法したところである。 |
この写真は、ランチ付きセーヌ川ツアー観光船の内部で、ゆったりとしたテーブル配置と、窓側は外部がよく見えるように大きなガラスが取り付けられていた。 | ![]() |
船上からの光景 | |
セーヌ川ツアーーの観光船から見たエッフェル塔で、違った場所からも、流石フランスのシンボルだけあって素晴らしい景観を見せていた。 | |
フランス料理と素晴らしいセーヌ川の景観を見ながら、時々、美人の歌手が我々の耳を擽り、素晴らしい雰囲気を盛り上げていた。この時は、私が手を伸ばせば、触れるような場所で歌ってくれた。 | |
自由の女神とエッフェル塔が並列に並んだところに観光船が来た。両者ともフランスのシンボルで素晴らしい景観を見ることが出来た。 この外にも、アンヴァリッド廃兵院、国会図書館。市役所、フランス学士院、シャイ宮のような歴史建造物が川に沿って建造されていた。 |
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自由の女神、「この世界を明るく照らす自由」は1889年、フランス大革命を記念して、パリに住むアメリカ人達が市に寄贈したものである。 これは、アメリカにあるフラン人が送った自由の女神のレプリカである。 ワインを飲み、フランス料理を食べ、美人歌手の歌を聴きながら、歴史的建造物が見られたことは、素晴らしく、至福の時間であった。 |
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セーヌ川ツアー終了後、エッフェル塔の近くから、バスに乗って、ユーロスター駅に向かい、時間があったので駅前の広場に行き買い物をした。 | |
ユーロスターの終着駅構内で記念写真を撮った。 ここはパリのPairs NORD駅構内である。 イギリスを出国するには簡単であったが、帰りのイギリス入国は厳しかった。 初めての経験であるが、フランス出国審査をして、10歩も歩かない距離にイギリス入国審査場があった。 |
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パリ発、Lv.18:13,9051号、写真のユーロスターでイギリスに戻った。 |
訪問場所