江戸末期に講堂として一宇を成していて、明治に占部観順師に師事し、興正派の山下教会となり、昭和22年釋智正が「智鶴山常照寺」として寺号公称し、開基住職として就任しました。 昭和56年本堂建立し、翌年7月に死去しました。昭和57年に釋正文が第二世住職を継承し、平成10年10月10日鍵役の「信明院殿」をお迎えし、「蓮如上人五百回御遠忌」を厳修し、記念事業として「石の鐘楼堂・門徒会館」を建立し、仏法興隆につくしています。