監督は映画作品に命を宿らせる。脚本や俳優及び製作資金は映画に命を吹き込むための素材である。素材の善し悪しは作品の完成度に影響を及ぼす。しかし、映画のリズム、テンポ、躍動感、生命感といった観客を引きつける力は最終的に監督が作り出す。従って、監督の人選はプロデューサーの力量とともに、映画製作における最も重要な要素となる。 |
前にも述べたように、プロデューサーは映画製作の経済的側面を担い、監督は創造的側面を担う。それぞれの側面では独立しており、互いの領域には干渉せず、なおかつ相互に要求をぶつけ牽制しながら映画製作を進行させる。両者は車の両輪であり、相互の良好な関係はプロジェクト成功への大きな鍵となる。 |
プロデューサーと監督の関係の形成には、形式的に次の三つのケースが考えられる。第一はプロデューサーが監督を雇用する場合、第二は監督がプロデューサーを雇用する場合、第三は製作会社等がプロデューサーと監督を雇用する場合である。第二の場合は、実質的には監督がプロデューサーを兼務し、ライン・プロデューサーを雇用する場合であるが、より機能を重視して見れば、プロデューサーが監督として自らを選び、これを補佐するためにライン・プロデューサーを雇用したともとれる。スティーブン・スピルバーグがプロデューサーとして他の監督に作らせたり、自らのプロデュースの下に自らが監督したりするといったことを考えれば、まずプロデューサーとしての機能が監督としての機能以前にあるということは理解しやすいだろう。商業映画では、資金回収の見込みなくして製作開始ということはありえないからである。第三の場合は、製作会社又は製作会社の運営者がプロデューサーとなり、ライン・プロデューサーと監督を雇用する場合である。 |
従って、何れの場合も実質的に見れば、プロデューサーが監督を人選し、相互の関係が形成されるということになる。 |
監督の人選は、脚本のテーマ・内容及び監督の実績・能力によって決定される。監督予定者は脚本などとともに「パッケージ」に記載される。しかし、パッケージに記載された監督が完成した映画のクレジットタイトルにそのまま監督として載せられているとは限らない。監督がプロデューサーを雇用する第二の場合はともかく、その他の場合は、監督は被雇用者の立場にあるのであり、何時にでもその職を失う可能性はある。特に、映画製作の経済的側面を侵したとき、これは顕在化する。脚本の重要な変更、スケジュールの延長、予算オーバー。これらはいずれも監督にとっては致命的である。プロデューサーにとって、既定のスケジュールや予算を平気で無視する監督などはそもそも有害無用であり、普通は契約には到らないのであるが、仮に契約締結してしまった場合には、即座の契約解除に躊躇はない。
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監督は映画の創造的側面においては、既定の脚本の範囲内で、オールマイティーであるが、その創造的側面がプロデューサーがコントロールする経済的制約の中にあることを片時も忘れるべきではない。一定の予算やスケジュールのなかで、できうる限りの感動や力を映画に与えるのが、プロフェッショナル、言い換えれば職人としての監督の役割なのである。 |
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