本節のテーマは、多人数が関与する映画製作の中心的役割を果たす者は誰か、を明らかにすることにある。 |
プライベート・ムービー、例えばアメリカに渡った作者の故郷であるリトアニアへの紀行を綴ったドキュメンタリー作品である『リトアニアへの旅の追憶』を作ったのは、監督であるジョナス・メカスであることについて異論はない。メカスは自らカメラをもち、あるがままの故郷とそこに住むなつかしい家族を写し、自ら編集し、自らナレーションを吹き込んでいる。
問題となるのは、営利を目的とし、多額の資金を必要とする商業映画の場合である。商業映画には2つの側面がある。経済的側面と創造的側面である。経済的側面を注視するならば映画を作るのはプロデューサー又は製作会社であり、創造的側面を注視するならばそれは監督や脚本家である。 |
ここで映画製作の流れを大ざっぱに見てみよう。フローチャートにすれば以下のようになる。
|
|
上記のフローチャートのうち、監督が直接担当する部分は「E 製作」に関してのみである。「D 俳優・監督・その他スタッフの決定」以前、例えば「A 脚本の完成」に監督が関与する場合もあるのではないか、との疑問があると思うが、それは監督としてではなく、脚本家として関与していると考えるべきである。また、俳優を決めるのは監督ではないか、との声もあるだろう。だが、米国映画では主演俳優には高い興行価値が要求されるため、経済的側面から決定される場合が多く、原則として監督は主演俳優を決定する権限を与えられていない。「C 配給会社との契約及び資金調達の確保」の段階において、配給会社や出資者がそれ以前に想定していた監督を簡単に変更させる場合もあり、このことを考慮すれば、「E 製作」を担当するのが監督であると役割を純化して捉える方が分かりやすいだろう。 |
監督は映画の創造的側面では決定的な役割を果たしている。しかし、その役割は映画製作の全体像から見れば、重要ではあるが一つのプロセスを担当するに過ぎないと言える。 |
先程のフローチャートの全体を管理・遂行する役割を果たすのがプロデューサーである。ただし、プロデューサーは現在の映画製作において単なる管理者としての役割のみを果たすのではない。現代のプロデューサーは、自己の責任において、映画を生み、育て、そして世に問う。つまり、彼は映画を作るのである。 |