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はじめに

 私がエンターテインメント・ビジネスという言葉を知ったのは10年程前である。

 以前勤めていた監査法人から研修としてロスアンジェルスに派遣され、米国の監査・会計・税務等について、現地の公認会計士等の実務家から講義を受けた。その中で、最も興味を覚えたのは、ハリウッド映画を対象としたビジネスの話であった。

 私は、かつて映画サークルに入るがために大学に入学した人間である。はからずもその後、公認会計士になってしまったが、心の中では、これは生活の糧を得るための仮の姿であり、本当は昔からの映画小僧のままであるとの想いは強い。その私にとって、「映画=ビジネス」などとは一度たりとも考えたことはなかった。商業主義とは映画を堕落させるものであり、映画作品の価値とは、商業的にもうかったという観点から全く切り離されたところにある。映画は芸術であり、映画監督は芸術家である。アンドレイ・タルコフスキーは、旧ソ連時代とは異なり、資本主義国家の商業主義の中では、資金的な制約から彼の豊穣なイメージをフィルムに定着できなかった。そうではないか諸君!!

 こんな私でもエンターテインメント・ビジネスという言葉を聴いたとき、「あれ、面白そうだな」と思った。それは当時の私の脳と身体が半分なりとも、ビジネスの世界にどっぷりつかっていたという証拠だろうか。

 あれから10年、エンターテインメント・ビジネスという言葉は私の記憶の中で沈殿したままであった。もう少し詳しく調べてみようと思うようになったのは、映像塾主催者の後藤幸一氏に接し、氏の塾での講義のひとつとして資料を作成できないだろうか、と考えたことにある。その動機の背景には、ハリウッド映画の強さ・面白さの源泉は、映画製作に関与する人々の才能の豊かさだけではなく、映画を投資ビジネスとして見るシビアーな目と、これを支えるフィルム・マネジメントのノウハウの歴史的な蓄積の厚さにあるのではないかとの、私の実務家的側面からの着想があった。

 例えば、ハリウッド映画の予算書を見ると、製作部門の中に助監督・スクリプターと並んで、プロダクション・アカウンタントの言葉が必ずある。日本語に訳せば現場会計担当者とでもいうのだろうか。彼(又は彼女)は、日々の予算執行状況を費目別に把握し、これを翌日までにはプロデューサー等に報告する役割を果たす。会計の専門家であり、他の職務は兼任しない。「映画=ビジネス」と考えれば、当然不可欠な存在である。日本映画ではこのような専門家の関与はあるのだろうか。金の残りを気にするだけの勘と経験のどんぶり勘定となっていないだろうか。産業としての日本映画は、世界のフィルム・ビジネス、広くはエンターテインメント・ビジネスから、先進的な一部を除けば、相当かけ離れてしまっているのではないか、との危機感が私にはある。

 以下では、ハリウッドでの映画製作におけるマネジメントの手法を書く。日本映画界の伝統的な手法とかなり異なっていると思う。また、先程述べたプロダクション・アカウンタントが一例であるが、職能分化も著しく、日本の常識にどっぷりはまっていると理解しにくいかもしれない。あくまで、米国映画の製作過程と割り切って読んでいただきたい。