Business Trip(1998/5/14〜1998/7/11:USA  Tennessee)
第8週目
 

6/29(月)
残り2週間の始まった。
昨日までの疲れがあるせいか体がだるい・眠いの1日だった。仕事も最後の図面書きに入っている。明日の午前中で終わる。無くなりかけていたペンだこが復活した。
人事に郵船から電話があったみたいでシンシナティ経由の変更が出来たみたいである。とりあえず明日、人事に行って預けてあるチケットを受け取り、木曜の定時後にでも空港に行って、チケットの切り直しをしてもらわなくてはならない。とりあえず、E永さんの睡眠時間が1時間伸びたことは幸いである。

夕食は異人館に行ったが、駐車場が満杯。何か宴会でもやっているらしい。入れないので、しかたなくファミリーレストランに行って、安全パイのミートスパゲティを食べた。 

6/30(火)
6月も今日で終わり。
昨日の晩は結構眠れたので体調は良かった。図面が書き終わり、まとめの作業と明日のミーティング資料の作成を実施。

帰りのチケットを受け取りに人事に行き、郵船からの変更スケジュールのFAXが入っていることを確認出来た。連休前にはデルタの窓口に行って、チケットの切り直しをしなくてはならない。それと、日本に帰国スケジュールをFAXしなくてはならない。だんだん帰国日が近づくと手続き等が増えてきた。

本日で6月も終わり。残業記録を日本にFAX。今月は残業33H で終了。過去の出張者より少ないと思う。来月はオール定時ということで、S井君と意見が一致。 

7/1(水)
午前中はキーエンスと打ち合わせ、午後は生技と保全とでミーティングと結構忙しい日だった。
帰国連絡書にE永さんからサインをもらうとしたら、『サインやめようかな』と冗談を言ってきたが、E永さんの上司K川さんにサインをもらった。これで、帰国が許されたことになる。早速、日本の人事とS課長にFAXを発信。

昼食は水曜日お決まりの中華バッフェ。行ってみると、E永さんの両親と奥さん・子供達が食べていた。Eさんの両親が、『いつもお世話になっております』と言ってきたので、『こちらこそ』と小さな声で返した。そして、私達が皿に取っている内に帰ってしまっていた。

残業後、ノックスの空港に行って、帰りのチケットの切り直しと予約再確認を実施。デルタのカウンターで30分以上待たされたが、シンシナティ経由でのチケットが手に入った。その後、ステーキがおいしいと評判の店に車を走らせた。行ってみると結構駐車場が満杯だった。さらに店に入ってみると残席が無いほどの繁盛ぶりである。2人なのですぐに席に座れたが、頼んでも時間がかかりそうだった。注文したステーキは20オンスのサーロインステーキ。食べきれるか自信が無かった。でも、以外と待たずに出てきた。みると肉がでかい。しかし、食べてみると以外としつこくなく食べれ他。これなら全部いけそうだと思い、いっきにたいらげた。 

7/2(木)
今日からE永さんは5連休。
朝会社に行くと、生技のK川さんが夜に日本の保全A部課長に電話するようにと言ってきた。
仕事はいよいよレポート作成に入った。E永さんのパソコンを借りて、ワードに作成。過去の出張者のレポートを参考に3ページ作成。合計4ページになりそうだが、来週のために残しておいた。

いよいよ明日からは最後の大旅行が始まる。結構ハードな3日間になりそうである。

アパートに帰ってから、A部課長に電話。いきなり仕事の話をされた。T口君のやった仕事だが、帰国したら相談に乗ってやってくれということだった。その後は、土産の話をしてから、H家さんと変わってもらった。帰国フライトスケジュールの FAXが届いていることの確認と、H家さんの悩みの種を聞いた。この悩みは、私が帰国してから私も悩みそうである。とにかく困った奴だ。

明日は早い。4時30分で目覚ましセット。 

7/3(金)
朝4時30分に起き、5時にはアパートを出発。まず、6時5分のアトランタ行きに乗り、アトランタからラスベガス行きに乗り換えになる。空港に行くと出向者の家族(オルタ生技:K藤さん家族)と出張者2人がいた。ニューヨークに行くということだった。今回の3連休は、ほとんどの人が旅行だと聞いている。

アトランタからラスベガスまでのフライト時間は、約4時間。時差は3時間あり、到着すると10時近かった。予約してあるレンタカーのカウンターに行き、手続きをして、車のある所までシャトルバスで連れて行ってもらった。そこで、車の選択。中型のスポーツセダンタイプを選び、グランドキャニオンへと車を出発。途中で、フーバーダムという結構古いダムがあった。道が険しく、観光客で渋滞のため、抜けるのに時間を要した。とにかく、緑がないに等しい景色だった。岩山だけが目だった。I-40に入ってからも景色は変わらず、途中はもっとすごい、砂漠地帯みたいな所もあった。グランドキャニオンに行くためのI-40 の出口にさしかかってきたところから、車に振動を感じ始めていたが、そのまま出口で降りてグランドキャニオンに向かう1本道に入った。ちょっと、走った頃に追い越して行く車が私達の車の横に並んだ時にタイヤを指差した。その瞬間に「パンクだ!」と分かり、車を路肩に止めた。みごとにペシャンコ、サイドがいかれていた。とりあえず、テンポラリータイヤに交換し、近くのガソリンスタンドに行って、タイヤが手に入る場所を聞いた。7マイル程戻った所にあることが判明。来た道を戻り、修理工場を見つけた。レンタカーを借りる時に入った保険は故障などに掛かった料金はレンタカー会社が持つことになっていた。タイヤ交換をしている間に、店の人がレンタカー会社に電話をしてくれて、領収書があればOKということを確認してくれた。しかし、この辺はメキシコが近いせいか、スペイン語なまりの英語ということでS井君でも苦労していた。

なんとか、タイヤ交換も終わり、車をグランドキャニオンに向けて走らせることが出来た。1時間30分ほどのロスとなった。

グランドキャニオンに着いてからは、予約してあるホテル捜しをした。インターネットで地図を検索して、印刷したものを持ってきていたが、全然違っていた。ビジターセンターの売店にてホテル名を言って聞いたところ、ビジターセンターから7マイル戻った所のホテル街ということが分かった。

ホテルに行く前にちょっと見学。実際に見てみるとものすごさを感じた。明日はいろんな所に行って見ることにしてホテルに行った。

予約してあったホテルは結構設備が充実した所だった。高いだけのことはある。時差が3時間あるので夜9時でもテネシーだったら12時。夕食後は疲れもあってすぐ眠れた。 

7/4(土)
いつもの時間、7時ごろに目が開いた。しかし、ここでは、まだ4時なのだ。とりあえず、また寝てこちらの6時30分に起床。朝食を食べ、グランドキャニオンに出発。8時なので、まだ観光客は少ない。自家用車では入れない所をシャトルバスで見学。いろんなビューポイントで見たが、どこから見ても飽きない景色だった。10時30分頃に見学を終了して、車に戻る頃にはものすごい観光客の数になっていて、駐車場に入れない車があっちこっちで路上駐車になっていた。

私達はラスベガスに戻るために車を西へ走らせた。帰りはフーバーダムを通らず、I-40で一旦カルフォルニア州に出てから、北上するルートにした。しかし、どこを通っても砂漠地帯だった。

ラスベガス(写真1写真2写真3写真4)に着いてからは、ラスベガス大通りを通って、宿泊先のホテルに向かった。その道沿いには、ものすごいホテルがいくつもあった。宿泊先のホテルに到着したとき、こんなところに泊まっていいのかと思うくらい豪華なホテルだった。高い(175ドル)だけのことはある。チェックインをして、部屋に荷物を置いて、ホテル内にあるカジノ場を見学。なぜか東洋人(東南アジア系)が目に付く。そのあと夕食を済ませてから、ホテル内でのマジックショーを見た。マジックショーを見てから、外に出てラスベガスの夜景見学。ネオンのすごさと観光客のすごさに圧倒。カジノではスロットを数ドル。おさわり程度にして、ビールとつまみを買って部屋にもどった。ビールを買った所には、アサヒスーパードライ・一番搾り・黒ラベル等の日本ビールがあった。

7/5(日)
今日は泊まったホテル以外のカジノ見学。でも何処へ行ってもカジノはカジノ。あまり変わらない。ホテル「サーカス・サーカス」では、空中ブランコショーを見ることが出来た。それは、カジノ場の中にあるのだ。カジノをしている人とサーカスを見ている人が混ざっている状態はなんか変。

帰る時間まででショーを見るには時間が無いし、カジノで遊ぶにはお金が無い。結局早めにレンタカーを返して、空港に行くことにした。レンタカーの返却時に、タイヤ代の立て替えが了承してもらえるかが課題だったが、以外とすんなりOK だった。返却後、シャトルバスで空港に行き、チェックインをしてゲートの待合所で時間を過ごした。しかし、定刻になり始めたころ飛行機の故障修理をしていると放送が入り、出発が送れることになった。アトランタでの乗り継ぎが心配になってきた。約1時間遅れで出発。アトランタには、遅れを挽回したみたいで30分遅れで到着。しかし、乗り継ぎが10分。地下鉄を乗るため空港内を荷物を持って全力疾走。息を切らせながら搭乗。久々に走ったという感じだった。ノックスビルには10分遅れで到着。アパートに帰り、家に電話を入れ、シャワーを浴びてねたのが、1時30分だった。

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