ようこそ 知立神社へ       

も  く  じ
 知 立 神 社  土 御 前 社(つちのごぜんしゃ)
 多 宝 塔  芭 蕉 句 碑
 石 橋 と 『片目の鯉』の話 10  トネリコの木
 秋 葉 社 11  養 正 館
 親母神社(うばがみしゃ) 12  茶 室 ( 池 鯉 鮒 庵 )
 合 祀 殿(ごうしでん) 13  明治天皇歌碑(1)(2)
 小 山 天 神 社 14  各地にある知立(池鯉鮒)神社


平成25年11月15日、文化庁より登録有形文化財(建造物)の登録についての発表があり、
知立神社の下記の6件が登録文化財となりました
    ①知立神社本殿 天保2年(1831年)
    ②知立神社幣殿 大正年代
    ③知立神社拝殿 昭和29年(1954年)
    ④知立神社祭文殿及び回廊 明治29年(1896年)及び昭和29年(1954年)改修
    ⑤知立神社摂社親母神社 明治年代
    ⑥知立神社茶室 明治年代



1  知立神社(登録有形文化財)





 上の写真は拝殿奥の祭文殿を写した写真である。
左右にある6本の丸い柱は、 昭和28年(1953)の伊勢神宮
の式年遷宮で譲り受けた柱を再利用したものである。

 知立神社は、熱田神社・三島神社とともに江戸時代には、東海道を往来する旅人から東海の三名社と崇められた神社である。
 

 社伝によると、景行天皇の御代、日本武尊東征のおり、当地において、皇祖の神々に平定の祈願を行い、無事、その務めを果したことにより、当地に、建国の祖神を祀ったのが初め。一説には、仲哀天皇の頃とも言われているが、創建当初は、現在地の東1Kmの山町の北に鎮座していた。戦国代に焼失したため、上重原へ遷座したが、再度焼失したため、天正元年(1573)、現在地に移ったという。

嘉祥三年(850)慈覚大師(円仁)が当地に来た時に、蝮に咬まれたので、当社に参拝し祈願すると、痛みも腫れもなくなったことから、古来、蝮よけ・長虫よけの信仰があり、当社の神札を携帯して山に入っても、蝮に咬まれないという。
 

祭礼は、5月3日(元来は旧暦の4月3日であったが、昭和38年より5月3日となった)

 ※三河の国の一宮は、豊川市の砥鹿神社で、知立神社は二宮となっている。ちなみに三宮は豊田市の猿投神社であり、四宮は豊橋市の石巻神社であるといわれている

 御祭神  彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)   鵜草葦不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)   玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)
        神日本磐余彦命(カンヤマトイワレヒコノミコト)     聖徳太子(ショウトクタイシ)      青海首命(アオミノオビト) 

 御神徳   安産   雨乞い   長虫除け   その他諸々

 

 

2  多 宝 塔(国指定重要文化財) 

社伝によれば、嘉祥3年(850)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社の別当寺となった。
 現存する多宝塔は、永正6年(1509)重原城主山岡忠左衛門が再建した。                
 三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は篏板(はめいた)張りである。屋根は杮葺(こけらぶき)で、塔高さは約10mあり、室町時代の建築である。
 明治の神仏分離令の際には、、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を取り除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」
(右の写真)と名も替えて、取り壊しの難を免れた。
ー(知立市教育委員会)ー
「知立文庫」

※大正10年(1921)上層および相輪を復元してもとの状態にもどした。かって知立神社を訪れた京都大学の中西亨先生が「姿のよい塔ですね・・・」「このような平野で、しかもすぐ近く(岡崎を指す)に政治権力がいてよく遺せましたね。涙ぐましい話があるのでは・・・」と語られたことがある。 
※1、愛知県下の国指定重要文化財の多宝塔は下記の6塔である。 (
文字をクリックしてみてください↓)        
 
 大樹寺(岡崎市)、荒子観音(名古屋市)、万徳寺、性海寺(稲沢市)、密蔵院(春日井市)、東観音寺(豊橋市)
※2、多宝塔が神社に残っている例は極めて珍しく、重要文化財の多宝塔は知立神社を含めて3塔しかない。他の2塔は
厳島神社(広島県)と埼玉県の金鑚(かなさな)神社である。  

※3、屋根葺き材の知識
 桧皮葺(ひわだぶき)・・・知立神社の拝殿・本殿の屋根のようにヒノキの樹皮を使用。
 柿葺(こけらぶき)・・・・・・椹(さわら)などの厚み2~3mmの板を使用。竹釘で固定する。
 木賊葺(とくさぶき)・・・・ 厚み4~7mmの板を使用。
 栩葺(とちぶき)・・・・・・ ・厚み10~30mmの板を使用。  


 3  石 橋(市指定文化財)


 この橋は、半円形に反った太鼓橋(たいこばし)で、通常は木材で造るところをすべて花崗岩で作られている。全長6,6m、幅2,4m、水面よりの高さ1,7mを測る。石の桁(けた)を弧状に通し、その上に橋板である厚さ12cmの石の板19枚が並べられている。
 欄干南側石柱には、「享保17年(1732)11月吉日敬白」と刻まれている。
 『東海道名所図会』には、石橋は神籬(ひもろぎ)の外にあり、池を御手洗(みたらし)という、片目の魚ありなん」と書かれている。
 片目の魚は、身代わりとして娘を目の病から救ったためという言い伝えがある。
                                          
                                         (知立市教育委員会)

※神籬(ひもろぎ)とは、玉垣で囲んで神聖を保ったところの意。


『片目の鯉』(池鯉鮒のむかし話)

 知立神社の御手洗池の鯉は片目であると本に書かれたり、また、言い伝えられたりしています。
 その話は、知立の西町に住んでいた長者の家は、代々目の悪い人が多かったということでした。あるとき、長者の家のかわいい娘さんが重い病気にかかりました。いろんな手当をしてもなかなか治りませんでした。その上、かわいそうなことに目が見えなくなりそうになりました。両親は大変心配して、これはもう明神さま(知立神社はその昔、知立大明神といわれていた)にお願いするほかない。「娘の目が治りますように」と、願をかけ、毎日、毎日、一心にお参りしました。
 二十一日の満願の日、不思議な事に娘の片方の目が見えるようになりました。大変喜んで明神さまにお礼参りをしました。それから、御手洗池の鯉は片目になったということです。明神さまのお使いの鯉が自分の片目を娘さんにあげたからです。
 やがて、その話が伝えられて、御手洗池の水で目を洗うと目の病気が治ると信仰されるようになりました。その頃は、池の水は透きとおるようにきれいで、本当に目を洗うという人もあったということです。
 池には目を洗う人たちのために橋のすぐ脇に、柵の無いところがあって、水面近くまで降りられる階段が今でも残っています。



4  秋 葉 社

 祭神は、火之夜芸速男神、またの名を火之迦具土神。

 宝暦4年(1754)五ヶ町衆が駒場・一ツ木とともに遠州秋葉神社より金山(現在の逢妻町)に勧請し、享和3年(1803)、本社南の山林に移転、さらに昭和36年(1961)国道155号線の開通により社地が分断されることとなり、現在地に遷る。

 9月の祭礼(秋分の日に近い日曜日)には、近郷近在では最大の打上げ花火が奉納されていたが民家が立ち並び、花火を打ち上げれる場所の確保が難しくなったため平成17年度から中止となった。だが、勇壮な手筒花火の奉納は続けられている。市内6町(山町・山屋敷・中新町・本町・西町・宝町)の若者たちが玉箱をかつぎ、長持唄を歌いながら威勢良く町内を練り歩き、夕方になると知立神社に宮入りし手筒花火を奉納する。炎の高さが7mを超える迫力満点のシーンは祭りの見所でもある。
 ※ 写真は平成22年9月19日に奉納された手筒花火の様子(20日の中日新聞より)
 日が暮れた午後7時「いくぞー」という威勢のいい掛け声とともに地元の若衆たちが登場。手筒花火を両手で握り、円陣をつくったところで点火され、ごう音とともにオレンジ色の炎が瞬く間に7m以上の高さまで吹き上がる。東三河の手筒花火と異なり「はね」と呼ばれる最後の爆発はないが、全身に火の粉を浴びながら、身じろぎもしない男たちの勇ましさに見物客からは大きな歓声があがる。




5 親母神社(うばがみしゃ)
(愛知県登録文化財)
6  合 祀 殿 7  小山天神社


祭神は、豊玉比売命
   
   
 鵜草葦不合尊の生みの親
    玉依比売命の姉

※彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と結ばれ鵜草葦不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を出産するが、御産する姿を彦火火出見尊に見られてしまったのを恥ずかしく思い海の世界に戻ってしまった。乳母として妹の玉依比売命を地上に送った。 

もともとは、知立神社境内地及び町内各所に祀られていて、明治6年(1973)政府の指示で本社境内に集められた小社が、更に維持管理の都合で一つの祠に集められて祀られたもの。

 神明社、白山媛社、津島社、西山神社、東山神社、稲荷社、市杵島社、 祓戸社、弁天社、荒神社
豊受社も一時は祀られていたが、長篠のもとの場所に戻った。


祭神は、少彦名命(すくなひこのなのみこと)

 江戸時代の初期に廃社なっていたのを昭和10年(1935)西町の酒蔵家竹内倉次郎氏が再建された。医薬の神様である。



8  土御前社(つちのごぜんしゃ)

  祭神は、吉備武彦命(きびたけひこのみこと)・・・知立神社御造営奉行

  ※知立神社が現在地に遷座する以前から「土御前社」は、すでにこの地にあったと云われている。

  八月の第4日曜日が祭礼で、子ども相撲が奉納される。(西町)


9  芭蕉句碑(市指定文化財)


 不断堂川  池鯉鮒の宿農  木綿市
  ふだんたつ    ちりふのしゅくの    もめんいち

 元禄9年(1692)秋9月、江戸深川で詠まれた芭蕉の句である。木綿市についての資料は乏しいが、江戸で「池付白(いけつきしろ)」と呼ばれて好評な三河木綿の集散地であった賑わいが伺われるようである。
 池鯉鮒蕉門の俳人井村祖風が、寛政5年(1793)この句が作られて百年目に当たったのを記念し、同行の士15名に働きかけて建立されたもので、その名は碑陰に刻まれている。(知立市教育委員会)

 ※芭蕉がこの句を詠んだおよそ120年後の文化10年(1813)に小林一茶が「初雪や 池鯉鮒の市の 銭かます」と当時の知立の繁栄振りを芭蕉と同じように詠んでいる。一茶の句碑は、東海道の松並木沿いにある。



10  トネリコの木(市指定天然記念物)

 
 モクセイ科の落葉小喬木で、別名サトトネリコ。本州中部以北の山地に自生し、人家や田の畦にも植える。葉は羽状複葉で、春に淡緑色の細花をつける。雌雄異株。 樹皮を秦皮(しんぴ)と称し、神経痛・リュウマチ・赤痢などの治療に用いる。また材は堅く弾性があるため建築・家具材や野球のバットにも用いられる。 このトネリコは、西三河地方では最も古木と言われている。高さは6m、南北の枝張りが8.3m、根回りは3.4m、幹の太さは1.95mに及ぶ。 (知立市教育委員会)

 ※ 和名の由来は、本種の樹皮に付着しているイボタロウムシが分泌する蝋物質(イボタロウ)にあり、動きの悪くなった敷居の溝にこれを塗って滑りを良くすることから「戸に塗る木(ト--ヌル-キ)」とされたのが、やがて転訛して「トネリコ」と発音されるようになったものと考えられている。(インターネットフリー百科wikipediaより)




11  養  正  館
(通称 記念館:明治19年建築」、昭和9年現在地に移築)

 明治19年(1886)に明治用水事務所として、知立古城跡に建てられた(しかし、その後の明治用水の管理機構の変遷により現在の明治用水会館は安城市池浦町にある)。知立神社境内へは、昭和9年(1934)に移築されその名称も「養正館」と命名された。移築後も様々に活用されてきたが、その都度改築され間取りも変わり、現在では老朽化が進み残念なことではあるが廃屋同然の如き状況に置かれている。しかし、明治10年代の木造建築で現在も残存しているのは、愛知県下では3例しかなく、建築家の評価は高い。

 明治23年(1890)に陸海軍合同の大演習が西三河地方で行われた折の、明治天皇以下、明治政府の重鎮及び各国の公使や武官の方々が小休止されたのもこの建物である。このことから地元では「記念館」と呼ばれている。また、小学校の仮校舎、保育園、老人憩いの家だったこともあり、懐かしむ人々も多い。
※「養正」の名は、神武天皇建国の詔勅よりいただいたと云われている。




12  茶 室 (池鯉鮒庵)(愛知県登録文化財)
(自由民権運動の先覚者板垣退助が旅の疲れを癒したこともあると云われている茶室)


池鯉鮒庵入口

側面から見た茶室

南天の床柱
(曲線の柱)

京都金閣寺の夕佳亭
南天の床柱で有名

 茶室「池鯉鮒庵」は、かっては初代知立町長早川啓次郎宅(現在の知立市西町)にあったものが昭和43年に現在地に移築された。(啓次郎の父がおよそ200年前に建てたものと云われている。)
 
 早川啓次郎は、当時この地方の自由民権運動の中心的な活動家であった内藤魯一と親交があり、明治15年(1982)に板垣退助が東海道遊説の際、知立で開いた懇親会に啓次郎も出席した。その後、啓次郎宅の茶室で板垣退助が旅の疲れを癒したと云われている。

 なお、茶室「池鯉鮒庵」の床柱には、あの有名な京都金閣寺の茶室「夕佳亭」と同様に南天(ナンテン)の木が使われている。毎年5月末から開かれる花ショウブ祭りの期間中には毎日茶会が開かれているので、一度は足を運んでみたいものである。ちなみにこの茶室から見られる花ショウブのは最高の眺めとなっている。


 

13  明治天皇歌碑

(知立神社境内には2つの明治天皇の歌碑が建てられている。2つとも昭和50年に建立。)


土の御前社右脇に立つ歌碑




         ありとある   人をつとへて   春ことに

                    花のうたけを   ひらきてしかな

かきつばた園に立つ歌碑




         かきつはた   にほえる池は   かけわたす

                       橋こそ花の   たえまなりけり




14  各地にある知立(池鯉鮒)神社

このホームページを見られた方へのお願い

現在、全国にある知立神社(池鯉鮒神社)を探しています。もし皆様方のお近くに下記
に掲載してある知立神社(池鯉鮒神社)の一覧表以外に神社(石碑でもかまいません)
がございましたらお知らせ頂ければ幸いに思います。どんな小さな神社でもかまいません。
 連絡先 0566-81-0055(知立神社)または、Eメールで kakitu64@katch.ne.jp 宛へ 
追伸 このホームページそのものは知立神社の公式なものではございません。

1 東京都新宿区にある池立神社
(鎮座地 東京都新宿区喜久井町20番地)
2 福井県福井市にある池鯉鮒神社
(鎮座地 福井県福井市清水町清水山)
3 愛知県安城市にある知立神社
(鎮座地 安城市安城町拝木8番地付近)

池立神社鳥居

山頂麓にある大鳥居

鳥居(奥に見える金の鳥居は秋葉神社)

かわいらしい社殿

山頂にある社殿

社 殿
 江戸時代に越前松平藩の江戸藩邸内にあった社が時代の変遷の中、紆余曲折を経て、新宿区喜久井町に地域の人々の手によって守られ、現在なお「池立神社」という名称で祀られている。

 初代藩主松平秀康(結城秀康:徳川家康の二男)が知立と深い縁のある人物であったことから、越前松平藩の江戸藩邸にも祀られていたと云うことである。
 松平秀康(結城秀康)が関ヶ原の戦いの折り、関東に残り、上杉軍の動きを牽制した功により、家康より越前68万石の大名に封ぜられた際、ゆかりの深い知立より、秀康の守護神として知立神社の分霊を福井に奉賛し祀ったと云われている。

 現在でも地域の人々によって、古来より受け継がれた夏祭りが盛大に挙行されている。
 この知立神社の鎮座する近くの地域の人々(常福寺組・東尾組・県木組など)の有志が明神講を組織し、年に一度講金を集め、代表が知立市の知立神社に代参し、お砂(オスナ)を頂いて、ジャムシや毒虫にかけるということが行われてきた。(※旧安城市史第9巻「資料編・民族」より)

 勧請・創建・・・慶応年間(1865~1867)
 御祭神・・・・・・知立神社(知立市)に同じ
4 名古屋市中川区にある知立神社
(鎮座地 名古屋市中川区松年町1-50番地)
5 名古屋市港区にある池鯉鮒神社
(鎮座地 名古屋市港区魁町2-31番地付近)
6 諏訪神社境内にある池鯉鮒神社
(鎮座地 群馬県高崎市倉賀野

「村社 知立神社」とかかれた石柱

池鯉鮒神社とかかれた石柱

中央の石の社の台座に池鯉鮒神社とある
(※日本の最も東に位置する知立神社)

本 殿

拝殿(奥に本殿が小さく見える))

諏訪神社拝殿と鳥居
 この地域の氏神様として、境内の敷地も広く、大切にされている。私が訪れた時も、境内はほうき目もあざやかにきれいに掃き清められてていた。
※ この神社の創建のいわれは、現在のところ不明である。知っている人がみえましたらお教え下さい。
 この神社は、江戸時代に中川橋付近を流れてきた「池鯉鮒神社」の御札を拾い上げ祀ったのが初めであると云われている。 明治40年ころにこの地に還座された。
 また、一説には天保4年(1833)に三河の知立にある知立神社より勧請されたとも云われている。
   ある人(諏訪神社を訪れた方)の日記

 境内の奥に「池鯉鮒神社」というのが祀られています。「ちりう・じんじゃ」と読むそうで、その昔、愛知県の知立市から勧請された「蝮(まむし)除け」の神様だそうです。
 
7 「智鯉鮒大明神(石碑)
(群馬県安中市大谷地区に鎮座)
8 「池鯉鮒大明神」(石碑)
(群馬県高崎市鼻高町の天満宮に鎮座)
9 「池鯉鮒大神」(石碑)
(飯田市上堅久小野子の卯月山登山道の脇)
 石碑の大きさは、右図のようにおよそ高さ90cm,横幅68cmである。
 大谷地区の主要街道沿いの福泉寺入口付近の小高い所に安置されている。
 永い年月を経たせいか、大明神の「神」の文字は半分ほど地中に埋もれていた。

 天満宮境内に立ち並ぶ数個の石碑の1つにうっすらと「池鯉鮒大明神」と読み取れる石碑がある。
 卯月山登山道の途中に大小の石碑が7つ立ち並んでいる所がある。そしてその横には、木製のお社が長屋のように5社並んでいる。
 小野子集落の人々は今でも年に一度、ここまで登ってきてささやかながら御酒を酌み交わしながらの祀りを催している。

 社わきの板に「池鮒神社」の名が読み取れる。


10 南信州遠山郷の「知立神社
(長野県飯田市南信濃上村に鎮座)
11 池鯉鮒大明神
(長野県伊那市手良中坪に鎮座))
12浅間神社の境内社の池鯉鮒社
(山梨県富士吉田市吉田5558に鎮座)
13 白国神社境内の「池鯉鮒社
(兵庫県姫路市白国に鎮座)

夜川瀬トンネル入口近くに鎮座

集落からやや外れた農道
の三叉路に鎮座している

祭神「少名彦名命」

池鯉鮒(ちりう)社
祭神「三穂津姫神」」

マムシ除けの「知立神社」

北口本宮富士浅間神社の拝殿

白国神社拝殿
 現在遠山郷では「神々の棲む里 和田三十三霊場巡り」と題して、村おこしをしている。その第4番目の霊場として知立神社がの祠がある。そして立札には「遠山はマムシの多い所、マムシ除けの神を祀る知立神社を勧請し安全を願ったと書かれている。  可愛らしい祠の台座のすぐ右前に少し傾いてはいるが、まだ新しい石碑「池鯉鮒大明神 平成二十一年」が建てられている。
 地域の代表の方が、愛知県知立市にある知立神社に代参にみえるとのこと。
 全国からの参拝者でにぎわう「北口本宮富士浅間神社」の境内には27社もの境内社が祀られている。そしてその中の一つとして堂々と「池鯉鮒社」が祀られている。しかし、なぜか祭神は「少名彦名命」と記されている。  白国神社はその歴史も古く、兵庫県姫路地方の格式の高い神社である。
 そして「池鯉鮒(ちりう)社」の説明として、「当社は古来マムシ除けの神様として農耕作業の安全を守るために祀られましたが、近年学問・縁結びの外、総ての願い事を叶えてくれる格別信仰の厚いかみさまです」とある。

 ここでは、知立神社の御分社・御分霊として18社を紹介しましたが、このほかにまだまだ数多くの社が存在
していると思われます。これまでの調査で見つけた知立神社の御分社・御分霊の一覧表を下記に掲示します。

現在、全国にある知立神社(池鯉鮒神社)を探しています。もし皆様方のお近くに下記
に掲載してある知立神社(池鯉鮒神社)の一覧表以外に神社がございましたら、お知
らせ頂ければ幸いに思います。どんな小さな神社でもかまいません。
 連絡先 0566-81-0055(知立神社)または、Eメールで kakitu64@katch.ne.jp 宛へ 
追伸 このホームページそのものは知立神社の公式なものではございません。

愛知県内にある知立(池鯉鮒)神社一覧表(※数字は上記神社の再掲)
神社の名称 鎮 座 地 神社の名称(境内社) 備 考
1 知立神社 安城市安城町拝木8番地付近 知立市にある知立神社の境外末社 祭神(知立市の神社に同じ)
2 池鯉鮒神社 名古屋市港区魁町2丁目31付近 池鯉鮒神社 「知立神社」表記の石柱もある
3 知立神社 名古屋市中川区松年町1-50番地 知立神社 祭神( 鵜草葦不合尊 )
4 若宮八幡宮 豊田市鴛鴨町新林 知立社(境内社) 祭神(吉備武彦命 )
5 八柱神社 豊田市森町3丁目 知 立 神 社(境内社) 祭神(神日本磐余命 )
6 春日神社 愛知郡東郷町大字春木字上の畑 知立社(境内社) ・・・
7 (部田)春日神社      春木字西前6760番地 池 鯉 鮒 社(境内社) ・・・
8 海椙(うすぎ)神社 常滑市大和6丁目17番地 池 鯉 鮒 社(境内社) ・・・
9 (御替地)神明社 名古屋市南区2丁目8番地 池 鯉 鮒 社(境内社) 祭神( 鵜茅葦不合命 )
10 諸鍬神社 犬山市裏の門221番地 池 鯉 鮒 社(境内社) ・・・
11 八幡神社 半田市岩滑中町7丁目80番地 知 立 神 社(境内社) ・・・
12 神  明  社 豊田市上郷町御所名残160 知 立 神 社(境内社) 祭神( 鵜草葦不合尊 )
13 日吉山王社 知立市八橋町寺内65 知立大明神明神社(境内社) 祭神( 知立皇大神 )
14 神 明 社 日進市野方町清水 知 立 神 社( 境 内 社) ・・・
15 針 名 神 社 名古屋市天白区平針大根ヶ越175 知 立 社 境内社の神明社に合祀されている
16 八  劔 社 知立市上重原町村上102番地 (重原)明神社( 境 内 社 )
17 神 明 神 社 南知多町豊丘字宮前2番地 池 鯉 鮒 社 ( 境 内 社 )
18 菅田(すげた)神社 名古屋市天白区菅田2丁目103 知 立 神 社 ( 境 内 社 )
19
20
知里付神社 武豊町東大高池田4番地 知立神社とは関係なさそうである


愛知県外にある知立(池鯉鮒)神社一覧(※数字は上記神社の再掲)

神社の名称 鎮 座 地 神社の名称(境内社) 備 考
1 池立神社 東京都新宿区喜久井町20 (いけたち じんじゃ) ※越前松平家の江戸藩邸内
2 池鯉鮒神社 福井県福井市清水町清水山 ※平成17年に大鳥居建立 ※結城秀康の守り神として勧請
3 大島・奥津島神社 滋賀県近江八幡市島町 池鯉鮒権現(境外社) 奥津山の山頂近くに鎮座
4 日 永 神 社 三重県四日市市日永 池 鯉 鮒 社 明治41年に合祀
5 六 所 神 社 静岡県浜松市浜北区宮口 池 鯉 鮒 神 社 合祀殿内に「知立神社」の名札
6 富士浅間神社 山梨県富士吉田市上吉田5558 池 鯉 鮒 社(境内社) 祭神( 少名彦名命 )
7 諏 訪 神 社 群馬県高崎市倉賀野 池 鯉 鮒 神 社(境内社) 石造のお社
8 白山比咩神社 群馬県安中市岩井616 池 鯉 鮒 社 明治41年に合祀
9 白山比咩神社 群馬県安中市野殿1910 池 鯉 鮒 社 明治41年に合祀
10 智鯉鮒大明神 群馬県安中市大谷637付近 智鯉鮒大明神(道路脇に建立) 石 碑
11       〃 高崎市鼻高町 池鯉鮒大明神(境内社) 石 碑
12     長野県飯田市南信濃上村(遠山郷和田) 知立神社 (草地の斜面に建つ) 夜川瀬トンネル入口の近く
13 池鯉鮒大神(卯月山) 長野県飯田市上久堅小野子 池鯉鮒大神(登山道の途中) 石 碑
14 池鯉鮒神社 長野県飯田市座光寺 池 鯉 鮒 神 社 広場脇の祠(古くて壊れそう)
15 池鯉鮒大明神 長野県伊那市手良中坪558付近 池 鯉 鮒 大 明 神 祠の中に石碑あり
16 白国神社 兵庫県姫路市白国 池 鯉 鮒 社(境内社) 祭神( 三穂津姫神 
17 桑原神社 兵庫県姫路市伊伝居町413付近 智 鮒神社(境内社)
・・・
18 稲岡神社 兵庫県姫路市青山2丁目11付近 池 鯉 鮒 社(境内社) ・・・
19 八王子神社 兵庫県姫路市書写1699付近 池 鯉 鮒 社(境内社) ・・・
20 斎(いつき)神社 兵庫県姫路市実法寺217 池 鯉 鮒 神 社(境内社) 祭神( 大己貴命 ))
21 天 満 宮 兵庫県姫路市御国野国分寺 知 立 神 社(境内社) ・・・
22 智鯉鮒大明神 鳥取県米子市尾高(観音寺境内) 智鯉鮒大明神の碑 石 碑
 現在(平成23年10月11日)最も西にある知立神社関係の石碑
観音寺本堂

「智鯉鮒大明神」

石碑正面の拡大
23 手向神社(とうげじんじゃ) 岐阜県恵那市山岡町上手向274 池 鯉 鮒 神 社 (境内社) .・・・

以上