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素敵な音楽をあなたに けんちゃんが歌うシリーズ第3弾2006/6/19 ♪Kenji sings ”What a friend we have in Jesus”♪
「いつくしみ深き友なるイエスは」で知られる賛美歌312番、日本では明治43年に「教科統合中学唱歌」に載せられました。 歌は生きている実感そのもの われわれは今確かに生きていることはわかっているが、そのことをどのように表現し実感しえるのか。
よく今が大事といいます。過去にとらわれず、未来に縛られず、今を大切にとよく言います。では、今とはいったいいつのことを言うのでしょうか。今という時は、あるにはあるがよく考えてみると、それはまったくとらえどころが無いのである。なぜならば今というときは、一瞬であるからである。一瞬といってもそれは停止していなくて常に変化している。とすると、今という一瞬のときは決して捉えることができないということがわかる。そしてそれは常に過去と未来の間に流れている。だから、現在を大事に生きよということは、過去も未来も大切にせよということに他ならない。このことを、見事に表現しているのが音楽である。音楽による感動は、理屈を超えわれわれの心に実感として生きていることを感じさせてくれるのだ。悲しいこともうれしいことも、すべて生きている実感として、音楽の流れと同調する。生きているということは停止は許されない。停止は死である。音楽も停止は許されない。音楽が停止したときはそれは単なる音である。メロディーは停止は許されない。ひとつの音は一瞬にして過去の音になる。しかし、それは消え去ることなく、人の心に残る、その過ぎ去った音は未来の音を連想せしめる。そして、現在の音が生まれる。現在の音は、今度は未来の音を連想させる。未来の音は、いまだ聞こえない音であるけれど、現在の音が消え去る前に心の中で聞こえ始めている。それが、メロディーであり音楽である。今を生きるということは、まさに音楽のメロディーやリズムと一体なのだ。だから、誰も、生きている限り、音楽の中を生きているのである。 |
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