2.文章の上達法
Up 1.文章とは何か 2.文章の上達法 3.文章の要素

 

文章の上達法

谷崎潤一郎著

第一に申し上げたいのは、

文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法に囚われるな。ということであります。

全体、日本語には、西洋語にあるような難しい文法というものはありません。

専門の国学者でもない限り、文法的に誤りのない文章を書いている人は、一人もないでありましょう。また、間違えても実際には差し支えなく通用している。

また日本語のセンテンスは必ずしも主格のあることを必要としない。「お暑うございます。」「お寒うございます。」「御機嫌は如何でいらしゃいます。」などと言う時に、いちいち「今日のお天気は」とか「あなたは」とか断るものは誰もいない。「暑い。」「寒い。」「淋しかった。」でも、立派に一つのセンテンスになり得る。つまり日本語には英文法におけるセンテンスの構成というようなものが存在しない。どんな句でも、たった一つの単語でも、随時随所に独立したセンテンスになり得るのでありますから、われわれは特にセンテンスなどというものを考えるまでもない。

しかしながら、左様に日本語には明確な文法がありませんから、従ってそれを習得するのがはなはだ困難なわけであります。

西洋人が最も困難を感ずるのは、主格を現すテニヲハの「ハ」と「ガ」の区別だそうでありますが、なるはど、「花は散る」というのと「花が散る」というのと、明らかに使い道が違っておりまして、われわれならその場に臨んで迷うことはありませんけれども、さてそれを、一般に当てはまる規則として、抽象的に言えといえば出来ない。

そういう次第でありますから、日本語を習いますのには、実地にあたって何遍でも繰り返すうちに自然と会得するより外、他に方法はないというのが真実であります。

(このことはまったく英会話を勉強するのに同様なことがいえる。)

今日学校で教えている国文法というものは、つまり双方の便宜上、非科学的な国語の構造を出来るだけ科学的に、西洋流に偽装しまして、強いて「こうでなければならぬ」という法則を作ったのであると、そう申してもまず差し支えなかろうかと思います。たとえば主格のないセンテンスは誤りであると教えておりますのは、そう定めた方が教え易く、覚え易いからでありまして、実際にはいっこうその規則が行われていない。

かように申しましても、私は文法の必要を全然否定するのではありません。初学者にとっては、一応日本文を西洋流に組み立てた方が覚え易いというのであったら、それも一時の便法としてやむを得ないでありましょう。ですが、そんなふうにして、曲がりなりにも文章が書けるようになりましたならば、今度はあまり文法のことを考えずに、文法のためにおかれた煩瑣な言葉を省くことに努め、国文の持つ簡素な形式に還元するように心がけるのが、名文を書く秘訣の一つなのであります。

(日本人が英語を学ぶ時も、文法は必要不可欠です。なぜならば、日本にいて自分の英語が正しいかどうかの基準は文法に頼るしかない。ただし、文法的に正しい英語が、英会話では自然な英語になりうるかは疑問である。)

感覚を研くこと

文章に上達するのには、どういうのが名文であり、どういうのが悪文であるかを知らなければなりません。しかしながら、文章のよしあしは「いわく言い難し」でありまして、ただいまものべましたように理屈を超越したものでありますから、読者自身が感覚をもって感じ分けるより外に他から教えようは無いのであります。

文章とても、それを味わうには感覚に依るところが多大であります。そこで、感覚を研くのにはどうすればよいかというと、出来るだけ多くのものを、繰り返して読むことが第一であります。次に実際に自分で作ってみることが第二であります。

第一の条件は、あえて文章に限ったことではありません。総て感覚というものは、何度も繰り返して感じるうちに鋭敏になるのであります。

文章に対する感覚を研くのには、昔の寺小屋式の教授法が最も適している所以(ゆえん)が、おわかりになったでありましょう。講釈をせずに、繰り返し繰り返し音読せしめる、或いは暗誦せしめるという方法は、まことに気の長い、のろくさいやり方のようでありますが、実はこれが何より有効なのであります。が、そう言っても今日の時勢にそれをそのまま実行することは困難でありましょうから、せめて皆さんはその趣意をもって、古来の名文といわれるものを、出来るだけ多く、そうして繰り返し読むことです。多く読むことも必要でありますが、むやみに欲張って乱読をせず、一つものを繰り返しくり返し、暗誦することが出来るくらいに読む。たまたま意味のわからない箇所があっても、あまりそれにこだわらないで、漠然とわかった程度にしておいて読む。そうするうちには次第に感覚が研かれてきて、名文の味わいが会得されるようになり、それと同時に、意味の不明であった箇所も、夜がほのぼのと明けるように釈然としてくる。すなわち感覚に導かれて、文章道の奥義に悟入するのであります。

(まったく、『英会と文法』で述べられていることそのままであることがお分かりと思います。)

「3.文章の要素」へつづく

(注意)括弧に囲まれた色違いの文章は、服部健治の意見です。

 

((Kenji Hattori's website))