愛知県碧南市 どこに幸せはある? 公園で出会う風景は私を元気にしてくれる
<年を重ねる事に自分の未熟さを知る。落ち込んだり、絶望したり、疑心暗鬼になったり、何もかも嫌になったりした時に、僕は公園に行く。そこには僕が忘れかけていた気持ちがあるから> 公園には、いろいろな人がやってくる。僕にとっては赤の他人だけど、それぞれに大切な人生がある。 僕だけが辛い人生を生きている訳ではなくて、みんな苦しい思いをしている。なのに公園に来る人たちは本当に幸せな顔。 ヨチヨチ歩きを始めた赤ちゃんを連れた若い夫婦。これから先、蜜月を迎えるカップル。息子・娘達が巣立っていき2人の時を楽しむ実年夫婦。 みんなキラキラ輝いている。僕も彼らのようになりたい。 お金ももちろん必要だけれど、なにより大切な人が一緒にいてくれる安心感、これが本当の幸せなんだと今さら気づいた。 公園に来る全ての幸せな人たちにありがとう。いつの日か僕も誰かの大切な人でありたい。
新緑の季節、明石公園には、たくさんの園児達がやって来る。 先生に連れられて行儀良く行進。園児達の顔には、これから始まる楽しい一時への期待に溢れた表情。 一団になって大きな木の下で輪になる。一通り、先生からのお話を終えたあと、一斉に公園の遊具へと走り出す園児達。 朗らかな春の陽気、大きな木の下に残された小さなリュックの輪。なんと幸せな光景だのだろう。 「今日から僕はパパになる」と、覚悟を決める友人にたいして腹を抱えて笑った自分。 「もっと先に、さらに先に求める幸せがある」と、まわりを見ずに頑なに生きた自分。いつか私はひとりぼっちになってしまった。 大きな木の下にある「小さなリュックの輪」は、”子供のために一所懸命に働き、子供のために一喜一憂し、子供の成長を楽しみにする”喜びを私に想像させた。 少子化に従う諸問題が今後深刻化していくだろう昨今、「子育ての大変さ」がよりクローズアップされ、「子供を育てる喜び」が伝えられてこなかったのはなぜだろう。
< text • photo by heboto >