愛知県碧南市 大浜・堀川沿いに咲く桜は みんなの心を優しく癒す不思議な力
<大浜・堀川に架かる3つの橋の内で、一番のんびりした橋、堀川橋。春になると堀川橋で立ち尽くす人沢山。忘れかけていた”大浜のこころ”を再び呼び覚ます> 大浜の民衆にとって、春になると自慢したいものがある。堀川沿いに咲く一本の桜は、大浜の宝のひとつ。 いつの頃、誰によってといった由緒は、全く不明。ただ春になると、堀川橋の上で、桜に魅了された人々が立ち尽くす。 広がる堀川の景色、一本の桜の傘が低く垂れ込め、背後に黒壁の蔵が重なる。綺麗だなと思う心と同時に切なくもなる。 遠い昔に忘れてしまった”大浜”が春にだけ戻ってくる。
<2004年に来襲した台風23号により被害。一本の桜木から2種の花が咲いていた珍しさも今は昔となる。白とピンクの桜の競演は、もう見られなくなってしまった事は誠に残念!> 堀川沿いに咲き誇る桜は、かつて一本の木から2種類の花を咲かせていた。 正確に言えば、一本の幹から別の種類の桜が派生し、それぞれの花を咲かせるという面白味のある特色があった。 堀川橋から望む白とピンクの桜花は、川岸の黒蔵と相まって素晴らしい景観を見せていた。 だが、事件は起こる。2004年に来襲した台風23号が白い花を咲かせる桜の幹を折ってしまったのだ。 橋の欄干に引っかかる形で、何日も痛い姿を晒し、「もう見られないのか…」と、道行く人々の心を痛ませた。 この台風23号は、他にも「碧緑地」のユーカリ林をなぎ倒したり、油ヶ淵遊園の柳を枯れさせたりと、好き放題に被害を与えた。
寛永元年(1624)、矢作川が氾濫し濁流が大浜を襲う。文禄元年(1592)以来続いてきた塩田が埋没してしまい、製塩業は存続の危機に陥る。 寛永5年(1628)、塩田復興の為に「石川八郎右衛門」は、濁流が流れた跡である河道を改修し、新たな河川をつくりあげた。 それが今日、大浜に流れる「堀川」である。石川八郎右衛門が堀川を開削してから後に、堀川両岸は荷揚げ場として栄え、大浜の海運が栄える元となった。 現在、堀川から船は消えてしまったが、往時の賑わいを偲んでか、堀川左岸には綺麗な花がたくさん咲いている。 この花たちは、老人会の人々や地元住民などの協力によって育てられているもの。 梅から始まり、桃、桜、椿、牡丹、藤の花、花菖蒲、アジサイと色鮮やかに揃えている。 なかでも牡丹は知られた存在で、新聞や「へきなん広報」にも開花の知らせが載るほど。 遠来よりこの花たちを見るためにやって来る人達もいて、スケッチブックを開き、絵にする光景も多々見られる。
< text • photo by heboto >