愛知県碧南市 東姫の守り本尊「聖観音菩薩立像」脇の銀杏に現れた「人の顔」

碧南の不思議な話

木から微笑み顔

銀杏の切り株に現れた「笑顔」は感謝の印か 「聖観音菩薩像」と共に今も

切り株に笑い顔

<東姫が守り本尊とした「聖観音菩薩立像」が安置される称名寺の収蔵庫。隣りにある一本の銀杏。枝を切り落とした所、現れる顔。人々の間で様々な憶測が飛ぶ。切り倒される運命にあった銀杏を救ってくれた人々に、切り株の顔となって感謝の意を伝えた> 現在、愛知県指定有形文化財である「木造 聖観音菩薩立像」は、大浜・称名寺の収蔵庫に収められている。 聖観音菩薩立像は、徳川家康の祖父・松平信忠の娘である「東姫」が守り本尊としていた由緒。 収蔵庫は、鉄筋コンクリート・鉄扉で昭和50年代に築造されたと記憶している。「ほら、収蔵庫の階段をのぼって見てみ、顔が見えるだろ」と墓参り帰りのお婆さんが声を掛けて来た。 私はその言葉の意味を理解していた。銀杏の切り株に顔が浮かんでいるのである。私が子供の頃、恐怖の存在であった。 しかし、その「顔」の経緯は、お婆さんに聞くまではずっと知らなかった。 指定文化財となり、火災等から聖観音菩薩立像を守るために、新たに収蔵庫を築造する話が持ち上がる。 建設用地となった場所には、一本の銀杏があり、当初はその銀杏を切り倒して収蔵庫を造る予定だった。 だが、銀杏を惜しむ人々から声があがり、屋根に掛かる枝を切ることで話は収まった。 そこで枝を切り落としてみると、「顔」が現れたのである。その表情は口角を上げ、微笑みの顔。 当時の人々の間には、「切り倒さずに残してくれた銀杏の感謝の表情」だと噂になった。

コンクリート壁から覗く樹

<鷲塚は木々を大切にする土地柄。その意味を伺い知る光景を鷲塚・天満神社で見つけた。かつてあった「舟繋ぎの松」は、別名「血しぶきの松」と呼ばれ、枝を折ると血が出ると子供達は教えられた。でもそれは…> 旭北部にある鷲塚の地。その氏神は天満神社である。境内のほぼ中心には、遠くからでもその美しい姿を望める老松があり、現在の鷲塚におけるランドマーク的な存在だ。 天満神社の北東にある入り口で、実に鷲塚の心を感じる光景に出会えた。天満神社の敷地は台地状を成しており、縁となる斜面を近年、新しく造成し直した。 コンクリートブロックに覆われた面から、古来より存在していた木々が顔を出す。普通ならば、邪魔な木々を伐採してしまうものだが、この鷲塚・天満神社の斜面には、木々を避けて新たに縁取りまで施してある。 「木々を大切にする」精神は、現代においても鷲塚の人々の中に脈々と生きている。その精神は、あの「舟繋ぎの松」の存在が育てたのかも知れない。 「舟繋ぎの松」とは、今は埋め立てられて存在しない「お初池」の畔にあった一本の老松。菅原道真が鷲塚の地を訪れた際、家臣の「鷲臣命」が病死し、埋葬した時に墓標として植えられた松と旭村誌は伝えている。 惜しくも昭和48年(1973)頃に松食い虫の被害に遭い、老松は枯れてしまった。「舟繋ぎ」とは、古来、鷲塚が海に浮かぶ孤島であった時代に船を繋ぎとめておいた松であったから。 別名「血しぶきの松」と呼ばれ、枝を折ると血が出ると伝えられた。でもこれは、子供が大切な松に悪戯しないようにという配慮。 今も鷲塚の人々に「舟繋ぎの松」を問えば、実に嬉しそうに答えてくれる。

ヘボト自画像ヘボトの「街談巷説(がいだんこうせつ)」

咲き誇る向日葵

「碧南市に花が咲く」

碧南駅~吉良吉田駅間の三河線が消え、迎えた最初の夏。いつもは緑豊かなニンジン畑が見られる場所に、一面、黄色の絨毯を敷き詰めたかのような風景。 大輪を咲かせる向日葵たちが光の差す東の方向へ、一斉に顔を向けている。のどかな時の流れるその光景に、忘れかけていた気持ちを思い出す。 若い頃は、単に人を喜ばせる道具に過ぎなかった花という存在を、いつの間に愛おしいと思える風になったのは、それだけ自分が世の中にまみれたということか。 花に目が向くようになると気付く。碧南市はいかに花の多いことか。 休耕地に向日葵を咲かす農家が増えた。歩道沿いの隙間にちょっとした草花が咲くようになった。 プランターに花を咲かせる家庭を見かけるようになった。私の子供時代には存在しなかった風景である。 決して行政が先導したわけではなく、自発的に人々が生活に花を求める。 碧南市がいつしか「フローレンス(花の都)」と呼ばれる日が来るのかも知れない。期待してみたい。

< text • photo by heboto >


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