愛知県碧南市 陣屋に棲みついた狐がいなくなる ある時ハッピを着た狐が峠で…
<いつしか大浜陣屋に住みついた狐は、吉兆や災いの予兆を知らせ、役人達に大切にされた。だがある日、狐は姿を消してしまう。遠く離れた異国の地で「水野家の家紋が入った法被を着た狐が道端で死んでいた」との噂を耳にする> 五千石から一万三千石に加増され、大浜藩の藩主となった水野忠友は明和5年(1768)11月5日、大浜の地に大浜陣屋をつくる。 その大浜陣屋に、いつからか一匹の狐が住みついた。どこから来たのかはわからない。人にもよく懐き、陣屋に勤める役人にもたいそう可愛がられたという。 役人の家に祝い事があるときなどは、その家の前で鳴き声を響かせ、吉兆を知らせたそうだ。 また逆に悪いことが起こりそうな時は別の鳴き声を響かせ、注意を喚起させたりした。 ある日、陣屋に勤める一人の役人が藩主のいる沼津へ出向くこととなった。 その役人が出発してしばらくの後、不思議と陣屋の狐も姿を消した。他の役人が懸命に捜すが、狐の姿は見あたらない。 沼津へと旅立った役人が再び大浜へと帰る途中、とある峠の茶屋で奇妙な話を耳にした。 「道端で法被を着た狐が死んでいた。その法被には水野家の家紋が入っていた」という。
<大浜陣屋にあった稲荷社は「陣屋稲荷」として今も大切に祀られている。大浜陣屋に勤める武士7名が奉納した狐像は、悲しい結末を迎えたストーリーの余韻を想像させ、ひとり涙を誘う> 大浜陣屋のあった場所は現在の碧南市・羽根町1丁目一帯であったとされ、「陣屋跡ちびっこ広場」には記念碑が建つ。 大浜陣屋の敷地内には「稲荷社」がかつてあり、記念碑の東に位置していた。 大浜陣屋は明治の時代を迎えた以後も菊間藩出張所、大浜村戸長役場として使用されていたが、明治20年(1887)には、跡形もなく取り壊されてしまう。 現在、大浜陣屋を偲ぶものには、大浜・常行院にある裏門だけである。 大浜陣屋にあった稲荷社は、荒神社拝殿西に「陣屋稲荷」として今も祀られている。 大浜・中の「稲荷社」には、民話「陣屋の狐」に真実味を持たせる狐像がある。 拝殿東の玉垣に隠された隙間に、瓦製の狐像がひっそりと佇む。この狐像は、嘉永7年(1854)に大浜陣屋に勤める武士7名によって奉納されたもの。 端整な顔立ちをして、しかも1体という存在は何やら「陣屋の狐」との関係がうかがえないだろうか。 地元の人でさえ、この狐像の由緒を知る人は居らず、ただ静かに大浜を見守る。狐と武士達の心暖かい日々、そして悲しい結末…「陣屋の狐」を巡るストーリーに思いを馳せ、一人静かに訪れてみたい。
碧南市には、狐にまつわる昔話が数多く存在する。 大浜の下山には「狐塚」という話が伝わる。 豊臣方の武士であった男が徳川方との戦いに負け、大浜へと逃げ落ちた。しかし大浜に身寄りはなく、ひとり淋しく生活するなか、一匹の狐と仲良くなる。 だがある時、酒に酔った男の身代わりとなって狐は命を落とす。悲しんだ男は塚を作り丁重に弔ったというストーリー。かつて存在した「狐塚」の旧字名は、この話に由来している。 旭南部の東浦には、油揚げを女中に化けた狐に騙し取られた「そうすけ」の話。沢渡公園のある辺りには、人を騙す狐が出没したという。 鷲塚の「ひょうたん池」で釣りをしていると、大小2つの青火が出現し、驚いた釣り人が魚を放り出し逃げた後、親子の狐が食べていたという話も。
< text • photo by heboto >