愛知県碧南市 どこか遊び上手な雰囲気漂う棚尾 歓楽街として栄えたから
<「賑わいも今は昔」を楽しむ。華やかし時代の余韻残る通りを歩けば、期待と共に勝手な想像を膨らませる。当時を知る街の人達に話を聞いてみるのも面白い> 平成16年(2004)3月に廃止となった名鉄三河線・棚尾駅から西へ続く通りは、かつて多くの商店が立ち並ぶ賑やかな通りだった。 「三栄座」という劇場を中心に芸者遊びの出来る料理座敷、そして毘沙門講に訪れる人々を目当てにした店など棚尾は一大歓楽街を形成していたのである。 現在でもその当時から営業する店舗は数軒あるが、「賑わいも今は昔」といった感。だが、その侘びしい雰囲気がまたたまらなく魅力的。 「むかし、うちは玉突き場だったよ。昭和の初め頃かな」と話す婦人。 よく見れば、華やかし時代の西洋建築の建物。当時は持ち合わせていただろう繁華街特有の猥雑な雰囲気も、今はどこか枯れた空気感だけが心地良く漂う。
<「はたして我々の生きる時代の建造物は、時代を経て後の人々に感動や安らぎ、心地よさを与えるだろうか?」 通りにある魅力的な建物を観る楽しみ。喧噪が街を明るくした時代に生きていた人々のエネルギーが仄かに伝わってくる> かつて「大阪屋」という料理座敷のあった場所の向かいには、素晴らしい建造物が存在している。 巨大な長屋風の建物一画にある、元は理髪店の建物である。この整然と並んだガラスはどうだ。当時は理髪店という記号性を表した外観も、現代に至っては、ただただお洒落に見えてくる。 自動ドアの普及と共に、今では目にする事すらなくなった木枠のガラス扉。全てアンティーク風を狙った模造ではなく本物である。 棚尾が喧噪再び、人々が日々を一所懸命に生きた時代の勢いが伝わってくる。
毘沙門さんのある妙福寺から本通りを西に歩くと見えてくる仏壇屋「佛光」の店舗。 毘沙門さんの縁日には、店先に休憩所を設けて参拝客を持てなしてくれる。 その佛光店舗脇には1つの社が鎮座してる。碧南の民話にも登場する「琴平社」である。 昔、隠岐の船頭である浅右衛門が遠州灘で難破し、荷主であった一家を離散させてしまった。 自責の念から浅右衛門は、隠岐を出、棚尾の造り酒屋で世話になる事に。 離散させた荷主一家への償いと、命を助けてもらった金比羅社への感謝として、自ら社を建てるべく一生懸命働く浅右衛門。 真面目な働きぶりに造り酒屋の主人は援助を申し出、文政7年(1824)に琴平社が建てられた。 静かな境内にカチカチと聞こえてくる仏壇職人の奏でる音。真面目で働き者であった浅右衛門の想いは時を経て、加須地区の人々へと受け継がれている。
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