愛知県碧南市 門前の通りにある懐かしき日本の風情を愉しむ 「安専寺」にて
<昭和38年(1963)に建造されたにもかかわらず、現代でも通用するモダンなデザイン。長和5年に源徴法師が天台宗・止観寺を開いた事に始まる。「月に一度は寺へ」の貼り紙が安専寺の思想を物語っている> 平岩鉄工所の旧倉庫群を右手に小道を南へ下ると、迎える様にして2本の高い松が現れる。 石門に目をやる。黒地に流暢な白文字で寺号が刻まれていた。「龍蓬山・安専寺」である。 安専寺の歴史は、天台座主慈恵大師良源の直弟子である源徴法師が、長和5年(1016)に天台宗・止観寺を創建した事から始まる。 応仁2年(1468)に浄土真宗に改宗、天和2年(1682)に寺号を安専寺とした。 現在の鉄筋コンクリート製の本堂は昭和38年(1963)に再建されたもの。以前の本堂は500年近く風雪に耐えた。 山門横に「月に一度は寺へ」と書かれたイベント告知の貼り紙。決して奢らず、人々を迎える寺である。
<棚尾の「美しき路地」ベスト3に入る存在。実に絶妙な演出が遠い記憶としての「日本の私」を呼び覚ます。築塀の刈安色(かりやすいろ)と2本の松葉色(まつばいろ)、煉瓦の赤橙(あかだいだい)が見事に調和し、美しく創り出された路地。歩くたびに淑やかな自分が生まれていく心地よさ> 安専寺の門前を歩けば、内なる日本の私を意識せねばならぬ。 上下3枚の板を模した刈安色、モルタル造りの壁。一定間隔に上1・中3・下3の縦線が入る。 その築塀が30メートルに渡って南へ西へと続き、路地と安専寺境内を隔てる。東向かいにある木造建造物は2階建て、屋根とは別に庇が囲み、1階窓には格子がズラリと並ぶ。 西へと向かう小道沿いは、赤煉瓦を土台に黒壁の家屋、そして同じく黒壁の蔵となる。 全てが合わさり美しい。これが棚尾の精神なのである。長い年月を経て来た街並みを決して無にしない。
安専寺(あんせんじ) 元は天台宗の寺で「止観寺」という寺号で、応仁2年(1468)の蓮如上人・三河巡行の際、浄土真宗に改宗。 故に安専寺では、創建を応仁2年、開基を祐性としている。
平成16年(2004)3月まで運行していた名鉄・三河線の棚尾駅から西へむかう。 100メートルほど行った左手、現在の若宮町2丁目辺りは旧字名を「上屋敷」といった。 その名が示す通り、上屋敷は昔に身分の高い人々が移り住んだ場所と伝わる。ある歴史資料によれば、地頭である「熊谷若狭守」が住んでいたという。 熊谷若狭守は、毘沙門天を祀る為に、大楠の下に一宇を建てた人物。他にもこの上屋敷には、中山神明社の前身にあたる祠が祀られていた。 古い歴史を持つ棚尾において、まず最初に人が住み始めたのは、この旧字名・上屋敷ではないかという説を唱える人もいる。
< text • photo by heboto >