愛知県碧南市 明治の時代まで水門があった故に 名は水門橋と云う

新川東部へようこそ!

水門橋(すいもんばし)

かつての水門から由来の水門橋 篭田町にある観音地蔵堂を訪ねて

水門橋の欄干

<かつてこの場所に水門があった事に由来する水門橋。平成8年(1996)8月に改修された水門橋は真っ白な外観を持つ美しい橋へと変わった。南岸にある「稲安醸造」は碧南の伝統産業である醸造の歴史を担ってきた企業> 碧南市の中心部を縦断する道が新川を渡る場所が水門橋である。天保6年(1835)以前から、長らくこの場所に水門があり、明治期に東山下へ水門が移った以後も「水門橋」という名称だけが残った。 新川の河口から3番目に当たる橋である。水門橋の南岸には「稲安醸造」がある。 寛永元年(1624)に角谷津助がみそ・たまりの醸造を始めたという由緒を持つ。 古い醸造蔵が歴史深さを感じさせる。

篭田観音地蔵堂の水鉢

<「籠のように水が抜けてしまう」という由来から付いた篭田町の名。篭田観音地蔵堂の水鉢、口から水を吐く龍がいる。中を覗けば、沢山の石仏が並び、掛け軸の観音さんがこちらを見ている> 水門橋の北岸すぐの歩道にある「篭田町」と刻まれた石のオブジェが目印。私道かと錯覚する幅の狭く湾曲する道が奥へと続く。 石の龍が水を吐く姿が見えてくる。篭田町3丁目の「篭田観音地蔵堂」である。 篭田というのは、”籠のように水が抜けてしまう田”という意味から付けられた地名。 観音地蔵堂の扉は閉じられている。薄暗い中を覗く。掛け軸の観音さんが中央に、右に8体、左に9体、石仏の観音さんが並んでいる。 由緒・建立年代は不明だが、右書きで「奉納御神前」と刻まれる御堂前の水鉢は、随分年月を経た風合いである。 御堂前の道は湾曲を重ね、あの1.5メートル高の鉄橋下へと続くのである。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

水門橋北の往還入口

「西端への往還」

水門橋を北へ30メートル程進むと、右に脇道があるのを確認出来る。 この道の歴史は古く、大浜からやって来た道が道場山を経て千福に、後に西端へと向かう往還である。 往還とは、行き来する道、街道の事。 道場山の旧道と斜めに繋がる事から、おそらく新川開削(宝永2年・1705)以前から存在していたと推測する。 天王の旧新須磨駅東にあるお地蔵さんには、「右ニシバタ」とあり、この往還の事を示す。 旧道の趣を未だ残し、古い屋敷・蔵、昔ながらの商店、また千福寺・精界寺があり、見所が多い。 往時、大浜方面からは西端の「蓮如忌」へ向かう人々が行き来した事だろう。

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2007 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見・ご感想は【サイト管理者へメール】までお願い致します。