愛知県碧南市 前浜新田の夢や希望は現実となり 「感謝の松並木」を歩いて
<かつては前浜新田最南端の外提であった松並木。前浜新田開発の功労者・斉藤倭助の碑が南を向いて建つ理由は? 「私達が未来へ残せるものは…」と感慨にひたる。先人達が未来へ託した思いが一望できる場所> 前浜の集落から遙か遠くの南を望めば、水平線のごとく見える松並木。干拓地として川口町が出来上がる以前は、ここが海への最前線であり、前浜新田の先端であった。 ここから少し離れた場所に建つ「前浜新田開墾 斉藤倭助翁頌碑」は昭和27年(1952)3月に前浜新田耕作者によって建立されたもの。 斉藤倭助は前浜新田開発に深く貢献した人物で、文政10年(1827)5月に海へ向けての堤防を完成させた。 その斉藤倭助の碑が南を向いて建てられたのは、偶然ではないだろう。かつて堤防であった松並木を歩く。 松は一様に北へと傾き、風雪に耐えてきた歴史を物語る。 この松並木である堤防跡には、斉藤倭助が私財を投じてでも成し得たかった夢と、大浜・棚尾の庶民が胸に抱いた希望が眠っている。 松の間から北を眺めれば、広がる一面の緑。土木技術の乏しかった時代に先人達は必死に頑張り、未来へと広大な土地を残してくれた。 豊かで恵まれた時代に生きている私達。はたして私達は、未来に何を残せるのだろうか。
<「つり公園」・「港南緑地」を経て水路はどんどん奥へ。行き着く先は「港南船だまり」。対角線を「潮見大橋」が160メートルに渡って架橋され、まさに箱庭的な秘密基地といった世界> 「箱庭のような港」と表現したくなる。対角線上を橋が架かる不思議な構成。 臨海地域にある「つり公園」から「港南緑地」へと導かれた水路は入り江とも港とも言える場所へと辿り着く。 漁港か?レジャーボートの停留地か?目的も一向に分からない謎の場所。廃船も放置されており、港特有の活気があるわけでもない。 だがそのコンパクトさゆえ、妖しい雰囲気は感じられず、むしろテーマパークのアトラクションに見る童話的な世界を重ねてしまう。 平成13年(2001)3月31日には、全長160メートルの「潮見大橋」が開通する。 この潮見大橋が「箱庭のような港」の対角線に架橋され、さらに面白い景観を創造させてしまった。 設計した人に遊び心があったのか?この位置しか条件に合わなかったのかは不明。 調べたところによると、この場所の正式名は「港南船だまり」といい、将来的に桟橋を設けて再整備されるらしい。さて、一体どんな景観になることやら、楽しみである。
国道247号線の「矢作大橋西」信号交差点から前浜新田を抜けて産業道路に至る道路は楽しい。 信号も少なく、畑の中を一直線に走り去る快感。特に夜は真っ暗闇の中を走ることになる。 頼りは自ら運転する車のヘッドライトのみ。その心細さに妙な興奮を覚える。この状況に共感する男子諸君も多いはずだ。 遠くには松並木のシルエットと、そして大規模発電所の未来的な景観は、現実逃避を意味あるものへと昇華させる。 碧南の冬の風物詩、「イルミネーション」の期間中には大規模発電所も協力し、いつもとは違う妖しい光を放ちて「不夜城」のごとき存在となる。 滑るように加速していく私。車内は高揚感に包まれ、目指すは不夜城。 しかし待て!闇の中には危険が潜んでいる。悪魔は油断の隙をついてやって来る。決して無茶な運転をしてはならない。 世の中のどこかに君を待っていてくれる人が必ずいる。
< text • photo by heboto >