愛知県碧南市 未来への希望は最南端の地へと向かう 「川口のまち」を訪ねて

碧南市前浜・川口地区へようこそ!

川口のまち (かわぐちのまち)

碧南市最南端の集落「川口町」 昭和34年(1959)に碧南市へ仲間入り

川口の集落入口、そうだ橋の欄干

<「川口町の子供達はなぜ強い?」その答えは川口町の立地条件にある。市街地から遠く離れた川口町は、まさに陸の孤島。畑の緑海を一本道が貫き、惣田橋を渡れば、不屈の精神を持つ開拓者のまち、「川口町」がある> 昭和21年(1946)に戦後の食糧危機を打開するため、農林省緊急干拓事業として前浜新田以南を造成する計画が始まった。 10年後の昭和31年(1956)に完工。碧南干拓地と呼ばれ、昭和34年(1959)4月に碧南市へ編入。 昭和38年(1963)に「川口町」と地名を変えた。産業道路が南へ延長する以前は、川口町へ行くのに前浜から伸びる一本の道しかなかった。 大浜学区に属する川口町の子供達は、1キロ以上もの長い道程、風吹き荒ぶこの道を通学する。 潮遊池に架かる「惣田橋」を渡れば、そこは碧南市最南端の集落、不屈の開拓者達の住む川口町である

川口神社に雪が降る

<川口町の東にある「川口神社」は、昭和45年(1970)9月16日に出来た新しい神社。幾多の困難を乗り越えた来た開拓者達の心の拠り所として存在。すぐ南には「川口集会所」があり、賑やかな声。> 川口町の人々が事あるごとに集まる施設、「川口集会所」からは今日も賑やかな声が聞こえる。隣地には昭和45年(1970)9月16日に創建された「川口神社」がある。 伊勢湾台風で集落全滅の危機に瀕した川口町も、人々の屈強たる精神と助け合いの心により復興する。 新たなる決意と人々の郷土愛の証として川口神社は創建されたのである。この川口町に住む人々は、多くが碧南市外からやって来た。 昭和30年(1955)に100戸を募集し、愛知(50)・岐阜(10)・長野(26)・山梨(14)の出身者が入植している。 川口町が独特のコミュニティを形成しているのは、各地の風土が混在した結果によるものである。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

コンクリの直方体の上にコンクリ直方体の建造物

「伊勢湾台風の教訓」

昭和34年9月26日の夕方から東海地方を襲った「伊勢湾台風」は川口町に甚大な被害を与えた。 農地はだけでなく、全ての家屋が屋根の高さまで水没し、集落は全滅の危機を迎えてしまったのである。 市街地から遠く離れている川口町。不気味に水嵩が増していき、いつ倒壊し流失するか知れぬ家の屋根で死の恐怖に怯えながら、ただ救援を待つしか方法はなかった。 その辛い経験から、川口町には浸水時に備える避難小屋が作られた。多くがコンクリート製で3階建てをしている。 多くの人が待避出来るようにと、屋根は平に作られ、一番上の階には避難用の船が配備されているという。 碧南市内で川口町だけに見られるこの避難小屋は、「決してあの日を忘れない」という人々の決意を物語るものである。

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