愛知県碧南市 津島神社に由来「天王」 称名寺に由来「道場山」含む「中央西部」
<天王・道場山ともに大浜の枝郷であったが、明治19年(1886)4月に北大浜村の一部となる。大浜と新川の影響を受けながらも独自に発展してきた地域。局地的に寺院集中する天王に先人達の想いを垣間見る。上下する小道のあり様に、かつて山であった面影見せる道場山> 天王・道場山を中心とした地域。天王は氏神様である天王津島神社の御神体である「牛頭天王尊像」から村名が付けられた。天文16年(1547)に 天王地内の「極楽寺」に織田信長が初陣として攻めた事はあまり知られていない。大浜を守る長田重元に「天王の森」で待ち伏せされ、散々な目に遭いながら当時14歳だった織田信長は逃げ帰った。 道場山はかつて称名寺に関係する道場が存在した事に由来する。現在は住宅が立ち並ぶ道場山に人が住み始めたのは、 万治2年(1659)頃からといわれ、元禄11年(1698)には5軒、天保14年(1843)には44軒となっている。芸術家「藤井達吉」も昭和25年(1950)から道場山に移り、6年間を当地で過ごす。静養の意味のあったようだ。 天王・道場山ともに旧来の小道が多く、住む人々も何代も続く旧家が多い。時代の重なりが醸し出す緩やかな雰囲気に居心地の良さを感じ、おもむくままに散策する楽しみのある地域。
<法城寺>明治27年(1894)創建。長く続く板塀に緑多き境内。薄暗い本堂、宙を浮く本尊さんがいた! ■『法城寺』へ
<阿弥陀寺>真新しい本堂、賽銭箱の窓から覗き見れば、畳に阿弥陀寺を見る。お地蔵さんにも注目。 ■『阿弥陀寺』へ
<天王の森>海岸に面した松林はかつて「天王の森」と呼ばれ、多くの海水浴客が涼を求めてやって来た。 ■『天王の森』へ
<法淋寺>築塀屋根の美しき青が続く。法淋寺ブルーは道場山の人々の誇り。軒先の喚鐘は国松十兵衛作。 ■『法淋寺』へ
<道場山の神明社>道場山の氏神様。中国の御殿を思わせる巨大な社殿。秋葉社の見事な造りに注目。 ■『道場山の神明社』へ
<川辺のベンチ>新川橋の南岸に新しく出来た広場。かつて親しまれた木をもう一度植える演出は粋である。 ■『川辺のベンチ』へ
< text • photo by heboto >