愛知県碧南市 法淋寺の美しき「ブルー」を見ずして「道場山」を語るべからず
<「法淋寺ブルー」は道場山を象徴する色。法淋寺の歴史は文化8年(1811)に「道体」が道場を開いた事から始まる。大正4年(1915)建立の本堂軒先にぶら下がる喚鐘は「国松十兵衛」作。だが、なにより一番の見所は道沿い12.55メートルに渡る青色瓦の築塀である> 大浜街道沿いの衣料販売店「岡田屋」前から始まる道を230メートル東へ進むと見えてくる築塀の青。 慶応3年(1867)創建の「道場山・法淋寺」である。清海寺が移転して125年後の文化8年(1811)に「道体」が道場を開いたのが始まり。 無銘の「国松十兵衛」作の喚鐘も素晴らしいが、法淋寺一番の主役は12.55メートルに渡って連なる青色の瓦である。 フランスの国旗が示すように、青は「自由」を表す色。 この築塀に見られる「法淋寺ブルー」は、伝統を守りながらも、自由に生きた道場山を象徴する”青”なのである。
<踏切沿いのお地蔵様にはスピーカー?イタリアおばちゃんのような仕草で説明を始める婦人。眉毛を上げ、唇をほんの少し尖らせるお地蔵さんの表情、ガタゴトと電車が横を通り過ぎる> 法淋寺から西へ100メートルいった場所に名鉄三河線の踏切がある。その傍らにあるお地蔵さんは北の方角を向いて道行く人々の安全を願っている。 この地蔵さんが建立された年代はいつの頃だろうか。碧南市出身の美術工芸家「藤井達吉」は昭和19(1944)年から小原村に疎開していたが、健康状態の悪化により昭和25年(1950)に、道場山へと移り住んだ。 時に藤井達吉、69歳。線路脇のお地蔵さんは晩年の藤井達吉に会えただろうか。 物語を想像する私に不審の目をするおばちゃん。ふくよかで肩の落ちた様は、南イタリアのマンマそのもの。 不審者の誤解が解けると、いかに道場山が素晴らしい地であるかをまくしたてる。 お地蔵さんの近くにあるスピーカーの謎について伺うと、さらにジェスチャーを交えて教えてくれた。 静かな地に思えた道場山だが、人々は情熱に満ち溢れている?
新川に架かる水門橋を右手に「稲安醸造」を見、130メートル南下した場所の住宅一画に小さなお地蔵さんがある。 壁のない簡素な屋根だけの御堂に新鮮な供花。涎掛けの新しさを見るに、随分と大切にされているお地蔵さんのようだ。 お地蔵さんの両脇には「右 大はまみち 左 なかやまみち」と刻まれている。 お地蔵さんの示す「右 大はまみち」は明治39年(1906)に行われた平和用水敷設に従う区画整理以前からある道。 従来は大きく左へ蛇行し、法淋寺の門前に出る道筋であった。 現在も道幅狭く、自動車は通る事の出来ない。当時の蛇行を示すカーブ等、往時の面影を色濃く残している。
< text • photo by heboto >