愛知県碧南市 かつては横須賀へ向かう人々を見守る お地蔵さん往時を偲ぶ

旅する大浜街道

第24回 ただ静かな踏切跡に地蔵

大きな木の下でお地蔵さん 人々が通り過ぎた踏切跡で今は静かに佇む

大木下のお地蔵さん

<鉄道会社のフェンスに阻まれ行き止まり。フェンスの向こうに見えるのは東海道本線の線路が並び。かつては横須賀方面へ向かう道が存在しており、多くの人が踏切を渡った。今は大木下のお地蔵さんのみが知る> 和菓子屋さんのある交差点に差し掛かる。西を向けば行き止まり。和菓子屋さんの勝手口近くに大木があり、その下にお地蔵さんの御堂があった。 東海道線のフェンスに阻まれ行き止まり。行き交う人のいない場所に何故お地蔵さんがいらっしゃるのか? 通りがかったお爺さんに聞く。「今は行き止まりだが、昔はここに大きな踏切があり、道は横須賀(東海市)まで通じていた」  高架・バイパスとなった現在の国道155号の旧道が、このお地蔵さんのある道だったのである。 拝む人もいなくなったお地蔵さんの御堂は埃にまみれて、ただ時が過ぎゆくのを待つ。

和風モダニズム調の磨りガラス

<朽ちても懐かしき時代は心動かす。旧道沿いには、歴史ある店・屋敷が数多く残る。和風モダニズム調の磨りガラスは、粋な時代があったという事実を今に伝える> お地蔵さんとは反対の方向、つまり旧国道155号を東に向かってみる事にする。 やっぱり現れた。古い軒先、旧来のままを今に伝える商店。昔は旅館だったかもと想像させる大きな屋敷の呉服屋さん。 子供時代にお使いしたかのような雰囲気の手芸店さん。飲屋街だったのか、妖しい看板の連なり。 懐かしき軒が続くなかに、一層目を惹く屋敷を発見した。膝丈程の高さある格子柵、古い街道によく見られるスタイル。廊下には和風モダニズム調の磨りガラスが並ぶ。 往時は料亭であったのか?雰囲気ある外観に粋な時代、当時の人々の遊び心を見てとれる。

ヘボト自画像ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

大府町道路元標 「大府町道路元標」 大府町が出来たのが大正14年(1925)、大府市となったのが昭和45年(1970)です。 道路元標とは、道路の起点を示す石標。大正8年(1919)の旧・道路法施行令により全国各市町村に1つを基本に設置されるようになりました。 踏切跡のお地蔵さんから東へ真っ直ぐ進むと、県道50号名古屋・碧南線に出ます。交差点名は「中央町7北」です。 懐かしい洋菓子屋さんの店先アーチ向かいに、「大府町道路元標」と刻まれた道路元標が立っています。 ここから西は大府・横須賀線、東は瀬戸・大府停車線へと続いていました。 どちらも現在は行き止まりとなり、国道155号線に役目を譲り、道標だけが歴史を物語っているようです。

次回予告です、お楽しみに!

お好み焼き屋の廃屋

第25回 「大府を出る 大清水地蔵にて」

大浜街道を北上するため、再び和菓子屋さん前に戻る。北へ向かうに従い、道は少し下り坂になっていく。 ガタゴトと発着や到着をする電車の音が、西から響いてきたあたりに差し掛かると、旅館らしき屋敷の飾り窓が現れた。JR東海道線の「大府駅」界隈である。大府駅は東海道線開通前の明治20年(1887)開業という古い駅。ゆえに駅界隈には公共交通盛んな時代の家並みも残る。 大浜街道は駅前に達することなく手前の路地を右方向へと行く。少々分かりづらいが、昭和の懐かしさを伝えるホーロー看板が目印。駅界隈特有の場末的な雰囲気を楽しむ。開業当時の大府駅は現在より南に在った。当時の駅と街道を結んだであろう道に出る。先には『日用百貨フカヤ』が見えた。 ■ 第25回 「大府を出る 大清水地蔵にて」 へ

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