愛知県碧南市 不思議な寿覚寺の白壁を通り抜けると 黒塀続く趣在る道

旅する大浜街道

第10回 吉浜・寿覚寺と八幡社

大浜街道は隠れていたのだ 白壁を抜けると今度は黒壁が姿を現した

白壁が迎える寿覚寺の参道

<突如現れる白壁群の間を行く 寿覚寺の山門前を右へ 黒壁の続く下り坂 これが本来の大浜街道> 北へと向かう大浜街道。突き当たりに古い自転車屋が遠くに見えてくる。手前にお屋敷があり、その黒蔵の下を通って次の集落、小垣江へと向かうのが 大浜街道と考えていた。湾曲した道、いかにもな風情。だが、事実は違う。自転車屋に到達する少し前、左側に現れる壁。寿覚寺へと向かう参道だ。 この参道を通り、寿覚寺山門前まで来て右に折れる。「どこかの邸宅へ入ってしまうかも」と心配させる小道を進む。黒壁に囲まれた屋敷の裏を通り抜ければ、 以前、大浜街道だと考えていた蔵の下を通る道へと出る。これが本来のルート。

赤い鳥居が拝殿への入口

<貝塚があったという事は古くから人が住んでいたという証拠 小高い八幡社の地に立ち 大浜から来る御先祖様たちを見ていたかも知れない> 大浜街道は県道304に出る。下り坂を来たから、この県道304辺りが一番低い土地という事になる。 大浜街道は、ここから吉浜・八幡社に当たって迂回するような形で西へと進む。吉浜・八幡社へ行ってみる。木陰に隠された小道を行けば小さな拝殿が見える。 「これが吉浜・八幡社か…。」と。池の向こうに階段らしきものを発見。登り詰めた先はどうなっているのか見えない。 赤い鳥居が現れた。先に大きな拝殿と狛犬が見える。あれが本当の吉浜・八幡社のようだ。長い参道の途中には、”八幡社貝塚”の表記がある。古くから神聖な地であった事が伺える。

ヘボト自画像 ヘボトの”ここもぜひ見ておきましょう”コーナー

田んぼの中を行く小道 「八幡社脇の道」 八幡社に沿って東に道があります。この道、北東方面に歩き、田園地帯に入るとおかしな蛇行を始めます。 その姿はまさに古道といった雰囲気。途中、吉浜県営住宅団地に来ると消えてしまいます。 地図で確認すると小垣江まで繋がっていた事を想像させます。埋め立て以前、海岸ギリギリを通って小垣江へと向かった大浜街道。 御先祖様達のなかにはこちらの道を通った人もいたかも知れません。

二宮金次郎さんの陰知っていると便利、勉強しましょう!

寿覚寺(じゅかくじ) 「無量山・寿覚寺」の開山は「釈正専」で永正15年(1518)1月に逝去した人物。 本尊の「阿弥陀如来立像」は天和3年(1683)9月21日に本山より下附された。 以前は、永正11年(1514)4月23日に本証寺より授かった絵像が本尊だった。

一方通行マーク次回予告です、お楽しみに!

小垣江集落入口のお地蔵さん

第11回 「小垣江のまちへ」

大浜街道は、県道304号を西に向かい、踏切を越えて右折、県道50号(名古屋-碧南線)へと重なる。いままで静かな旧道然とした雰囲気から一変、現役の県道らしく喧噪の中を行くことになる。 北進し、工場地帯を抜けて右手にセメント施設が見える辺りに差し掛かると、右手に脇へと逸れる小道が現れる。”道なりに直進のみ可”との警告標識から自動車を含む車両は県道から入ることを許されないから注意が必要だ。曲がり道を行けば、たばこ屋前で小さなお地蔵さんが待ち構えていた。 付近には昔、「清水土場」と呼ばれた渡し船の乗り場があり、小さなお地蔵さんのある場所が小垣江の集落入口であることを示す。カモメに関係在るとされる小垣江の地名由来が書かれ、欄干に擬宝珠の姿みせる鴎橋(かもめばし)を渡りすぐに小垣江内を流れる前川の右岸沿いを北上する。旧道らしい風情を漂わせ、いよいよ大浜街道は小垣江集落の中心部へと進んでいく。 ■ 第11回 「小垣江のまちへ」 へ

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