愛知県碧南市 国道高架下から明治用水を渡り 「吉浜」の集落に街道は進む
<待ち受ける2つの入口 大浜街道はどちらへ行く、右?左? それは時代の選択でもある> 一方通行の標識に従い進む。サワサワと水の音がする。緑生い茂った下に明治用水が流れる。 心地よい水の音とは対照的に、今度は耳障りな車の通過音が空から降ってくる。 国道419の高架がすぐ真上に。高架のトンネルを抜けると現れる綺麗なブイ字。 どちらの道が大浜街道なのか?実はどちらも正解。右は明治以後、新しく整備された道。 ご老人方は、皆「新道、新道」と呼んでいた。左は江戸時代から存在していた古道。その先は見渡せない程、湾曲している。
<ここから岐阜山奥へ向かう御先祖様たちもいたのかも知れない。国道419の御先祖様がここに> ブイ字に行かず、すぐ右折する道を進むと、止まれの標識。道を挟んだ向こう側に道が続いている。一見、ただの住宅街への小道に見えるが、 国道419号の御先祖様。地元では高浜道とも呼ばれる。国道419と言えば、岐阜県の美濃地方へと最終的に向かう。 美濃と言えば思い出す、日限地蔵さまの話。地を掻きむしり、這いつくばりながら大浜へと向かった母子は、ひょっとしたらこの道を通ったのかも知れない。 懐かしき潮の香りを遠くに感じながら、あと少しと…。
「双六のような古い道」 江戸時代の古い道、ブイ字を左に行ってみました。まず気づかない程、生け垣のなかに小さなお地蔵さんに出合います。 その後、何度か直角に曲がる区間。どこかのお宅に入ってしまわないように細心の注意をして進みます。その後に現れる知恵の輪のような道。 間違うと180度ターンをしてしまう不思議な造りです。最終的には理髪店さんの横道から大浜街道(新道)へと出ました。
ブイ字形をみせる辻にて、右の道を選べば右手に「田島地蔵」の御堂が見えてくる。 酒造業を営みて隆盛を極め、刈谷藩主の御用達を務める家柄の「田島家」に慶応4年(1868)8月24日、武士崩れの男二人組みが強盗に入る。 番頭「喜助」を人質に取り逃走、途中の吉浜村内にて証拠隠滅のために喜助を殺害した。 浮かばれぬ喜助の霊を弔うために、吉浜の村人達が殺害された地に地蔵を建立した。これが「田島地蔵」の由来である。 痛ましい事件を思い、御堂に手を合わせていると背後に気配がする。振り向けば巨大な鳥居が待ち構えていた。 ■ 第9回 「不思議な神明社と吉浜のまちなみ」 へ
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