愛知県碧南市 神明社なのに「秋葉さん」とは 高浜市が窯業で栄えたゆえに
<湾曲した小道、お屋敷の軒先をかすめるように通る大浜街道。この先何処へ向かうのかという不安。進むにしたがって時代が逆行するかのような道沿いの雰囲気。> 手書きしたかのような線を描きながら進む大浜街道。黒壁の脇をかすめ、田戸の渡しから来ただろう道と合流する地点で大きく右に進む。 この地点に以前は、道標がたっていたと聞く。平屋続きの道を越え、カーブミラーの見える交差点辺りで高浜港方面化から来る古い道と合流する。 いつの間にか、音の少ない世界。追い立てる音のない世界では、時間がゆっくり進行する。
<大浜街道からは、石段の一部しか見えない。海、そして道の往来が盛んだった時代、この秋葉神社は目印として人々を助けていた> 道行くと見えてくる神明社の石柱。しかし、神社の社は見あたらない。ただ苔むした石段が高く長く天へと向かっている。 頂上の様子は大浜街道からは見えない。神明社と名があるが、地元の人は”秋葉さん、秋葉さん”と呼ぶ。 高浜湊が栄えていた当時、この秋葉神社さんの常夜灯の明かりを目印にして入港していたそうだ。 石段を上って境内へ行く。かつて海のあった方向を見る。まだら模様の瓦群が眼下に、遠くには少しばかりの海らしきものが見えた。 御先祖達が通った頃は、一面、海が見渡せたのだろう。
「賑わいの面影」 横浜橋から北の一帯、道沿いには古い商店が続きで並んでいます。現在は取り壊されてしまい、コンビニエンスストアとなっていますが、 横浜橋北の交差点南東にも、真っ黒な板壁の雑貨屋さんがありました。重厚な屋根、威風堂々とした外観は先人の厳かな郷土愛を感じさせるものでした。 商店の一画に『小桜館』という旅館があります。とある古書店の目録に往時の『小桜館』を写した葉書がありました。たいそう名の知れた旅館であることが伺えます。正面から見るとさほど大きくありませんが、斜めから見ると、 その巨大さが分かります。こんな趣のある旅館に一度は泊まってみたいですね。
荒井の神明社(あらいのしんめいしゃ)寛永年間(1624~1643)創建。天照皇大神を祭神とする。境内には津島神社と秋葉神社がある。 18世紀半ばから、瓦産業が盛んになり、火の神である「秋葉神」が深く信仰されるようになり、神明社と呼ばずに「荒井の秋葉さん」と呼ばれる。 神明社前の道は文政末期から天保にかけての時代に石垣を築き、常用できる道とした。 以前は、「往来道欠所之図」という絵図に「干汐の時は砂上を行く。満汐の時は水中を渡る。風雨荒時は通路なし」と記される状態だった。
「荒井の秋葉さん」を後に大浜街道を行く。この一帯は、時代により道が西へと新しく造られて、3本の道が存在する。私が大浜街道として通ってきた「荒井の秋葉さん」ある道を旧旧道として、西に旧道、さらに西に現道といった具合。旧道には『大浜屋』という店があり、大浜街道との関係を想像させる。 旧旧道は、途中に趣ある酒屋の店先を通り、お地蔵さんの並ぶ場所で旧道と合流する。お地蔵さんは辻にあり、往時は道標の役割をしていたと思われるが刻まれる文字は不明。 合流地点からガソリンスタンド裏を通り、通称「ドカン坂」と呼ばれる道へと大浜街道は進む。 ■ 第5回 「波打ち際だった頃・浜地蔵」 へ
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