愛知県・碧南市 電飾で賑やかな棚尾のまちを歩く愉しみ 「毘沙門さんの夜」
<優しく暖かな光が私を静かな夜へと誘う。妙福寺「繁栄の鐘」と銘打たれた鐘楼の門を潜れば、いつもの毘沙門さんとは違う世界が広がる。柔和な表情を見せる仏像様と目が合えば、いつしか極楽気分の心地なり> パタパタと音を立てる幟が現世に迷う私に行くべき道を諭している。ここは毘沙門さんで有名な棚尾「妙福寺」。 門前町ともいえる商店街には、クリスマスシーズンに向けて店頭には電飾されたツリーが用意され雰囲気を盛りあげる。 棚尾は往時、花街としても知られ賑わいをみせたが、今は寂しい限り。なんとか客足を取り戻そうと頑張る気概に答えてか、夜の妙福寺も仄かな明かりを灯す。 かつて刈谷城の辰巳櫓であったという鐘楼門。その内部より浮かび上がる光の紋様に魅せられる。そのシルエットは限りなく美しい。 青みがかった夜空に弧を描く屋根のカタチ。奥に見えるは裸電球1つだけの本堂。 左右対称の作りは夜に眺めてこそ、先人達の思い描いた意匠が際立つ。夜風にはためく赤い幟から鐘楼門、本堂と行けば、まるでどこかの宮殿に迷い込んだみたい。
<誰もいない境内を一人歩けば、迎えてくれるたくさんの視線。ひとつひとつの仏像には魂が宿っている事をより実感出来る夜。はたして私は仏像と対面出来るほどに立派に生きているといえようか?> 仏像は生きている。夜の妙福寺を訪れてみて実感した。日中に降り注ぐ太陽光線は、単に仏像の顔を平坦にしか見せてくれない。 だが夜の柔らかな光は、微細なラインで構成された仏像の表情を巧みに浮かび上がらせる。 万人に優しい昼間の顔とは打って変わって、夜の顔はどこか生々しいと表現したくなる。 自分の全てを厳しく見透かされているようで怖くもあり。年を重ねるに連れて、人は目を瞑ることで妥協する。 いつしか臆することなく夜の仏像前に立てたのなら、私は立派な大人であるといえるだろうか?
妙福寺の秘仏「毘沙門天像」は、仁寿元年(851)に荘司となった「志貴左衛門藤原周亮」が護持してきたもの。 聖徳太子作と伝えられ、日本三体毘沙門天のひとつである。 聖徳太子は、物部氏討伐の戦勝祈願をしたところ、毘沙門天の霊夢を見たという。感激した聖徳太子は自ら毘沙門天の尊像を彫ったとされる。 また霊夢を見たのが、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻であったため、毘沙門天と寅は縁深いものとなった。 妙福寺参道を毘沙門天方向に歩けば、途中に虎の石像が目に留まる。 「ムカデが毘沙門さんを護っとるけんど、虎も毘沙門さんの使いだでな」と語り、手を合わす老人。 赤い涎掛けを施された虎、真横には賽銭箱が用意されるも、そのぱっくりと開いた口のなかには賽銭のコインが入っていた。
< text • photo by heboto >