愛知県碧南市 逞しく生きるものは美しい? 石垣の間から咲く花に何を学ぶ?
<御先祖を敬う気持ちは「黄色い花」となり、乳母道を行く人々の気持ちを柔らかくて温かいものにしていく。「石垣に花が咲いてるよ、黄色く小さい花はまた来年も…」と言葉がもれる。往時、うどん屋が店を開けた時代の雰囲気が未だ残る古道に「しあわせの黄色」を求めてやって来る人> 大浜「西方寺」の南には『鈴木はかり屋』がある。 往時、そこには一軒のうどん屋があった。大浜街道沿いの店先に干されるうどんの光景が明治時代の写真に見てとれる。 のどかな時代は疾うの昔に過ぎ去ってしまったが、未だその雰囲気残す小道が「西方寺」と『鈴木はかり屋」の間から西へと続いている。 どこからか漂う潮の香りに誘われ、奥へと進めば、「西方寺」墓地裏へと差し掛かる。 土台を支える石垣に目が留まる。石の一つ一つが大きく、また密に組まれて実に美しい光景。 その石垣から小さくて黄色い花が咲いていた。おそらく墓地に供えられた花の子孫だろうか。 何年も世代交代を経て、やっとこの石垣に辿り着いたらしい。 この小道は、おばあさんが好んで通る乳母道である。花たちは、汚れた空気を吸う事もなく、石垣にあるので踏みつけられる事もない。 石垣の間から可憐に咲く花に「しあわせ」を見つけた気分。来年もまた逢おう。
西方寺の墓地は寺の知名度と比べたら、案外小規模な物である。しかし小さいが故にどこか奥ゆかしき雰囲気を醸し出している。 まず白壁づたいに行けば、墓地入口に有るゲート、英国の古い庭園風である。その先、ぶら下がる柄杓の光景もどこかお洒落で近年流行の雑貨店みたいだ。 見上げれば、本堂奥の間の窓が見えてくる。 小粋な紋様を持つその窓からの眺めはきっと「大浜のまだら瓦」が望めるだろう。そして墓地にある巨木。秋になるとサラサラと黄色い葉っぱが落ちてくる。 墓地なれど、どこか哲学的な雰囲気を感じさせる。かつてドイツの哲学者「ニーチェ」は作品「ツァラツストラはかく語りき」をフランスのエズ村へ至る山道「ニーチェの道」にて構想を練った。 宗教哲学家「清澤満之」先生は西方寺で没し、作品『我が信念』が絶筆となった。「清澤満之の道」はきっとどこかにあると信じてみたい。
< text • photo by heboto >