愛知県碧南市 鷲塚の信仰心を感じる「願随寺」 北壁の通りは、どこに続く?
<あっちでお地蔵さん、こっちでお地蔵さんと、また赤鳥居のお稲荷さんと次々現れる信仰の対象。クネクネと曲がりくねる 古道には、まだまだ”信じる心”が残っている> 鷲塚「願随寺」の北壁は、今時のコンクリに塗装をする”誤魔化した壁”とは違い、土壁に手削りの石垣といった趣のある作りをしている。 そんな魅力的な壁が続く道を歩いてみる。昔懐かしき庶民の暮らしといった雰囲気が漂う。舗装されていようとも、どこか砂の浮く路面はその証拠か。 車一台分の幅員はあるのに滅多に車は通らない。耳障りな音とは無縁の静かな世界に身を置く心地良さ。 この道は県道を横切り、さらに西へと続いている。近代的な様式の家屋が増える時勢だが、それでも敷地の一画に小さなお地蔵さんを祀るのが鷲塚の心。 曲がり下がりの坂を行けば赤鳥居が現れた。さらに先にはまたお地蔵さんといった風である。 三河一向一揆が盛んに起こった時代には、鷲塚でも2つの寺院が焼き討ちに遭った。碧南市域では唯一ではなかろうか。 ”信じる心”は、確かに今も鷲塚に生きている。
現在では面影もないが、かつて鷲塚の地は島であったという。 まだ矢作川が開削されていない時代、油ヶ淵は海であった。その海に浮かんでいたのが「鷲塚」である。 跡形もなくなった「ひょうたん・しゃもじ・おはつ」の各池は、島であった時代の名残という。鷲塚と他の村を結ぶ「上橋」と「下橋」という2つの橋が存在した。 上橋は権江橋から来る道と、下橋は伏見から来る道と接続されていた。2つの橋とも今は偲ぶべくもないが、唯一、下橋に「思多橋(下橋の当て字)」というお地蔵様の名に残っている。 鷲塚の強い宗教観は、「島」という隔絶された環境から成り立っていったのかも知れない。
< text • photo by heboto >