愛知県碧南市 新川「山神社」の手水舎に見る不思議 柱から飛び出よう獅子
<新川を代表する地区「鶴ヶ崎」の山神社にみる不思議。手水舎の柱に注目すれば、足まである完全体の獅子。その光景は、柱から獅子が新たに誕生する瞬間を想像させる> 対岸の「亀崎」に相対するように名付けられた新川の「鶴ヶ崎」。名付け親は松江代官所「鳥居牛之助」である。 その鶴ヶ崎にある「山神社」を訪れてみた。寛永7年(1630)に「宗太夫家次」を神主として創建した神社。針葉樹の並木道を行けば、左手に手水舎が木々に隠れるようにしてある。 瓦葺きの立派な手水舎、「清浄水」と刻まれる水鉢には、天保6年(1835)の文字。これは南にある「西光寺」本堂再建と同じ年。 ごくありふれた手水舎だが、どこか心の引っ掛かりを感じる。その違和感の原因が柱にある「獅子」と気付くまで少し時間が掛かった。 普通こういった部位にいる獅子は頭だけといった省略的な姿をしている。しかし、この山神社にある手水舎の獅子には、ちゃんと後ろ足までしっかりとあるのだ。 その姿は、おしりの部分で柱と繋がっていて、まるで柱から今、生まれ解き放たれようとしている瞬間に見えてくる。 どこか西洋的とも思える風貌は、神社にあるにもかかわらず、中世の古書の一節、あるいは予言書の物語を想像させる。「今まさに猛獣が解き放たれようとしている…」と。
宗教哲学者「清澤満之」で有名な大浜「西方寺」を訪れる。本堂の階段から向かって、屋根を支える左の柱を見上げてみると 真っ白い顔をして、真っ赤な口を開けた獅子2体と龍1体が空を睨む姿が目に留まる。彼らの表情は柱から解き放たれようと願う気持ちを感じさせ、見る者に一種の畏れを与えてくる。 3体の彫像の視線を注意深く見て欲しい。ギョッと剥いた目は明らかにこちらを見ているよう。場所を変えて再び見上げると、やはり視線はこちらに。 これは単なる錯覚か? それとも職人の作為によるものか? 鳩の害を防ぐ為と思われる金網も、実は別の理由があるのかも知れない。
< text • photo by heboto >