15.鳳来寺山(ほうらいじさん)(2014.09.14)   参考サイトはこちら他多数

14.宇連山からの続きになります。

 

 

1.撤収

14日は、鳳来寺山に登ってから三河大野駅に降りて、三河槇原駅まで飯田線に乗り、「愛知県民の森」駐車場まで歩く計画です。この飯田線の本数が少ないのが問題で、三河大野発が14:44、15:46の後は、17:51までありません。家で犬を待たせていることもあり、15:46は絶対逃したくないところです。

鳳来寺山から引地集落に降りた後、宇連川を一度渡って大野集落まで行ってから東海自然歩道を離脱し、もう一度宇連川を渡り直して三河大野駅発14:44に乗る、という前提で、愛知県のコースタイムから逆算して、幕営地7時出発、と一応計画していました。電車を一本遅らせられるのと、三河大野駅周りの大回りを省略できるのと、で1時間半の余裕はみています。

5時には明るくなって起きられるだろうし、そこから2時間あれば撤収と朝食も済ませられるだろう、と目論んでおりました・・・・が、実際に起きたのは 5:40。まずテントの中を空にせねば、というところで、いきなり、「シュラフのスタッフバッグが一つしかない!」となりました。

家内が「私がみんなの分を集めてどこかに入れたような気がする」というのですが、その家内の分しかありません。テントの外に出していたのを、昨日の「黒い影」に持って行かれたのだろうか、などと想像が膨らんでしまいます。
シュラフは念のためスタッフバッグをさらにゴミ袋でくるんで持って来ていたので、残り3つのシュラフはそのゴミ袋に押し込むことにしました。

(残り3つのスタッフバッグが、家内のスタッフバッグの中、詰め込んだシュラフのそのまた奥から発見されたのは帰宅後でした。)

外仕事も並行して進めないと、と私一人が外に出て、まずフライシートを外して畳もうとしましたが、前室部に大量に溜まっていた結露水を、ナベ・コンロ・靴にぶちまけてしまいました。朝食用に湯を沸かそうとすると、コンロに火が点きません。ライターは持っていたので事なきを得ましたが。

湯を沸かしながらペグを抜き始めていると、片づけを済ませた3人が出てきたので、朝食準備を家内に託してテント本体を畳み始めました。ポールの一本目は私が抜いたのですが、「やりたい」という長男に二本目をやらせると、きつく注意していたにもかかわらず、お約束のようにポールを引っ張ってしまい、スリーブの中で外れました。8割方抜けていたので何とかできましたが。
ペグ抜きは、かなり手こずる場所もありましたが、全12本中4本は子供達が抜いてくれました。

朝食は、フリーズドライのミネストローネと、ロングライフのパン、最後にココアです。ココアのためにコンロに点火し直した時には正常に点火しました。特にミネストローネはおいしくいただきました。

主観的には「大車輪の大活躍」で、片づけ終わった写真しか取れませんでしたが、この時刻が7:25。三河大野駅周りの大回りを止めるだけで取り返せる時間なので、焦らず出発できました。
 

*昨夜の「黒い影」の痕跡を目にした記憶はありませんが、撤収作業に必死になっている間は「黒い影」が頭から消えていたようです。

 

 

 

2.テント泊と生活技術

この日の名古屋の最低気温が18℃、標高700mで14℃くらいでしょうか、この気候では当然のように#5のシュラフでも過剰性能でした。
記憶が定かではないのですが、10時ごろから寝直す時も半袖Tシャツのままでしたが、そのうちに袖にかけるものが欲しくなりザックの中から長袖シャツを引っ張り出せば十分だろうと思いつつ、そうするのも面倒くさいので、横に置いてあったシュラフのファスナーも開けずに適当にかぶって、朝までそれで済ましてしまった、ようです。
この私が一番暑がりだったようで、残り3人はともかくも袋の中に入っていました。

ネット上の予習により、結露の問題は頭では理解していたつもりですが、実際に見てみると想像以上でした。
出入り口をメッシュ全開にしていたせいか、前室の上で特に大量に結露していました。前室を一旦片づけて、結露を拭いてから畳む、とかすべきだったのでしょう。
それ以外の箇所も、それなりに結露していて、シュラフ表地の撥水加工で間に合うレベルだったと思いますが、両サイドで使っていたシュラフにも少々水滴が付きました。

「生活技術」という言葉は、「獣医さん」のこの頁で初めて知りました。
その入り口を垣間見ただけの段階でしょうけれど、テント泊を一回やってみて初めて「生活技術」の意義と必要性を痛感した次第です。

まず、ザックの中身がまとまっていないので、「テント内ではザックの中身を全部出す」が、出来ませんでした。この辺り、テント内生活以前のパッキングの問題ですが、食糧を一つの袋にまとめる(その中でさらに小袋に分ける)のは最低限、と感じました。
水の容器も、1Lペットボトル1つの子供のザックはともかく、1Lを2本、0.5Lを1本放り込んだ私のザックは、かなりいただけない状態になりました。

ポールを真ん中の背中寄り、テント本体をその右側、左側にシュラフとマットを縦に入れ、左側のその上にコンロ・ガス内蔵のナベ、残りのものはそのまた上に詰め込む、で今回は通しましたが、「残りのもの」をさらに整理するために、食糧用と着替え用のスタッフバッグ、大きな水容器(プラティパス?)、は次回までに欲しいところです。シュラフやマットを使っている間のスタッフバッグは、取り出した現品に結んでおく、で統一しようかと考えています。

 

 

 

3.出発

まず、昨日も行った「瀬戸岩」に立ち寄りました。
今度は朝日に映えています。
この日も一日いい天気でした。



7:30に「瀬戸岩」を出発し、棚山高原の端まで行くと、玖老勢(くろぜ)峠までの激下りが始まります。

「これ画像で分かるかなぁ」とか言いながら写した右の画像、やっぱり傾斜が分かりにくいかと思いますが、木が幅広く開かれた斜面にジグザグの道が延々と続いています。見えている一番奥まで降りてその先を見ると、また同じような風景だったり、さらなる急傾斜に階段がついていたり、で、とにかく延々と下っていきます。
呼吸は平気ですが、膝が笑い出します。

一気に300m近く下って、玖老勢峠に 8:20 に到着。棚山高原(のどこか)からのコースタイム1:30のところ、「瀬戸岩」からですが、50分で降りていて、当初タイムスケジュールからの遅れはわずか5分となりました。

ここからは鳳来寺山への登り直しになります。こちらも険しいながら、適度に平坦区間も挟まるので、棚山高原に向かって登るのよりはまだマシではないかと思います。

歩いていた時は、「クロ岩」までは現在地を地図上で大体確認できていました。後から画像とタイムスタンプから地図上の場所を思い出そうとすると怪しいところがあるのですが、「犬戻り」の看板(9:03)は592mピークへの急登の入り口、「クロ岩」(9:39)は592mピークより一段上のピーク、だったようです。

「クロ岩」から先は、細かいアップダウンの連続です。下ってすぐ登る階段(10:00)や岩場(10:04)が続きますが、柵の設置などにより安心感を持って歩けました。
 
柵に頼ってしまったら尚危ない、とは思いますが、安心感があるので柵をつかむことなく自分の足でしっかり歩けるようになる、というのが柵の効用なのでしょう。

まだまだ先だろう、と思っているうちに、ひょっこり頂上に到着(10:11)です。

愛知県のコースタイムで玖老勢峠から2:10に対し、1:50で歩けました。

結局、宇連山山頂から鳳来寺山山頂までの間、他の人を全く見かけなかったのですが、それぞれの山頂は結構にぎわっていました。

当初計画では、ここで1時間かけて昼食、だったのですが、まだ時間が早いし、ここで昼食を取ると水の残りが心配になる、昼食を省略してこのまま下山したら、もう一本前の電車に間に合って、「愛知県民の森」内にある「モリトピア」でお風呂に入れるのではないか、と家内が提案してきました。

家で犬を待たせていることから、14:44発の電車に乗って移動した後から風呂、というのは却下していたのですが、それより早い電車なら、風呂もいいかな、と思い直しました。しかしこの時点では、14:44の前は12時台だったはず、としか思い出せません。それでも何でも、とにかく早く下りてしまえ、ということに決しました。

という訳で、この先は一気に画像が少なくなります。

もう「崩壊し果てた」と言っても
良さそうな、奥の院。(10:24)
    本堂、ブレてます。(10:44)
  

本堂から上ですれ違う人はハイキングの装いですが、本堂周辺まで来ると普段着姿が優勢になります。本堂近くの自販機で水を0.5L×2購入し、水の不安はとりあえず無くなりました。

本堂から東照宮の方に回り、進んでいくと、東海自然歩道の看板が左に登る山道を指しています。山登りをしている緊張感が緩みかかったところでの登りは、標高差以上にきつかったのですが、60mくらい登った後は下りに転じます。この山道の途中ですれ違ったのは二組だけでした。

鳳来寺パークウェイを歩道橋で2度越えて、湯谷峠を過ぎてしばらく行ったところから、足元がひどく悪くなりました。大した傾斜ではなく、従って道はほぼ真っ直ぐなのですが、コブシ大からもう少し大きいくらいの石が掘れた道をゴロゴロ埋めています。その石の下には階段状に整備していた様子が見えるので、割と最近に登山道を土石流が駆け抜けて、そのままになっているのではないか、と推定しています。今の状態であれば、さすがの「鉄人さん」でも走るのは難しいのでは、と思います。

そこまで長くはないものの玖老勢峠への激下り以上に神経を使った下りが落ち着くと、わだちが見える道になりました。道標を見ながら、「三河大野駅に12時台の後半なら間に合うが、前半だったら難しそう」という話をしていたところで、電車で三河槙原駅に行くことを検討していた時の事を思い出しました。12時台の電車とは、三河槙原駅12時11分到着の電車だったのです。だとすると、幾らなんでも無理です。次男だけは「お腹空いてきたからお昼にしようよ」と言っていましたが、「大野の町で風呂を探してもいいし、とにかく早く下りる」と家内が押し切ってそのまま歩きました。
この辺りから「一風呂浴びたいパワー」で家内が先頭、私がダラダラ最後尾を歩いていました。

緩い下りを歩いていくと、踏切の音が聞こえます。後で調べると、三河大野発12:21の豊橋行き(乗りたいのと反対向き)が、三河大野駅に到着するところ、でした。久しぶりの人里、引地に到着です。

先行していた家内が早速地元の方に色々聞いていました。「20分ほど歩いて湯谷温泉に行けば、無料の足湯とか、色々ある」と教えてもらった、とのことで、その通りにすることにしました。

道標のある角で東海自然歩道から離脱、12:25でした。
愛知県のコースタイムで鳳来寺山山頂から2:40のところ、2:15で歩けました。


先に風呂に入って、その後適当な店で昼食にする、持参の食糧には手を付けない、という方針を決めながら、日陰の少ない舗装道路を、時間はたっぷりありますから、だらだら歩いて行きました。

湯谷温泉のエリアに入って、一番最初に見えた温泉旅館に飛び込んで、風呂にゆっくり入り、更にその並びの土産物屋兼軽食屋にて、五平餅・蕎麦・うどん等を食しつつ時間をつぶしました。

特急「伊那路」も停車する湯谷温泉駅は、土日祝日と月曜だけ駅係員が居るのだそうです。「みどりの窓口」でお馴染みの機械から出てきた、これまでで一番立派な140円切符を持って、14:49発(=三河大野14:44発)の電車に乗り込みます。

三河槇原駅は1面2線の交換可能駅でした。同時発車する電車を見てから駅を出ました。
 
(乗ってきた電車は左側)

ここで二手に分かれて、家内と長男は駅のベンチで荷物番、私と次男が空荷で「愛知県民の森」まで車を取りに行きました。もう時間とか気にしていなかったのですが、まあまあ早く三河槙原駅まで戻ってこれたようです。

 

 

 

4.留守番犬

道路は順調で16:45には帰宅できました。17:00にセットしている自動給餌器が再び作動する前に帰れた、と思って庭を見てみると・・・犬が脱走せずに居たのはいいのですが、自動給餌器はバラバラになって、勿論エサ入れ部は空になって、転がっていました・・・3、4日分のエサを入れていたと思うのですが。。。

愛情表現200%で甘えまくる犬を散歩に連れて行った後、軽めにエサを与え、人間の方は歩いて近所のサイゼリヤに行き、夕食を済ませて帰る途中で・・・見慣れた犬がウロウロしています。どうも「飼い主が帰ってきて安心したパワー」で脱走したようです。全くの偶然ですが、自力で捕まえることができ、世間様を騒がせるのを最小限にできたことに感謝せねばなりません。

従来は繋いでいたのを、テント泊の間ずっと動けないのは可哀そう、と考えて、フェンスの隙間から出ないように網を張るなどした上で庭に放し飼いにしたのですが、目撃情報によるとフェンスを乗り越えた、とのこと。次回のテント泊までに考えることが増えてしまいました。

 

 

 

無事に帰って来れて、かつ、子供に「二度と行きたくない」、と言われなければ成功、とすべきところ、文句なしの大成功でした。
愛知県のコースマップのタイムに対し、誤記の疑いが強い「宇連山−棚山高原間」を除いて、テント泊装備でもより短時間で歩けました。歩行時間的には最難関の寧比曽岳でも行けそうな気がしてきました。
宇連山山頂から鳳来寺山山頂まで全く誰も見かけなかったのは想定外でした。周囲2km以内に人間は誰も居ない野外で寝る、ということについては、やってみて初めて分かったところが多かったと感じています。
水計画はギリギリとも言えますが、無駄な量を担がなかったのですから、絶妙の計画だったことにします。
ガス消費は、34gでした。まだまだ予備ガスを持って行く必要はありません。
「生活技術」のところは、少しずつでも向上していきたいです。
留守番犬は・・・・・参りました。

 

 

13日/14日の全歩行コース(クリックで拡大)
赤:東海自然歩道区間、緑:その他区間(歩き始め/終わり)

・東海自然歩道区間で13.5km歩きました。

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