シモン・ボッカネグラ :渋い男達のドラマ

歌よりも朗詠に重心が移っていて記憶に残る「歌」には乏しいのですが、全曲を通じて渋い美しさで、ヴェルディのオペラの中でも異彩を放つ逸品です。冒頭の弦楽合奏からして、どこかで聞いたことがあるような懐かしさを覚えるのは私だけではないと思います。

1857年の初演(台本:ピアーヴェ)では全く受けず、1881年にボーイト(「オテロ」「ファルスタッフ」の台本作者)による台本の改訂も含めた大改訂・・この改訂版初演も余り受けなかったようですが・・の形で今日は上演されており、この作品に関しては改訂後の方が断然優れているというコンセンサスが出来ているようで、初演版のDVDというのは寡聞にして存じません。1871年「アイーダ」初演から1887年「オテロ」初演までの間の、「ドン・カルロ」大改訂に先立つ大きな仕事です。改訂の際に全面的に書き直して生まれた第1幕大詰めのパオロの自己呪詛の場面など、「オテロ」につながる後期の名作と呼ばれても全然構わないだけのものがあります。

粗筋はこちらになります。これだけ見ると分かったような分からないような、だと思いますが、実は何度繰り返し見ても、第1幕第2場はよく分からないのです。永竹さんは、ボーイトの改訂が辻褄合わせよりも劇的迫力を優先したところがある、と指摘していますが、私にはそれ以前のところで分からない所だらけなのです。ガブリエーレは暴動を扇動したのか、暴動に追われて宮殿に逃げ込んだのか、すら分かりません。この時にパオロとピエトロが逃亡を試みるセリフがあるからには扇動したのは彼らだと考えるべきでしょうが、それとガブリエーレとの関係がまるで分かりません。アメーリアがどのようにして宮殿に現れたのか不明なのは永竹さんも指摘するところで、ロレンツィーノのところにアメーリアが居たのをガブリエーレが見つけたからロレンツィーノを殺したのなら、アメーリアはその後ガブリエーレと行動を共にするはずで、誘拐の黒幕の名前をガブリエーレに伝えているはず、アメーリアが自力でロレンツィーノのところから脱出したのならガブリエーレはロレンツィーノに疑いをもつことは出来ないはず。。。第2幕以降でも、シモンを亡き者にするために毒と刺客の両方を送り込んだ体制側実力者でもあるパオロが反乱に身を投じる理由が理解できません。

実在のジェノヴァ初代総督シモン・ボッカネグラに関しては、2代目総督ガブリエーレ・アドルノがその歴史的記録の抹殺に勤めた結果、(パオロ・アルビアーニではなくて)ピエトロ・マルチェッロに毒殺されたこと以外殆ど残っていません。このように、記録が殆ど無いながらオペラの登場人物は大体実在の人物で、ただしアメーリア・グリマルディが実在したかどうかは不明です。

これら登場人物から物語を作ったのが、「イル・トロヴァトーレ」の原作者でもあるスペイン人グティエレスです。永竹さんの本で紹介されている、その粗筋を見ると、筋は通っています。通っていますが、ガブリエーレやパオロの動きがごちゃごちゃしていて非常に分かりにくい。ピアーヴェが最初にオペラ台本にする際にもかなり大胆に辻褄合わせには目をつぶってオペラ的効果を求めており、それをボーイトがさらに徹底したのが改訂版であるようです。アメーリアの突然の出現は、第1幕大詰めの山場、パオロの自己呪詛の場面を効果的にするために、ボーイトが辻褄合わせには目をつむったもののようです。パオロの反乱は、原作ではアメリアを嫁にもらうかわりにフィエスコに約束したことになっており、オペラにする際に色々な事件の前後関係を変えた結果、この原作での取引のシーンが有り得なくなり、説明抜きで反乱に向かわせることにしたらしい。

かくのごとく、ストーリーを理解しようとするとまるで駄目なのですが、実際見ていてると殆ど気になりません。このオペラの主要登場人物は、シモン、フィエスコ、アメリア、ガブリエーレ、パオロの5人ですが、特に重要なのがシモン、フィエスコ、アメリアの3人で、この3人に関しては心理の動きに不自然な所がないからだろうと思っています。特にシモンとフィエスコの2人には屈指の深い心理描写が与えられています。アメリアは、その出生の秘密がこのオペラの種ですが、心理的にはシンプルです。しかし実質的に紅一点であり、また第1幕冒頭のカヴァティーナは、この作品中でずば抜けて印象深い「歌」になっていることもあり、その存在感はシモンとフィエスコの二人に並びます。

 

手持ち音源

アバド指揮パリ国立歌劇場

これで録音が良ければ文句無しの決定盤だったのでしょうが、1978年収録なのにかなり嘆かわしいレベルの録音が非常に惜しい。オケピットにはマイクを立てていなかったのでしょうか。パルマでの「リゴレット」と同じく本来は私家版としての収録だったのかもしれませんが、音質はその「リゴレット」より遥かに落ちます。画質も良くありません。カメラワーク自体は「リゴレット」よりは遥かにまともですが。

アバド指揮、ストレーレル演出、カプッチッリ、フレーニ、ギャウロフ、という顔ぶれは、1970年代にこのオペラ自体の評価を一気に引き上げた組み合わせで、余りにもはっきりしないオケの音のために判断を保留せざるを得ないアバドの指揮はともかく、この人達がやはり素晴らしい。階段舞台の上に帆を一枚張っただけのストレーレルの演出は趣味の良さの極致と見えます。

カプッチッリとギャウロフはこの時点でも結構な年齢だったことになりますが、1980年代の録音よりは声があります。そしてこのオペラでは声があること以上に重要な「迫力」「存在感」は劣悪な録音からも伝わってきます。ヴェルディのソプラノ役の中でフレーニに一番合っているのがこのアメーリアでしょう。エリザベッタ(ドン・カルロ)では少し声質と役柄が合わない、デズデモナ(オテロ)ではその乖離が更に大きくなる、のを表現力でカバーしていたのが、ここでは声質と役柄がぴったりあっている上にこの表現力です。第1幕の冒頭はもう問答無用で聞き惚れてしまいます。これでガブリエーレがアバド盤CDと同じくカレーラスなら、と思わなくもないですが、贅沢は言いますまい、ここで歌っているルケッティも決して悪くはありません。

 

レヴァイン指揮メトロポリタンオペラ

2種類あるうちの「新盤」を持っています。録音はごく正常で、メトロポリタンオペラの実況録音にありがちな「潤いの欠ける録音」でもありません。1995年にもなると録音が一段と上手くなった、のかもしれません。演出のジャンカルロ・デル・モナコは、かのマリオ・デル・モナコの息子だったと思いますが、非常に豪華で凝ってはいるものの地味で品が良い舞台で、ストレーレルにも劣らぬ好印象を受けます。歌手陣は全体にアバド盤より小粒になります。シモンを歌うチェルノフも、フィエスコを歌うロイドも、しっかり歌っているのですが、カプッチッリとギャウロフが持つプラスαがないような気がします。テ・カナワはベーム指揮ポネル演出の「フィガロの結婚」の時より上手く、容姿の衰えも殆ど無いのですが、声が年を取ってしまいました。収録時点でフレーニより10歳ほど上となると、この娘役で比べられるのは厳しいものがあります。

ガブリエーレを歌うドミンゴは、アバド盤のルケッティより「大粒」になりますが、主役とは言えないこの役で迫力ありすぎる声が空回りしている感も無きにしも非ず、です。いずれにせよ、この役はカレーラスにこそ合っている気がします。パオロはこちらの方がいい。

と、やや否定的に書いてしまいましたが、十ニ分に立派な演奏です。こちらを既に気に入っておられる方にはアバド盤DVDを強いてお勧めはしません。録音の悪さだけでも幻滅されかねませんから。('03.11.17)

 

アバド指揮ミラノ・スカラ座

1979年収録のHouseOfOpera盤。パリ・オペラ座盤の画質音質がかなり悪いので、もしかしてこちらの画質音質がよければ、と手を出してみました。指揮、演出、主要出演者全て共通で、細かく比較すれば多少の優劣はあるかもしれませんが、全体として殆ど同じ演奏であるような気がします。つまり立派な演奏だとは思います。しかし、画質と音質は、悪さの種類がそれぞれ大分違うのですが、総合的に見てあちらの方が少しだけマシと判定しました。字幕も無しですし、オペラ座盤を持っているなら持つ意味なしと言わざるを得ません。('05.01.10)

 

 

アレーナ指揮オランジュ古代劇場

1985年7月13日収録のTV放送。これも画質はともかく音質は今一つ、歪み感はそれ程でもないですがoperashareから入手した録画ではヒスレベルが思い切り高いです。オランジュ古代劇場の響きは、強風でオケの音が吹き飛ばされてしまったかのようなカバリエ主演の「ノルマ」よりはずっと良い状態で録れていると思います。野外劇場の広さを生かした演出は中々結構です。
カプッチッリは、若作りの場面であるプロローグでは少し声が年取ったかな、とも思いましたが、肝心の第1幕後半は相変わらずの迫力です。それよりカバリエに聞き惚れてしまいました。フレーニとは大分違う声なのですが、声の重さとしては同じくらい、「運命の力」とか「ドンカルロ」とかには少し軽すぎるところ、このアメリアにはそれぞれ丁度いい、というところなのでしょうか。姿はアメリアには貫禄あり過ぎで、この点ではフレーニに負けますが、それにしても美声でした。プリシュカはギャウロフ程怖くはないですが、レヴァイン盤のロイドのように「小物感」を感じさせることなく、カプッチッリの相手役として不足なく歌っています。Bartolini は気に入りました。ガブリエーレ役はこの位に優男気味で丁度いいと思うのです。
それにしても、もっといい録音状態でカプッチッリ演じるシモンを見てみたいものです。
youtube に全曲アップロードされていました⇒ここ

Piero Cappuccilli (Simon Boccanegra)
Montserrat Caballe (Amelia)
Paul Plishka (Jacopo Fiesco)
Alain Vernhes (Pietro)
Lando Bartolini (Gabriele Adorno)
Alain Fondary (Paolo Albiani)
Christine Pirson (Ancella)
Bruno Costantini (Il Capitano)

Orchestre national de France
Choeur de Radio-France

Maurizio Arena (conductor)
Jacques Karpo (Stage Director)

Broadcasted live on the French TV

 

 

パッパーノ指揮ロイヤルオペラ

2010年、ドミンゴが歌手活動の最後にバリトン役への挑戦していった、その第1弾がシモン役でした。当時の私の記憶があいまいなのですが、最初に手に入れたスカラ座の公演(音声のみ)を聞いて、「テノール声ではシモンは駄目」と決め付けて、暫く後で手に入れたロイヤルオペラのこの映像(後述のyoutubeより良い画質で持っていますが今となっては入手経路不明)を見るより前に、マントヴァ収録の「リゴレット」を映像で見て「テノール声ではリゴレットも駄目」と再び決め付けて、このロイヤルオペラの映像は長くお蔵入りすることになった、ようです。それがオランジュの舞台を見たのをきっかけに見始めてみたら、見覚えはないものの結構いけるじゃないの、と思った次第です。
 シモン役は、何せカプッチッリをデフォルトにしているのですから、音声のみの時に「テノール声では全然駄目」と思ったのはやむを得ないでしょう。しかし映像付きだと、シモンという役がドミンゴの大芝居と相性がすこぶるよろしいと思えてきました。このオペラのアドルノ役にしろ、カルメンのドン・ホセ役にしろ、「ドミンゴさん大芝居のやり過ぎやり過ぎ!」という例の方が多いくらいで、これが「オテロ」なら大芝居でも気にならない、マイヤベーアの「預言者」なら大芝居フル回転で丁度いい(=本来ドミンゴの最高の当たり役であるべき)、と思っていたのですが、大芝居が似合う点ではシモン役はオテロ役をも上回るようです。演技を見ながら聞くのであれば、カプッチッリのを聞かなかったことにして、オテロ以上に高音を欠くテノール役だと自分に言い聞かせてしまえば、声の方もかなりの出来と思えてきました。
 それにしてもどうにもならないのが、オペラおばさま方には大いに不評のポプラフスカヤでした。アンサンブルの中ではまだマシになりますが、登場のカヴァティーナが悪声の上に高音がGくらいから既にすんなりとは出てこなくて、直前に聞いていたカバリエとは大差がついてしまいます。ドミンゴの方は「これはこれでアリかな」となったのですが、美点がどこにも無いこちらはどうにもなりません。
 フィエスコ役のフルラネットは十分に怖く、それもギャウロフより丁寧な怖さで、一番好きなフィエスコでした。カレイヤは体格はごつい割りに存在感はさほどでもないので、アドルノ役としてはまあまあです。パオロ役がいかにも悪役バリトン風で、ドミンゴ演じる「主役テノール」との組み合わせに安定感があります。
 簡素な演出は、趣には乏しいのですが、分かり易いものです。英語字幕が簡潔ながら要を得た、これまた分かり易いものです。youtube に全曲アップロード(パッパーノの口上付き)されています( ⇒ここ )ので、オランジュの舞台と見比べもできます。

Simon Boccanegra Placido Domingo
Amelia Grimaldi Marina Poplavskaya
Gabriele Adorno Joseph Calleja
Jacopo Fiesco Ferruccio Furlanetto
Paolo Albiani Jonathan Summers
Pietro Lukas Jakobski
Amelia's Maidservant Louise Armit
Captain Lee Hickenbottom

The Royal Opera Chorus
The Orchestra of the Royal Opera House

Conductor Antonio Pappano

 

 

バレンボイム指揮スカラ座

 上記のロイヤルオペラの公演がそこそこ気に入った上で、しかし、このアメーリアは無いだろ、というわけで、調べてみたら、ミラノ・スカラ座とマドリッド・レアル劇場で、ドミンゴとフルラネット以外は別の歌手による公演があり、スカラ座では映像もあることが分かったので、入手した、というものです。
ドミンゴの印象はロイヤルオペラと殆ど変わりません。フルラネットはなぜだか良く分かりませんが、ロイヤルオペラの方が微妙に好きです、が、こちらも大きくは変わりません。歌手の調子の違いよりは、バレンボイムの指揮が重た過ぎるのと、何だか窮屈な舞台装置と、暗すぎる照明と、の違いの方が大きいかもしれません。
 で、お目当てのアメーリアを歌うハルテロスですが、歌の方はポプラフスカヤと比べればそりゃマシですが、やはり高い音がすんなりとは出てこない発声で、フレーニやカバリエには大分及ばないように思います。見た目でポプラフスカヤの四角い顔よりずっとお綺麗なのが良いです。
 パオロはバリトンでもかなり低めの人が歌っています。プロローグ開始早々のピエトロとの会話では魅力的な低音だと思ったのですが、続く独白(最初の聞かせどころ)で、そう高い音でもないのに一気に響かなくなってしまったのが残念。この役はロイヤルオペラの人の方が好みです。アドルノ役は適度な存在感で、こちらはロイヤルオペラのカレイヤと、どちらでも構いません。
 総合的にロイヤルオペラの公演と比べてみると、ハルテロスの見た目は素敵でも、字幕も付かないし映像も暗い、という差を埋めるところまでは行かない、という私の感想です。

Recorded the 16th April 2010 at the Teatro alla Scala
Daniel Barenboim, conductor
Placido Domingo (Simon Boccanegra)
Ferruccio Furlanetto (Jacopo Fiesco)
Massimo Cavalletti (Paolo Albiani)
Ernesto Panariello (Pietro)
Anja Harteros (Amelia)
Fabio Sartori (Gabriele Adorno)
Antonello Ceron (Captain)
Alisa Zinovjeva (Amelia's servant)

 

 

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