リゴレット :舞台の上のリアリティ

原作は文豪ヴィクトル・ユーゴーによる、しかし無名な戯曲=そのままの姿では今日まず上演されない=です。無名作者による無名な原作戯曲による「運命の力」や、超有名作者による超有名な原作(しかし私は個人的に受け付けにくかった筋立て)による「オテロ」に比べれば、筋立てについてとやかく言われることはまだ少ないようです。後に後妻となる愛人ストレッポーニをかつてもてあそんだ劇場関係の男達に対するヴェルディの怒りがリゴレットの怒りと重なり、凄い迫力のオペラを産んだ、といったお話をするのは私の柄ではないので止めておきます。

粗筋はこちらになります。もしリアリズムの立場で見るならば、この展開もかなり凄いものがあります。第1幕だけでも、何故箱入り娘を隠す家が選りによってチェプラーノ伯爵邸の目の前なのか?。いくら暗いといっても、目隠し耳栓されて気が付かないということがあるのか?。自分の家への侵入の手伝いをして気が付かないということがあるのか?。。。。

このような疑問を一々呼び起こしたのが、マリア・カラスが歌っている「仮面舞踏会」CDの次に入手した、ヴェルディのオペラで初めての映像盤ということになる映画仕立てのシャイー盤でした。

その時点での私のオペラの知識というと殆どモーツァルトとヤナーチェクに限られていて、悲劇的なオペラのイメージというと、ロシア自然主義がそのまま反映されているかのような「カーチャ・カバノヴァー」「死者の家から」でしたから、「仮面舞踏会」の暗殺団や「リゴレット」の誘拐団に、軽やかな音楽が割り当てられているだけで吃驚していました。悲劇的ストーリーは音楽を付ける素材であるというヴェルディの姿勢すらよく分かっていない頃に、この映画仕立てで見てしまったのは、思えば不幸な出会いでした。

そしてその疑問を払拭したのが舞台収録のカンポーリ盤でした。後者の誘拐シーンの展開中の画面に至っては、多分照明係の事故かミスだとおもうのですが、ほぼ完全な暗闇になるのです。初めは驚きましたが、暗闇の向こうの舞台に想像をめぐらせると、リゴレットが手探りでチェプラーノの鍵の紋章の形を確かめるところ、嬉々として目隠しされたまま梯子を抑えているところ、が目に浮かんでよく分かったのです。ある程度明るくても、ちゃんとした演出の舞台であれば同じ理解でオペラを楽しめると思いますが、あの漆黒の暗闇は私にとってはある種のショック療法のように効きました。

後に続く「イル・トロヴァトーレ」「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」と比べても革命的で集中力の強いオペラだと思いますが、私自身の体験した回り道から申しますと、ヴェルディを初めて聴く方には向いていないようです。リアリズム調の感情移入はうまくいきません。舞台を楽しみ悲劇を楽しむ感覚があればいいのですが。一方そのあたりを気にしないで楽しめるのなら、重唱の多いこのオペラではとりわけ「声の饗宴」を堪能できます。

 

手持ち音源

カンポーリ指揮エミリア−ロマーニャ交響楽団盤

 英語字幕のみ、リージョンコード0の輸入盤。1987年パルマでの上演記録としての録画録音だったのだけれど、あまりの素晴らしさに一般販売に踏み切った、と書いてあります。クローズアップが全然無いのと照明が妙で、セッラのお顔などカーテンコール以外では殆どまともに拝めません。最初はこれでくじけそうになったのですが、こういうものだと納得してから見ると、むしろクローズアップに妨げられることなく劇場で見ている臨場感を満喫できます。演奏はもう、オペラ上演史上めったに無いと思える程の「声の饗宴」です。ステレオの広がりは乏しいのですが、自然な音場感の録音の水準は画像の水準よりはずっと上です。

クラウスはその場その場の恋を真剣に生きるのだけれど結果的に女たらしになってしまう貴人を格好良く歌い上げていて、ただの助平オヤジにしか見えないパヴァロッティより遥かにいい。声の質がより相応しいと思いますし、姿の格好よさでは勝負になりません。60近い年齢だったはずですが、声の伸びも張りも申し分ありません。第1幕でリゴレットの軽口をたしなめる所で、リズムを外してしまいますが、傷になるというより臨場感を盛り上げています。

セッラは超高音ソプラノの中でも際立って金属的な声の持ち主です。その声を駆使しての「慕わしきお名前」では、初恋に舞い上がってしまって夢見心地の娘心を歌い上げて余すところがありません。

この2人ともその名前で期待する以上の名唱だと思いますが、ヌッチのリゴレットはもう凄すぎます。スーパーバリトンとでもお呼びしましょうか。このリゴレットという役、永竹さんを引用しますと、
彼は不具でさえなければ相当な才能と武力のあった男であった。それがため、たとえ不具であっても、若い時にある女性(かなり美人であったはずた)と知り合って、ジルダという美しい娘まで生ませている。もしかしたら、その女性は貴族の娘で、子供ができたのに結婚できず、無理やり引き離されて、死んだか修道院にでも入れられ、その結果リゴレットは一人でジルダを育てていたのかもしれない。そしてジルダへの愛とその母親であった女性との愛が結びつき、貴族への憎しみは自分の幸福を奪ったものへの憎しみとなったのではないだろうか。いずれにせよリゴレットは本来ならば立派な男であるべきで、そのあたりの感じが舞台でも必要になってくる。声としてはマクベスやシモン・ボッカネグラよりはるかに輝かしい、高音の響くバリトンが要求される。
ということですが、そのままここでのヌッチに当てはまります。絶妙の演技も霞むほどの物凄い声です。「二人は同じ」「悪魔め鬼め」と凄まじい歌唱が続きますが、特に第2幕最後、モンテローネを舞台の奥の方で見送った後、声を張り上げながら手前に出てきて突入する「復讐だ」の二重唱は、最後のセッラの超高音(Es)もあって、手に汗握る迫力です。

主役陣が凄すぎて、モンテローネ役の声の無さが妙に際立ったりします。カンポーリの指揮は、主役3人の歌を引き出したのですから素晴らしいというしかないのでしょう。英語字幕でも構わないのなら断然お勧めです。

 

シャイー指揮ウィーンフィル盤

 ポネル演出による映画仕立てです。今回LDプレーヤーを買いなおして見直してみると、私が長らくヴェルディを苦手にしてしまったのが良く分かるのです。つまり全然お勧めできません。

 ポネル演出でも「フィガロの結婚」は良かったと思うのです。「フィガロ」では序曲の間に、物語の始まる前、即ち「セヴィリアの理髪師」の展開を暗示するような画像が流れます。これならこれから始まる物語への期待を高めこそすれ、邪魔することはありません。それがこの「リゴレット」では前奏曲の間にラストシーンと同じような絵を見せてくれるのです。これでは推理小説のネタばらし並みです。この先も納得できない演出が続きます。「リゴレットが情婦を囲ってるぜ」と廷臣達が話をしているのをリゴレット本人が聞いていては、ぶち壊しでしょう。モンテローネが公爵とリゴレットを呪ったところで廷臣達が「楽しい宴を邪魔しやがって、許されると思っているのか」と責めるその相手は勿論疑いもなくモンテローネのはずなのですが、この演出ではなぜか標的がリゴレットになっています。リゴレットが家に辿り付く場面で、公爵と廷臣達とがニヤニヤ笑いながらリゴレットを待ち受けているように見えるのですが、それではその先のストーリー展開と合いません、これで当初随分混乱させられました・・・以下きりがないので省略。

 パルマの映像を思い出すようにしながら音に集中しようとしても、やはり負けます。「慕わしきお名前」「女心の歌」といった聞かせどころでは本気で歌っているのですが、重唱部分ではどうもスタジオで楽譜見ながら歌っているような感触が拭えません。画面の広さと合わないスタジオ録音の音場感がそれに拍車をかけます。カンポーリ盤よりマッダレーナ役が良いので、有名な四重唱や、その後の三重唱はかなりいいですが、それ以外の重唱は全然ダメです。「復讐だ」の二重唱は比べると特にがっくり来ます。

パヴァロッティはかなり特徴ある声のテノールです。マントヴァ公爵は若い頃から得意にしていたようですが、この録音では声が重過ぎます。安定もしているし高音も奇麗に出るのですが、クラウスの軽やかさ、品のよさ、格好よさ、とは比べようもありません。グルベローヴァはもっと太かったイメージがあったのですが、ドンナ・アンナ(ムーティ指揮「ドン・ジョヴァンニ」)をやっている姿よりはマシで、今見れば許容範囲内です。超高音ソプラノでもセッラよりは普通の声で勿論上手いのですが、セッラよりよいところは見つけにくいです。ヴィクセルはリゴレットとモンテローネの二役ですが、モンテローネだけならば良かったのにと思います。リゴレットの品がありませんし、声もヌッチの足元にも及びません。

意外と「リゴレット」の録画は少なく、とりあえず間違い無さそうなレヴァイン/メトや、ムーティ/スカラ座が無いので、その位置にこのシャイー盤が着いている感じです。ポネル大先生が権勢の限りを尽くして豪華陣容を揃えたようなのですが、オペラは舞台で演ずるもの、オペラ歌手は舞台で歌うもの、という大原則から外れた結果、豪華陣容はその力を十分に発揮できないままになったように感じます。

 

amazon.comの評を見てみました。カンポーリ盤は高評価が一人、中くらいが二人でしたが、言っていることは皆同じで、問題ある画像と圧巻の歌唱と、どちらに重きをおくか、だけの違いでした。シャイー盤の方は30人以上の評が載っていて、演出とカメラワークには疑問の声が多いものの、歌手の評価はほぼ絶賛で揃っているのが意外、あんたら本当に凄いのを聴いてませんな?。

ムーティ盤「ファルスタッフ」及びサンティ盤「セヴィリアの理髪師」に、'03.11.06 TDKコアから発売予定の、ヴィオッティ指揮ベローナ野外劇場でのライブ盤の予告編が入っています。ヌッチのリゴレットがパルマでの出来には及ばない、公爵がまるで田んぼで蛙取りをするガキがそのまま大きくなったように見える(但し歌の雰囲気は非常にいい)、など、パルマの上演記録を知ってしまったものには多少物足りない面がありそうですが、一般的には、シャイー盤が誤って座っている「決定盤」の位置につくことでしょう。(03.10.05)

 

 

コンロン指揮パリ国立オペラ

1996年バスティーユオペラ収録のTV放送から起こした覚しき、HouseOfOpera(←ここに紹介文)盤です。ここの画質音質評価には珍しい、「画質4/5、音質5/5」 という高評価がついていました。「リゴレット」を見るのに、画質最低のカンポーリ盤ばかりでは少し寂しいので、アンドレア・ロシュトが出ているこれに手を出してみました。が、音声が左CHしか出ません!。それさえなければ確かに良い部類でしょうが、それでもロッシーニ「ブルスキーノ氏」には負けると思います。

気を取り直して観てみると、期待にそぐわずロシュトがいいです。美人だし演技も上手いし。声質が違いますが、歌でもセッラにも決して負けていないと思います。しかし、他は全部カンポーリ盤には完敗。舞台収録なのに、何だか楽譜見ながら歌っているかのような、窮屈さ、ノリの悪さがあります。これはまずコンロンの責任でしょうか。ヴァルガスの公爵、ガヴァネッリのリゴレットとも、クラウス、ヌッチには遠く及びません。しかしこれでも、シャイー盤に違和感を感じる人なら、白熱の舞台と聞こえるかもしれません。私にはカンポーリ盤の凄さをあらためて思い知らされたような一枚ということになりました。(05.07.31追記)

 

 

Saccani 指揮(ヴェローナ・アレーナ歌劇場)

調べれば分かるとは思いますが、今のところオケも不明です。HouseOfOpera盤で、デヴィーアとヌッチが共演した1991年のアレーナ野外劇場の上演記録なのですが、客席隠し撮りのようです。カメラは斜めからの一台だけです。その割には画質はまあまあですが、暗い場面で真っ暗になってしまう点ではパルマのDVDよりさらに悪くなります。音は調子のよいところだけなら良い部類なのですが、右chが接触不良だったのか、幾度となく断続するのがかなり残念。そんな音と画像でも、ヴェローナ・アレーナの客席での雰囲気は売り物DVD以上に伝わってきます。

パルマに比べると声が引っ込む録音を通しての感想になりますが、デヴィーアの細やかな情感を込めた歌い方はセッラとは一味違ってこれも素敵です。ただ、聞き比べ箇所の「復讐だ」の二重唱では、指揮者もデヴィーアもそこまで盛り上げる気が無かったらしく、ヌッチのやる気が空回り気味、と思ってしまいました・・・パルマではセッラも「いっちょやったるでぇ!」で、二人がぴったり噛み合ったのでしょう。ここも含めてヌッチにはパルマよりやりにくそうなところが散見されるように思いました。ジョルダーニの公爵は十分楽しめました。ジルダと公爵はともかく、リゴレットはパルマのヌッチ以外受け入れられなくなってしまったようです。(08.02.03追記)

 

 

サンティ指揮チューリヒ歌劇場

某所からドイツ語圏のTV放送録画を手に入れたら、その後で正規国内盤が発売されてしまった、ものです。従って日本語字幕の出来は存じませんが、非常にいいDVDです。パルマよりほぼ20年経っているにもかかわらず、ヌッチは頑張っています。モシュクはエヴァ・メイ似の姿と声でジルダを丁寧に歌ってこれも素晴らしいし、ベチョーラの公爵と共に年齢のイメージがぴったりです。モンテローネもスパラフチーレも良い声をしています。敢えて言うとマッダレーナの声が今ひとつで第3幕の四重唱や三重唱(これはテンポが速すぎます)が少し弱くなりますが、かなりの美人なので良しとします。チューリヒ歌劇場ですから、声の映える録音ですし、勿論暗い場面でも細部までしっかり見えます。背広にネクタイのシーンもありますが、特別に現代風を強調した演出ではなく、安心して見ていられます。想像できる範囲で非常に良く出来たDVDだと思います。

ですから、想像を絶する事態が進行したパルマの記録に取って代わるようなものでもありません。ヌッチも頑張っていますが、「二人は同じ」「悪魔め鬼め」といった注目箇所では物足りなさを感じます。「復讐だ」は聞き比べコーナーでお確かめください。チューリヒの聴衆は普通に上品に拍手をしていて、早くから異常事態に気がついたパルマの聴衆の反応とは全然違います。入門向け(というと馬鹿にしたように聞こえるかもしれませんが、その意図は全くありません)として安心してお勧めできる一枚と思います。(08.02.11追記)

 

 

ロペス=コボス指揮バルセロナ・リセウ歌劇場

順番をいうなら、聞き比べの「その23」のプロジェクトのことをお世話になっている方のブログで見て、それに出演しているスルグラーゼのサイトを覗いたのが発端で、「その22」の動画を入手し、このDVDも手に入れた、というわけで、スルグラーゼのマッダレーナ第3弾、です。アマゾンで「Rigoletto DVD」で検索し、日本盤は無いのね、と輸入盤を入手しましたが、後で小学館の「魅惑のオペラ」シリーズに入っていることを教えてもらいました。アマゾンでは何と書籍扱いだったのでした。輸入盤の方が1000円安かったので不問としますが。

SMの女王風・・では言い過ぎかもしれませんが、スルグラーゼは黒のワンピースにハイヒールで脚線美強調、刺激の強さではマドリッドの緑の衣装(その22)には及びませんが、マントヴァ(その23)での赤の衣装を上回ります(youtubeあり)、というのはともかく。
演出は頭では納得できるものの、感覚的に悪趣味と感じられるところの方が多いものでした。納得できたのは宮廷の場面での廷臣達の軽薄さで、チェプラーノ伯爵をリゴレットがからかっている時はチェプラーノをいじめる側、リゴレットが姿を消した途端にリゴレットをあざ笑う側、という変わり身の早さには説得力がありました。しかし、動く壁に磔(はりつけ)にされたような人物とか、妙だったり気持ち悪かったり、が多かったです。特に主役を歌うC=アルバレスのメイクが、米アマゾンでも非難轟々でしたが、何とも気持ち悪いのです。

歌では、M.アルバレスの公爵は全体に良かったと思います。ムーラのジルダは、一部しか見てませんがヴェローナで歌った時の方が生きが良かったような気がします。C.アルバレスのリゴレットは、ヌッチとは大分違いますが、これはこれで立派なリゴレットと思います。ヌッチより美声で音程も正確、という言い方は十分可能です。そういうのを超越したヌッチのリゴレットを誰彼無く真似るよりは、それぞれのリゴレットを作り上げてもらった方が嬉しい。でも、トータルでは、スルグラーゼなら見逃せないオジサン達以外には素直にお勧めできないように思います。(10.09.20追記)

 

 

 

Si, vendetta. 色々

手持ち音源が実は随分増えております。その中から第2幕の最後、「Si, vendetta.(復讐だ!)」の二重唱の聞き比べです。できるだけ大音量でお楽しみください。

その1:1984年 デヴィーア/カプッチッリ バルトレッティ指揮 Pistoia 歌劇場
OperaShare より音声のみ。遅めのテンポ、やや恵まれていない録音、ピークを超えているはずのカプッチッリですがそれでも迫力十分と思います。二重唱突入直前のEsはヌッチ以上に長く伸ばしているのが強烈です。デヴィーアも立派で安心して聞けますが冷静すぎるかも。

その2:1987年 セッラ/ヌッチ カンポーリ指揮パルマ歌劇場
上記パルマの公演記録のDVDより。ここからヌッチが3つ続きますが、やはりこれが一番と思います。ヌッチの放つオーラがセッラに受け止められて、いささかも空回りしていません。画像(クリックで拡大、以下同様)はセッラが最後のEsを伸ばしているところ。第1幕の宮廷の場以外ずっとこのような暗すぎる照明が続いているのが残念です。

その3:1990年 アンダーソン/ヌッチ Marcello Panni 指揮メトロポリタン歌劇場(公開停止)
OperaShare より音声のみ。ヌッチの声はまだ十分元気ですが、アンダーソンがロッシーニの諸役で感じているのと同様に私の好みから少しはずれます。

その4:1992年 スウェンソン/ヌッチ サンティ指揮メトロポリタン歌劇場(公開停止)
OperaShare より音声のみ。ヌッチの迫力が少し空回りしているように思えるのは、声が少し落ち始めたのでしょうか。スウェンソンは健闘していますが息継ぎが目立ってしまうのと、最後のEsが金切り声。それ以上にテンポ変動が不自然なのが気になります。

その5:2005年 ネトレブコ/ガヴァネッリ ダウンズ指揮ロイヤルオペラ
OperaShare より音声のみ。なんだかんだ言ってもハイレベルの4つの後に聞くのはつらいものがある・・・と私は思います。これでも最低というわけではないのですが 録音が出回っている中では最低レベルのようです。だれたテンポ、迫力無いガヴァネッリ、最後のEsを上げきらないまま伸ばしてしまったネトレブコ・・・うちのカミサンなどは「ネトレブコの歌が上手いと思ったことは無い」とのたまいます。同じ音量レベルだと 歌い始めの声量が小さすぎますが、あれでも後半でのクリップ覚悟でレベルを上げているのです。 (ここまで07.11.12)

その6:1989年 PATRICIA WISE /JOHN RAWNSLEY JOSE COLLADO指揮マドリッド交響楽団
OperaShare より画像込み。もう一つの最低レベルです。公爵をクラウスが歌っており、パルマより良い状態で見えるかな、と考えて入手したものです。実はパルマの演出そのままの舞台がまともな照明でよく見える、というものだったので、当初の狙い以上とも言えるのですが、演奏の水準はそのクラウスを除くと次元が違ってしまいます。WISE というソプラノ、ご覧の通りの美人ですが、歌は最初から高音が厳しいので案じていたら、なんと二重唱の最後のEsを省略してしまいました。。。最近この二重唱を聞かされ続けているうちのカミサンも「切符代返せ、てなものね」と大笑いです。RAWNSLEY のリゴレットは「ヌッチと比べれば全然駄目」ですが、「他と比べればまあまあ」という水準だと思います。

その7:1996年 ロシュトガヴァネッリ コンロン指揮オペラ座(バスティーユ)
OperaShare より画像込み。海賊版DVDでも持っていますが、こちらの方が状態が良いです。これも以前はパルマのと個別比較した挙句「ロシュト以外は駄目」と判定していましたが、最近のように碌でもないも交えて多数聞いていると、決して悪いものではないと思えてきました。ロシュトはやはりトップクラスのジルダだと思います。ガヴァネッリは2005年よりずっといいですが、でもヌッチとは比較になりません。二重唱突入前の、カプッチッリやヌッチが強烈に伸ばしているEsをCで済ましているのが、まず大いに不満(2005年ではEsにしている)ですし、ロシュトに迫力で負けています。

その8:1999年 Elizabeth Futral /Anthony Michaels-Moore ユロフスキ指揮モネ劇場(ブリュッセル)
OperaShare より画像込み。ややまったりしたテンポながら歌詞と旋律は安心して聴けますが、ヌッチの放つ「オーラ」のような、それ以上の「何か」は感じられない、という意味で、「歌」の出来はこれも「水準」だと思います。実は手抜き演出が災いして「映像」では冴えません。せっかくのフトラルの美貌と迫力バディを生かしきれていません。これも二重唱突入前のリゴレットのEsをCに取っています。

その9:1981年 グルベローヴァ/ヴィクセル シャイー指揮ウィーンフィル
世間では決定盤のように言われているかもしれない、映画仕立てのものです。DVDで出ていますが、これはLDから音声を取っています。碌でもないのも交えて多数聞いた後であれば、この二重唱でも「水準」はクリアしているのは分かる、のですが、それ以上では全然ないでしょう。グルベローヴァはヴィブラートがきつすぎます。ヴィクセルは声が軽すぎます。それ以前に、この二重唱を聴衆無しで歌わせることの無理を感じてしまいます。
(ここまで07.11.18)

その10:1971年 ラッセルグロソップ マタチッチ指揮N響(公開停止)
OperaShare より画像込み。音声も画像も状態はかなり悪いですが、演奏は中々。若々しく伸びやかなパヴァロッティの公爵が素敵です。第1幕の前奏曲にかぶせてナレーションを入れてしまうセンスにも時代を感じてしまいました。さて、ここに出てくる二人も水準以上だと思いますが、だんだん早くなるテンポの居心地が良くありません。

その11:1977年 リナルディパネライ プラデッリ指揮ドレスデン(?)(公開停止)
OperaShare より画像込み。映画版です。映画版ゆえに「その9」と同じく、この二重唱を聴衆無しで歌わせることの無理を感じますし、映像込みだと口パクがかなり気になります。ただ1970年代の舞台収録技術はごく一部を除いて未熟であり、当時としては妥当な選択だったことは認めるべきでしょう。で、歌手は水準、でしょう。。。。

その12:1979年 ブレーゲンマグヌエラ シャイー指揮シカゴ(?)(公開停止)
OperaShare より音声のみ。マグヌエラの入り方は格好良いのに二重唱に突入した瞬間に一気にのどかな雰囲気になるのはシャイーの指揮にかなり問題があるような気がします。ブレーゲンはさすが超高音には余裕がありますが、やはり指揮に恵まれなかった感があります。

その13:2001年 ロシュトヌッチ ムーティ指揮スカラ座
OperaShare より音声のみ。悪い意味で衝撃的な録音です。ロシュトとヌッチの夢の組み合わせなのに、詰まらない!!! 突入前のリゴレットのEsもCだし、最後のジルダのEsも回避だし、なんだこれは、と思ったのですが。。。 ムーティ指揮ですか、そういうことですか、つまりこれが原典版だということですか。はっきり言わしてもらいますが、そんな衒学的な原典主義は迷惑です。テンポも速すぎてヌッチの迫力が出てきません。問題の箇所以外でも、この二重唱ならでは、の切迫感が感じられないのです。
(ここまで07.12.02)

その14:1991年 デヴィーア/ヌッチ Saccani 指揮ヴェローナ・アレーナ(公開停止)
上記のHouseOfOpera盤。パルマの公演記録のDVDより。1万5千人収容だったかの劇場の客席で録った割には非常に良い音だとも言えますが、ホール本来の設備を使えたパルマに比べれば声が引っ込みます。入りのヌッチのEsはいつもどおりですが、最後のデヴィーアのEsは楽に出してはいますが、特に強調するでもなく、ヌッチの気合と噛み合っていない気がします。なお、他の場面でのデヴィーアはもっと素敵です。
(08.02.03)

その15:2006年 モシュク/ヌッチ サンティ指揮チューリヒ歌劇場(公開停止)
上記のDVD。全体に非常に良い中で一番残念なのが、他ならぬこの二重唱でした。入りのヌッチのEsは60歳を超えていても聞かせてくれますが、その後を何故か急に情けない表情になって弱々しく歌いだします。本人/指揮/演出いずれの判断かは見当つきません。勿論私は決然と歌う方が好みです。テンポが落ち着かないのも「その4」と同じく、私の好みではありませんが、サンティが信念をもってやっているのでしょう。モシュクも他の箇所では非常に良いのですが、最後のEsでは余裕不足です。
(08.02.10)

その16:1952年 カラス/CAMPOLONGHI MUGNAI指揮(メキシコシティー)
古いものも聞いてみました。OperaShare より音声のみ。CAMPOLONGHIの激情調は認めなくもないですが、テンポの定まらない指揮ともどもコントロールが行き届いていない感じが強いです。カラスは最後のEsがしっかり出せている点ではセッラに近いものがあり流石ですが、やはり声質がジルダ向きではありません。リゴレットを聞くためというよりカラスマニア向きだと私は思いました。

その17:1967年 リナルディ/カプッチッリ ロッシ指揮トリノ放送交響楽団(公開停止)
OperaShare より音声のみ。リゴレットだとカプッチッリよりヌッチだよなぁ〜の思いを再確認しました。まったりしたテンポと相まって何だか殿様みたいに聞こえます。イヤーゴ(オテロ)、ドンカルロ(運命の力)、レナート(仮面舞踏会)だとカプッチッリの方がいいのですが。リナルディのジルダは可も無く不可もなし。ここには出てこないパヴァロッティの公爵はシャイー盤より素直に歌っていて、こちらを聞くべき録音と思います。
(ここまで08.04.06)

その18:2008年 ダムラウ/Lucic ルイージ指揮ドレスデン歌劇場(公開停止)
本年6月欧州で生中継されたほやほや映像。フローレスの公爵が話題を集めた公演だったようです。そのフローレス、勿論悪くは無いですが、ロッシーニの方がより合っているようにも思います。巡回しているブログの情報によると、公爵を歌うとロッシーニを歌うのに差しさわりが出るので控えることにする、とフローレスが言っているらしいです。
さて、この二重唱のバリトンの方は多分初めて見る人で、ヌッチのような天性のリゴレット役者ではないでしょうが、素直かつ真面目に役に取り組んでいるところに好感が持てます。いつまでたってもヌッチを称えてばかりというわけにはまいりませんし。入りの伸ばしはCのままです。ジルダの方は「夜の女王」で有名な人で、当然高音は強く、最後は高いEsをしっかり伸ばしています。ご覧の通りまずまずの美人でもあるのですが、その割には何故か気に入りません。リズム感がよくないようにも思えますし、声に厚みが足りない、とも思えます。(08.08.24)

その19:1991年 アンダーソン/ヌッチ バルトレッティ指揮ローマ歌劇場(公開停止)
OperaShare より画像込み。パルマに近い時期のヌッチの映像ですが、ヌッチとしては全体に声が出ていません。並みのバリトンなら「熱唱」とされるのでしょうが。全曲を通して指揮者のテンポが落ち着かないのと、公爵を歌うラ・スコラの悪声とが足を引っ張ります。
アンダーソンには何を聞いても何か違和感を感じるのですが、この二重唱を改めて聴いてみました。音程の定まらないソプラノで、高い音を下から探るように取る人が時々いますが、アンダーソンの場合は声の大きさを探るように合わせるのです。激しくテンポが速い(この演奏では特に速いです)この二重唱ですが、アタックが全然出ていないので、間延びしているように、オケから遅れているかのように、聞こえてしまいます。ヌッチも声が上滑りしているように聞こえます。同じ組み合わせの1990年メト(その3)と比べても一段落ちるのですが、やはり速すぎるのが問題なのでしょう。(09.07.12)

その20:1981年 エダ=ピエール/キリコ レヴァイン指揮メトロポリタンオペラ(公開停止)
OperaShare より画像込み。これだけ集めていてメトの映像が無かったので取って見ました。期待に違わず伝統的な装置と演技と衣装とカメラワークとで安心して見ていられます。全体に暗いのですがパルマのと違って細部まできっちり見えます。公爵がパヴァロッティですが、同年の映画仕立てとは比較にならない程に素晴らしい出来です。リゴレットのキリコの声にはヌッチ程の輝きはありませんが張りのある美声で良く出ています。ジルダを歌うエダ=ピエールの声はメゾに近く、超高音ソプラノでは全然有りませんが、丁寧に歌っていて演技も声質に沿ったものになっていて、全体としてはバランスが取れています。
そういう演奏だけに、ヌッチが勝負をかけてくるこの場面で、それも音声だけを取り出して比べると、かなり物足りません。落ち着き過ぎにも聞こえるキリコの声は演技と表情には合っています。エダ=ピエールのハイEs回避はやむを得ないだろうな、と思われます。(10.04.18)

その21:1982年 Ferrarini/ヌッチ ヴァイケルト指揮フランクフルトオペラ(公開停止)
OperaShare より音声のみ。パルマより若い時のヌッチということになるので聞いてみました。フランクフルトオペラの上演記録としての録音のようで録音状態が微妙です。公爵もパルマと同じくクラウスですが、ヌッチもクラウスも微妙な声に聞こえます。この場面でも、ヌッチがまだ若くて声の重さが不足しているのだけど力任せに歌っている、ようでもあり、単に舞台上の声を上手く捉えていない録音でそう聞こえているだけ、のようでもあり、良く分かりません(むしろ最後のブラボーが奇麗に録れている)。Alida Ferrarini も(一つ上のエダ=ピエール同様)私が他では知らない人ですが、こちらはイタリア出身のコロラトゥーラソプラノということで、最後のEsも奇麗に出ています、が、セッラのような「ずば抜けた」感じはしません。指揮はややのどかですが、歌手が振り回されるほどに速過ぎるよりはいいと思います。(10.05.15)

その22:2009年 チョーフィ/ヌッチ ロベルト・アバド指揮マドリード・レアル歌劇場(公開停止)
OperaShare より画像込み。当代随一とはいえ20年以上前にピークを迎えていたヌッチと、美人だけど額の皺がいつも気になるチョーフィの組み合わせ、だけであれば見送るところですが、スルグラーゼのマッダレーナなので落としてみました。小道具なしの簡素というより寂しい舞台です。画質はともかく、録音が完全にレヴェルオーバーで声が割れています。この二重唱は、なんと、盛大な拍手に応えて2回歌っていて、ここではその2回目を取り上げました。2006年(その15)とは違って、ヌッチは再び決然路線に戻っています。他の大抵の歌手と比べれば名唱でしょうが、ヌッチの中では「普通」と思います。チョーフィは滑らか丁寧で、セッラとは大分違います。最後の(普通は)ハイEsにあげる箇所を、(おそらく)楽譜どおりのGのままでもなく、Bまで上げて伸ばしていたのが珍しい。Gのままよりは盛り上がるので、ハイEsが危ない場合には悪くない策のようにも思います・・が、ハイEsを楽しみにしていた一部のお客さんはやはり「金返せ」でしょうかね?。速すぎない範囲の快調なテンポで良いとも思うのですが、87年パルマ(その2)ではもっと遅いテンポで声の迫力だけで盛り上げていたのと比べると、このテンポも苦肉の策なのかとも思えます。
#この録音状態では観賞に値せず、が正解のような気もしますが。
おまけ・・Celso Albelo の公爵と Nino Surguladze のマッダレーナ。オペラ歌手としては、なんて断わる必要の無い美人です。いやらしく体を撫で回す公爵の手つきが、どうも本気のように見えてしまいました。もっとはっきりした画像映像で見たくなった殿方はhttp://www.ninosurguladze.com/ を覗いてみてください。マッダレーナ役での姿は拝めませんが、カルメンが素敵です。
(10.08.21)

その23:2009年 ノヴィコヴァ/ドミンゴ メータ指揮RAI交響楽団
OperaShare より画像込みで全幕入手していますが、動画で見えるyoutubeにリンクしました。映画仕立ての一種であるマントヴァでのこの収録についてはkeyakiさんのブログから、ここここなどを参照ください。NHKも出資していて、いずれは放送するはずのものだそうです。スルグラーゼ演じるのマッダレーナは衣装が(その22)より大人し目でも十分素敵でしたし、ノヴィコヴァ(ジルダ)、グリゴーロ(公爵)、ライモンディ(スパラフチレ)、と豪華共演者に恵まれていたのですが、肝心のリゴレットにテノール声というのは予想以上に受け付けませんでした。同じくドミンゴがシモン・ボッカネグラを歌ったのよりは無理が少ないのではないか、と思っていたのですが、聞いてみての感想は「似たり寄ったり」です。お目当て(!)のスルグラーゼが出てくる第3幕では殆ど気にならなかったのが幸いですが、一方で第2幕は特にいただけませんでした。その第2幕の最後になる聞き比べ箇所に来た時点で、既に声が疲れているようです。入りのEsの伸ばしもテノール声だとすーっと通り過ぎてしまって迫力が出ません。特殊な収録ゆえやむを無いところもあるのですが、指揮者の映像が写っているTVの方向を(多分)チロチロ見ていて、なおもオケからワンテンポずつ遅れてしまい、一段と迫力を損ねていました。一方のノヴィコヴァはかなりの高水準で、指揮を見ずにドミンゴの目を見て頑張っていました。残念ながら最後のハイEs直前でリズムを大きく外してしまいましたが、ハイEs自体はセッラのようにガツンとは来ないながらも、きれいに伸びています。
(10.09.12)

その24:2004年 ムーラ/C.アルバレス ロペス=コボス指揮バルセロナ・リセウ歌劇場
上記DVDより。購入動機はスルグラーゼのマッダレーナだったりしますが、それはさておき。アルバレスの入りのEsはまずまず迫力あり、歌い始めても正確なリズムと音程でこれはこれで好感持てます。残念ながらムーラが、声はいいのですがオケに対して遅れっぱなしでした。映像でみると、この間演技に気を取られていたきらいがあります。そして、最後の伸ばしがハイEsの代わりにその22と同じくBです。こちらの方が5年も先行しています。これが元祖なのでしょうか?・・が、ハイEsを楽しみにしていた一部のお客さんはやはり「金返せ」でしょうかね?。

その25:2003年 ムーラ/ヌッチ ヴィオッティ指揮ヴェローナ野外劇場
ムーラが出たついでに、こちらのyoutubeも紹介しておきましょう。その24までは全て全曲を手元に残してあるはずです(全部通して聞いたかというとすこぶる怪しいです)が、このアレーナ(野外劇場)の公演はDVD予告編とかyoutubeで部分的に見ているだけです。さて、アルバレスで聞いてからこれを聞くと、ヌッチとしてのベストではないのに、血が騒ぐのですねぇ。アンコールに応えて(←これ正しい日本語なのでしょうか?)2回歌っています。ヌッチの入りの伸ばしは基本的にはCのまま、ただし1回目では最後にEsまでずり上がっています。テンポが速すぎて音程もリズムも不鮮明で、ヌッチとしては声が出ている方とも言いがたいのですが、それでも血が騒ぐのですねぇ。ムーラはやはり少し遅れ気味ですが、こちらだとテンポが速すぎるから仕方ないと思わせられてしまうものがあります。最後はちゃんとハイEs、但し一杯一杯なので、翌年のバルセロナではBに抑えた、のでしょうか?(ここまで10.09.20)

その26:2012年 シウリーナ/プラタニアス ガーディナー指揮ロイヤルオペラ
今年4月17日、わずか1ヶ月前のホヤホヤ映像。私は手元に全部保存していますたが、今のところはyoutubeで全編見えています。上記リンクはその第2、第3幕で、「復讐だ!」の二重唱は41分40秒付近からになります。一部では「ゴキブリリゴレット」というだけで通じているコヴェントガーデンの演出を、私としては初めて見ました・・・成程この第1幕は18禁だわ。
その23でも公爵を歌っているグリゴーロが一段と好調な分だけ、他が一段と凹んで見える映像でした。プラタニアスは真面目一本なだけのリゴレットで、「悪魔め鬼め」ならまあまあですが、この「復讐だ!」に臨んでも全然ギアチェンジできず、引き続き一所懸命歌ってます、というだけ。シウリーナが歌い始めるところから徐々にテンポアップすることをガーディナーは狙っていたようですが、二人の呼吸が今一つ合っていません。そのシウリーナ、ちょっと東洋系美人顔なのは良いのですが、全体を通して高音に弱く華が足りない上に、この二重唱は特に不満で、最後のハイEsは当然のように無し。演出はさておき、グリゴーロを見る聞く、にはお勧めできますが、それ以外にはちょっと・・という映像でした。(12.05.19)

その27:2012年 プティボン/Vassallo アルミリアート指揮バイエルン国立歌劇場
2012年12月30日、わずか半月前のホヤホヤ映像。階段教室風にずらり合唱が並んでいるところで1998年ウィーンの「預言者」を思い出してしまいました。あそこまで醜悪ではないものの、こういうのをやってしまうのはドイツ系の趣味の悪さでしょうか。「リゴレット」のストーリーを予め十分把握している観客でないと理解困難というのは、それだけで失格だと思いますし、この点だけでもポネル演出の映画版をはるかに上回ってしまいます。歌手陣は悪趣味な演出なりに懸命に演技していますが。
プティボンはジーパン姿で登場、やっぱりこういうのはジルダに相応しいとは思えません。最初から「自立した女」としてジルタを演じていますが、最初からジルダが自立していては、このオペラのストーリーが成立しないと思うのです。こういうところ、プティボンが志向するところなのか、プティボンが演出家に想起させるところなのか。普通の演出と普通の衣装の方が絶対素敵だし展開も自然だと思うのですが。ただし歌唱はかなりの高水準です。「復讐だ!」最後のハイEsはセッラには遠く及びませんが、その他の中では中々の迫力です。でも、これを歌い終わってリゴレットとにらみ合ってそのまま第3幕に繋げる演出は趣味ではないです。Vassalloのリゴレットは、演技は丁寧で声質も良いのですが、声量とリゴレットに欲しい「アク」がやや不足のようで、迫力に欠けます。「復讐だ!」では冒頭はCのままなのも物足りませんし、プティボンにも食われ気味です。オケは良いですが、とにかく演出がぶち壊しです。
(13.01.13)

 

 

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