「運命の力」
永竹さんを引用します。「≪運命の力≫は徹底した復讐譚だ。女は恋したことを後悔して山中で隠者となり、男は女を失ったと思い死に場を求めて戦場に走る。初版の≪運命の力≫は最後に主人公ドン・アルヴァーロが神父を罵り、我こそ地獄の使者だと叫んで自殺する。かっこいいことおびただしい。しかしそこに甘い愛の香りは一つもない。」 実はこの文章を目にして是非初版で見てみたいと思ったのでした。
粗筋はこちら、あるいは面白おかしくいうとこちらになります。「銃の暴発が上手く命中して初めてストーリーが進むなんて、ご都合主義そのもの」その通りです。でも、「登場人物の一人だけが他の登場人物全てを手玉に取れる全知全能を持っている」という設定で物語を作るよりは多少ましかもしれません(参考:シェークスピアの「嵐」)。
そして、作曲者も「ご都合主義」は承知の上で、ネタ振りと割り切っていた、というのを聴き手は聴き手で承知しておかないと、肝心の歌の鑑賞に差し障ります。その点で、この作品を「オペラは初めて」という方にはお勧めしません。ストーリー展開には目をつぶるというより気にも止めないで、登場人物たちの状況をそのまま受け入れて歌い上げられる思いに聞きほれる、となるには、オペラという演劇形式に対する慣れが必要になります。
銃の暴発自体はストーリー重視の見方からは擁護の余地はありませんが、これも含めて第1幕は前振りです。恋人達の愛の音楽もそれなりにきれいですが、第2幕以降の主筋で聴かれる音楽とは別物です。「後悔」「怨念」「回顧」・・・こういう感情こそが長い歌を歌わせるのであり、そして「ご都合主義」は、こういう感情を持たせるための背景なのです。展開の仕方はともかく、「その状況に置かれてしまった」登場人物達の真摯な感情は重量感ある音楽によって余すところ無く表現されています。ここのところを聴こうという姿勢が聴き手にあれば、「ドン・カルロ」「オテロ」と並べても引けを取らない作品であることを分かってもらえると思うのです。
登場人物の設定は基本的には若者達、音楽も「リゴレット」「トロヴァトーレ」より随分後年の作品であることを思わせますが、とりあえず老いとは無関係で、本質的に老人のオペラである「ドン・カルロ」「オテロ」とも一味違う、重量感の中にも一筋の爽やかさが感じられます。重量感ある音楽の間に挟まるプレツィオジッラ、メリトーネ、トラブーコという喜劇的キャラクタの配置もストーリー的には無関係に近いですが音楽的にはあざとい程にうまくいっています。
改訂の成否
永竹さんは「ヴェルディのオペラ」の中で初版(ペテルスブルク世界初演版)と改訂版(スカラ座初演版)の比較を詳しく説明しています。その文章で明言はしていないものの「俺は本当は初版の方が好きだ」と永竹さんが言っておられるように思えてならないのです。そう思い込んでしまった私の偏見を通して初版と改訂版の違いを紹介しましょう。二次資料しか見ずに永竹さんの解説に付け加える文章を書くには自分の偏見を表明するしかないわけで、、。
2つ聞き比べると大きな所で、1)前奏曲(初版) vs 序曲(改訂版)、2)第3幕(ここではカラトラーヴァ侯爵邸の場だけを第1幕とし、イタリアの場面を第3幕とする幕割で統一します)の決闘のところ、3)大詰め、が大きく異なります。
1) | 前奏曲を書き直したのは、アルヴァーロの後悔の旋律の対旋律に第2幕の能天気なセギディーリヤを充てたのを失敗と思ったから、と永竹さんは断定的に書かれています。根拠がどの程度あるのか見当もつきませんが、聴いてみると「分からないでもないが、これでも良いじゃない?」というところです。一方序曲の方は演奏会用には良いが、オペラの幕開きには立派過ぎるかも、という永竹さんのご意見に加えて、とにかく最後が長調で華々しく終わってしまうことの方が私にはセギディーリヤ以上にこの暗い話に相応しくなく思えます。 |
2) | 初版では、第3幕はアルヴァーロの負傷、ドンカルロの真相の発見の後、プレツィオジッラやトラブーコの賑やかな場面を挟んで気分転換をすると共にアルヴァーロが負傷から回復するだけの時間の経過を感じさせて、その後2人の決闘の場面、ここでアルヴァーロがドンカルロを殺してしまったものと思い込んでいるところで再び敵襲来を知らせる声が聞こえ、それこそ死に場を求めて立ち上がる、という構成です。永竹さんによると、この部分の改訂の直接のきっかけは、低い音をさんざん要求した第3幕の最後の最後にハイCがあるままだとアルヴァーロ役を歌える歌手が殆どいなくなるから、だそうです。
それをどうにかしようとした際、初版の台本作者ピアーヴェが脳卒中で倒れてしまっていたので、「アイーダ」の台本を書くことになるギスランツォーニに手を入れさせた所、最初の決闘は衛兵に引き分けさせ、ハイCを歌う部分をカットしただけでなく、賑やかな場面の前に回したのです。その結果、プレツィオジッラ等の賑やかな場面と、第4幕冒頭のメリトーネの場、どちらも本筋から離れた場面が続いてしまうことを、永竹さんもはっきり否定的に書かれています。 それはそうだろう、と思って、改訂版のはずのレヴァイン盤を見てみたら・・・決闘は引き分けさせられてますが、順番の方は初版通りに、プレツイオジッラ等の場面の後、第3幕の最後になっていました。これでは順番については初版の不戦勝みたいなものです。大体、決闘シーンとそのあとのアルヴァーロのアリアを知ってしまってから、引き分けさせられるのを見てしまうと、その直前の二人の競り合う音楽が凄い分なおさら、「ほんにおまえは屁のような・・」とつぶやいてしまいます。ゲルギエフ指揮の初版盤でアルヴァーロを歌うグリゴリアンも最後のハイCは一杯一杯ですが、歌えるのであればこちらでやって欲しいと思うのです。 |
3) | 初版では2回目の決闘でドンカルロを倒し、そのカルロがレオノーラを刺し、レオノーラが息絶えた後で現れる修道院長に向かってアルヴァーロが「あほたれ、、、我こそは地獄からの使者だ、人類は滅びるのだ」と叫んで飛び降り自殺して幕になります。この箇所の改訂の動機については、永竹さんは「高徳の修道院長を罵倒することがロシアはともかく、カトリックの国イタリアでは受け入れられなかったから」としています。別の本を見ると、ヴェルディが手紙の中で「死体の山を減らす工夫を考える必要がある」と書いているそうです。どちらも事実でしょうが、非カトリックの私から見たら、あそこまでの目に遭ったら自殺するのが自然であり普通だろうと思えます。レオノーラのいまわの際に間に合った修道院長がアルヴァーロを諭す改訂版の最後もそれはそれで美しいのですが、初版幕切れのド迫力はまさに「かっこいいこと、おびただしい」であり、カタルシスを感じます。 |
これら3大改定ポイントの他にも初版では(正確に言うとゲルギエフ盤では)出てこない独白が追加されていたりしますが、そういう追加が全て感傷過剰でかっこよくありません。このあたり私にはギスランツォーニの趣味の悪さと見えます・・・と書いて「アイーダ」に対する前振りにするつもり・・・。
手持ち音源
ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場盤
ペテルスブルグ・マリンスキー劇場での世界初演の際に残された舞台スケッチを極力忠実に再現した演出による、勿論初演版での演奏です。主役3人は決して美男美女ではなく、第1幕の愛の歌ではリアリティに欠けるのですが、ひとたび銃が暴発してストーリーが展開し始めるや、重量感ある声と迫真の演技で魅せられます。田吾作のように第1幕で出て来るグリゴリアン(ドン・アルヴァーロ:テノール)ですが、第3幕のアリアはじっくり聞かせますし、ドン・カルロとの競り合いは第3幕、第4幕ともド迫力です。ゴルチャコヴァ(レオノーラ:ソプラノ)は第2幕以上に第4幕のアリアが神々しいばかりに素晴らしい。プティーリン(バリトン)はドン・カルロの怨念の暗さを余すところ無く演じきる役者で、特に第4幕の剣2本をかついで登場する所の凄みは特筆ものです。以上主役3人は何れも太い声と広い音域を求められるとびきりの難役らしいのですが、3人ともロシア人なのでしょう、無理に喉を詰めることなく生まれついての太い澄んだ声が自然に出て役柄に実によく合っています。タラソヴァ(プレツィオジッラ)は美人です。発声には若干の改善の余地があると思われるものの、ジプシー娘の雰囲気がよく出ていて、カルメンを演じても雰囲気が大いに出そうです。グァルデアーノ神父(実は人名ではなく修道院長という意味らしい)とメリトーネは少し落ちますが、ロシア以外の国でこれだけの声太アンサンブルを揃えるのは難しいのではないでしょうか。その他、小さい場面ですが第3幕のタランテラで全員が踊りだすところが楽しくて大好きです。英語字幕しかないのと第4幕で編集ミスがあり絵と音声がずれてしまうのが推薦に躊躇する点です。
レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場盤
スカラ座改訂版ですが、第3幕の扱いで一部初演版のアイディアを混ぜているのは先に述べたとおりです。ジャコミーニのドン・アルヴァーロを太い声で良しとする向きもあるのですが、ああいう喉を詰めて出す太い声は好きではありません。それ以上に演技がド下手なのが問題。こういうところで「3大テノール」は決して外さないのですが。せっかくヌッチ(ドン・カルロ)がにらみつけても視線が殆ど絡みません。そのヌッチは素晴らしい声量のバリトンですが、地声はヴェルディ歌手としては軽い方で、一番合っているのがリゴレット、このドン・カルロにはベストマッチではないようです。レオノーラを歌うプライスは収録時点で57才、その割には凄いのですが、もっと若ければもっと凄かったのでしょう。日本語字幕だと現在容易に手に入るのはこれだけのような気がしますが、これで聴いてしまうと作品を好きになり損なうように思えるので、私としてはお勧めしません。この録音で作品ごと好きになっておられるのであればそれはそれで大いに結構です。
amazon.com でそれぞれの評判を見てみました。初演版を良しとするとする人がいないのが私としては意外、プライスの評価は皆一様なのに、ジャコミーニの評価は良しとする人から最悪とする人までばらついていて、これなら私が勝手なことを自分のサイトで書き散らすくらい何の罪も無いと思った次第です。(03.09.21)
M=プラデッリ指揮ナポリ・サン・カルロ歌劇場盤
リージョンコード0(全世界)の輸入盤で英語字幕つき。1958年のライブで、レオノーラ:テバルディ、アルヴァーロ:コレッリ、ドン・カルロ:バスティアニーニ、グァルディアーノ神父:クリストフ、メリトーネ:カペッキ、という物凄いメンバーです。これでプレツィオジッラがシミオナートなら当時のベストメンバになるのでしょうが、ここで歌っている Dominguez も立派なものです。モノラルにモノクロですが、翌年のイタリアオペラ日本公演「オテロ」より段違いに良く、画質音質とも望みうる最高水準でしょう、往年の名歌手の声を楽しむのに何の問題もありません。大いに楽しんだ上で、このオペラが今私の一番好きなオペラの一つであることと共に、ペテルスブルク初演版によるマリインスキー歌劇場盤の素晴らしさを再認識したというところです。
第1幕(カラトラーヴァ侯爵邸の場)だけなら、このサン・カルロ歌劇場盤が遥かに上なのです。テバルディもコレッリも格好いいのです。愛の歌がサマになります。特にテバルディは「これがリリコ・スピントのお手本なのか」と思い知らされるような美声で、その後太くて奇麗な声の持ち主が出てこないから、軽めの声のフレーニばかり誉めることになるのかな、などと考えてしまいました。しかし、前にも書いた通り、このオペラでは第1幕は前振りの場で、本体は「後悔」「怨念」「回顧」の場面なのです。その本体部分でも、テバルディやコレッリは一流の名に恥じない名唱・名演技ですが、マリインスキー歌劇場盤の入念な演出及びゴルチャコヴァとグリゴリアンの演技力がさらに上を行きます。バスティアニーニは美男子ですが、怨念の暗さを描くにはキャラも声も明るすぎる感じがして、この役ではプティーリンとは大分差がつくように思います。クリストフとカペッキの歌唱はマリインスキー歌劇場盤の弱点と感じられた二人よりずっといいですが、演出まで含めてどちらが好きかというと考えてしまいます。タラソヴァと Dominguez の比較なら美人な分だけタラソヴァが好き、になります。
スカラ座改訂版からカットがあり、戦場での第1回決闘(スカラ座改訂版では未遂)の場面が丸々ありません。結局のところ、スカラ座改訂版の姿に無理があるから実施されてしまうカットなのですが、これはかなり問題で、一枚目としてはお勧めしにくくなります
・・・などと、否定的なことも色々書きましたが、レヴァイン盤とは違って、私にとっては今後も繰り返し楽しむことになりそうな一枚です。HouseOfOpera から DVDCC571 として出ているものも同一音源ですが、字幕が全く無い他、画質音質共に正規盤?に劣るので、こちらはお勧めしません。実はHouseOfOperaに頼んだ後に正規盤を店頭で再発見し、かぶるかもしれないのを承知で(実際かぶりましたが)購入したものです。(05.05.15)
パターネ指揮ミラノ・スカラ座盤
HouseOfOpera から DVDCC570 というサン・カルロ歌劇場盤の隣の番号のものです。こちらは1978年のライブで、レオノーラ:カバリエ、アルヴァーロ:カレーラス、ドン・カルロ:カプッチッリ、グァルディアーノ神父:ギャウロフ、メリトーネ:ブルスカンティーニ、という、これまた物凄いメンバーです。画質は多少ボケてますが、DVD-Rに詰め込む際の劣化も大きいようで、発色とかノイズとかの問題はほぼありません。色調バランスは大いに狂っていますが、それは自分で合わせましょう。音質は70年代ライブとしてベストとまではいいませんが、十分に納得できる水準で、HouseOfOperaだから、という言い訳無しでも通用できそうです。
カレーラスとカプッチッリが文句無く素晴らしい。物凄い声です。伝統的オペラ歌手の様式に沿って、第3幕でも第4幕でも見事な対決を声で聞かせてくれます。演技も見事ですが、歌>演技になってます。これがマリインスキー歌劇場盤では、演技>歌という感じですが、どちらが優るというのではなくて、どちらもそれぞれ最高に楽しめます。第3幕で最初の対決をやってこそ、第4幕の対決がさらに生きてくるというのも再確認しました。この位しっかり競り合ってくれれば、第3幕の決闘が未遂で終わっても拍子抜けせずに済みます。
カバリエも美声ですが、テバルディと比べてもゴルチャコヴァと比べても押し出しが弱くて印象に残り難くなります。レオノーラを歌うには声の太さがまだ足りなかったのでしょうか。グァルディアーノ神父はこのギャウロフが一番いいです。ブルスカンティーニを動画で初めて見ることができました。声はピークを過ぎていたようですが、姿と演技は達者で、還暦寸前だったとはとても思えません。ただ演出がこの名人を生かしきれていないようにも思いました。プレツィオジッラ役の Nave は美人ですが、第2幕ではカプッチッリに完全に力負け、「ラタプラン」でも声量不足です。
改訂版に忠実な演奏で、第3幕の対決前の「ロンダ」を初めて見ることができましたが、これは確かにどーでもいいナンバーですね。メトロポリタンオペラ盤のようにプレツィオジッラ達の場を同じ場所に入れる方がずっといい。初演版の方がもっといいとは思うのですが、堂々たる体躯のカプッチッリがヤサ男のカレーラスとの決闘で、まぐれの1回ならともかく、2回続けて負けてしまうとなると、これまたリアリティを欠くような気もします。
カレーラスとカプッチッリの二人ともが出てこない場面では、演出面の工夫の足りなさが気になりますが、これもマリインスキー歌劇場盤と比べるからそう思うだけでしょう。カバリエとテバルディの差以外ではサン・カルロ歌劇場盤よりさらに優ります。字幕も無いので初めての方には勿論お勧めしませんが、もし正規盤で出たら、私は買いなおします。(05.05.21)
その正規盤(?)が出てきました。まずまずの英語字幕で見ることが出来ます。HouseOfOperaのと見比べたわけではないですが、映像は大幅に、音質もかなり、向上しています。カバリエが一段と美声に聞こえます。アメーリア(シモン・ボッカネグラ)の方が更に合っていた気はしますが、十二分に素敵でした。Naveの印象の向上代は更に大きく、第2幕で全然力負けに聞こえませんでした。カレーラスとカプッチッリは勿論素晴らしいのですが、記憶の中ではもっと凄かったような気がするというか、カプッチッリでいうとレナート(仮面舞踏会)の方がもっと凄かった・・・でも十分凄いです。ギャウロフは記憶どおりに立派、ブルスカンティーニは何だか浮いているように聞こえました。
・・・何だかんだ言っても、少し前にリエージュのを退屈しそうになりながら見ていたのと比べると、もう格が全然違います。(15.02.01)
Palumbo指揮コロン劇場(ブエノスアイレス)
Operashare #100313。劇場での私家版収録のようで、最新映像の割には時々ノイズが混じったりしますが、総じて鑑賞に堪える物理的状態です。
原則として1869年改訂版ですが、一番大きな違いは、序曲と第1幕とで順番を変えているところです。昔メトロポリタン劇場でそのようにやっていた、と永竹さんの本に書いてあった形態に初めて出会えました。いきなり第1幕が静かに始まるのは、
最初はおやっと思いましたが、特別変なものではありません。むしろ、序曲がはなばなしく終わった後に賑やかな第2幕の合唱が繋がるのが、それ以前のオペラの様式に沿っているように思えて安心感があります。ただし、元より第1幕が前振りであって第2幕以降が本体である、という意見の持ち主ではありますが、ここまで第1幕を除け者にするのもどうかなあ、とも思います。やっぱり初演版の前奏曲を第1幕の前に演奏する方が座りがいいように思います。
第3幕も改訂版どおりで、決闘未遂の後にラタプランが来ます。そうなると、衆人環視で決闘未遂をやってしまった二人を、プレツィオジッラ達が両人の名前を並べて賞賛する、という何とも間抜けた展開になってしまいます・・・ギスランツォーニさん、ちゃんと考えなさい! ここもせめてラタプランの後に決闘未遂を回して欲しいし、より望ましくは初演版でやって欲しいのです。
以上、初演版を評価する気持ちを再確認しましたが、仕方のないところと諦めてもいます。
演出は、巨大十字架とかキリスト教臭が強くなるところはちょっと勘弁して欲しくもなりますが、まあまあ、でしょうか。
テオドッシウは「メデア」の時より一段と体格が立派になってしまいましたが、ちゃんと意志の強いお嬢さんにも見えますし、ゴルチャコヴァより美声で、カバリエより迫力で勝る歌唱はもう最高です。ただ歌手寿命を永く保つためにも、もう少し体重はコントロールされた方がよろしいのではないでしょうか。プレツィオジッラのZwierkoも、迫力あるアネゴ風で、第2幕では完全にドン・カルロを手玉に取っている風で、これも気に入りました。シミオナートのプレツィオジッラはこんな感じだったかも、などと勝手に想像しておりました。
男声も気に入った方から並べるとすると、まずメリトーネが最高でした。なんというか、初めてメリトーネの姿が腑に落ちた感じでした。グァルディアーノを歌ったスカンディウッティは、私には「エジプトのモゼ」での印象が強い(他で何か聞いたことあるのかな?)歌手ですが、柔らかい声がこの役にもよく合っていて、多分ギャウロフ以上に好みのような気がします。
と、ここまで名前が出てこなかった、男声の主役二人は、やや不満あり、ということになります。まずドン・アルヴァーロ役ですが、カレーラスの迫力には到底及びませんが、しっかりと水準以上に歌っているとは思います。まずまず美男子に分類しても良さそうな顔はグリゴリアンより勝ります。しかし姿が余りにも格好悪い。まるでリゴレットみたいに歩く姿はかなりの興ざめでした。ドン・カルロ役もカプッチッリには遠く及ばないながら水準以上に歌っている、とは思うものの、やっぱり迫力不足です。第2幕でもプレツィオジッラに一方的に手玉に取られるし(ここは逆になるよりはこの方が良い場面ではありますが)、第3幕第4幕のドン・アルヴァーロとの競り合いが何れも物足りなく思えてしまいます。マリインスキー歌劇場盤とかスカラ座盤とか、凄すぎるのを先に聞いてしまったから、かもしれませんが。
テオドッシウとスカンディウッティは、ブルーレイの「ヴェルディ:オペラ大全集」に入っているパルマでの「運命の力」でも、それぞれレオノーラとグァルディアーノを歌っています。さて、この大全集を購入するかどうか、ですね・・
Teatro Colon - Buenos Aires
April 22. 2012
Donna Leonora di Vargas: Dimitra Theodossiou
Don Alvaro: Mikhail Agafanov
Don Carlo di Vargas: Luca Salsi
Padre Guardiano: Roberto Scandiuzzi
Preziosilla: Agnes Zwierko
Fra Melitone: Luis Gaeta
Mrchese di Calatrava: Fernando Rado
Trabucco: Fernando Chalabe
Alcalde de Hornachuelos: Leonardo Estevez
Curra: Guadalupe Barrientos
Medico: Gustavo Feulien
Chorus Teatro Colon
Chorus Master: Peter Burian
Orchestra Teatro Colon
Conductor: Renato Palumbo
Director,Sets and Costumes: Hugo de Ana ( He won an award for
this production )
(12.12.08)
Fisch指揮バイエルン国立歌劇場(ミュンヘン)
Operashare #111901。2014年7月に放送されたものです。収録は2013年12月28日らしいです。ところどころ「飛ぶ」のですが、それを除けば良好な収録状態です。
原則として1869年改訂版ですが、ラタプランが決闘未遂の前です・・・そんなこと、どうでも良くなりそうなトンデモ演出でした。「運命の力」は時代設定を現代に持って来にくいオペラの最右翼だと思うのですが、なんと、これを現代衣装でやってしまっています。その結果として全ての場面が半端でなく変になるのですが、さらにトンデモないことに、第1幕で死体となったカラトラーヴァ侯爵が、第2幕前半の旅館の場面にそのまま転がっています。プレツィオジッラが(第2幕での登場も普通に変なのですが)、第3幕では首輪を着けた半裸の男を引っ張りながらSMの女王姿で登場です。その登場からラタプランまでは、周囲が(服は着ているものの)乱交状態を暗示するような演出だったのが、ラタプランではプレツィオジッラ以外の全員が整列して寝てしまい、決闘未遂も周りにずらり寝たままの状態で突入です。
以上の演出は「どこをとっても」「全く」評価できないのですが、歌手は意外と健闘です。声の迫力を強調するような収録に助けられている(=私が騙されている)のかもしれません。ハルテロスは美声よりも馬力という歌い方ですが、アメリア(シモン・ボッカネグラ)よりは向いているようです。美声かつ馬力のテオドッシウには声では負けますが、すらりとした舞台姿では勝っています。目元強調のメイクがちょっとやり過ぎなのですが。カウフマンも「美声より馬力」路線で、思いつめたような演技が大抵気に入らない歌手なのですが、この役だと悪声もうっとうしい演技も気にならないようです。テジエはもう少し美声寄りと思うのですが、一緒に聞いていると同一路線のような気がしてきます。プレツィオジッラも歌はちゃんとしています。侯爵とグァルディアーノを同じ人に歌わせるのも趣味が良くないと思います。メリトーネも普通の現代衣装なので周りに埋没してしまいます。
以上、トンデモ演出と、決して好みではない歌手陣にもかかわらず、ヴェルディの音楽の魅力と音声収録の巧みさとで聞き惚れてしまった、というところですが、、、他のはもっと良かったとも思います。
Anja Harteros (Donna Leonora )
Vitalij Kowaljow (Il Marchese di Calatrava / Padre Guardiano )
Ludovic Tezier (Don Carlo di Vargas)
Jonas Kaufmann (Don Alvaro)
Nadia Krasteva (Preziosilla)
Renato Girolami (Fra Melitone)
Heike Grotzinger (Curra)
Christian Rieger (Un alcade)
Francesco Petrozzi (Mastro Trabuco)
Rafal Pawnuk (Un chirurgo)
Conductor-Asher Fisch
choir-Soren Eckhoff
Chor der Bayerischen Staatsoper
Bayerisches Staatsorchester
costume-Heidi Hackl
Sets-Martin Zehetgruber
light-Reinhard Traub
Director-Martin Kusej
tv director-Thomas Grimm
(14.11.30)
Arrivabeni指揮Wallonie歌劇場(リエージュ)(2013)
Operashare #104733、収録状態は良好です。ミュンヘンのすんごいのを見てから、ブエノスアイレスのをもう一度見ようかな、と掘り返していて、この両者の間にダウンロードしていたコレの存在を思い出して見てみた次第です。
原則として1869年改訂版であって、ラタプランが決闘未遂の前、ですが、ラタプランの後にロンダも入っている、これはこれで初めて見る(珍しい?)形態です。演出は、マリインスキー歌劇場やスカラ座等で見てきたような、ごくごく普通のものです。だからと言って自動的に最上級の公演になるわけではありません。途中までは見ていた記憶がよみがえって来たのですが、退屈して途中で見るのを止めてしまったのも同時に思い出してしまいました。
デッシとかアルミリアートとか、名のある歌手ということになると思います。小柄なデッシは年齢は隠しきれないとはいえ、美人さんですし、アルミリアートも野性味溢れる種類の格好良さは表現できていると思いますが、どちらも声が不満です。声を形容する用語の正しい使い方には全く自信がないのですが、どちらも「細くは無い」のだけれど「薄っぺらい」声であるように、私には聞こえました。どの歌手もその傾向が感じられたので、音声の収録にもある程度の責任があるかもしれません。その中ではドンカルロとプレツィオジッラは良かった方だと思います。グァルディアーノ神父も途中まではいい声だと思ったのですが、大詰めのシーンでの歌い始めが音程をなぞっているだけ、みたいに聞こえてしまったのはどこに問題があったのでしょうか。
まともな演出で名のある歌手が真面目に歌うだけでは物足りない、となるのであれば、公演するのに容易ではないオペラなのかな、と改めて考えてしまいました。
La Forza del Destino - Opera Royal de Wallonie, 23/4/2013
Donna Leonora: Daniela Dessi
Don Alvaro: Fabio Armiliato
Don Carlo: Giovanni Meoni
Fra Melitone: Domenico Balzani
Preziosilla: Carla Dirlikov
Padre Guardiano: Luciano Montanaro
Il Marchese di Calatrava: Pierre Gathier
Curra: Laura Balidemaj
Trabucco: Giovanni Iovino
Un alcade: Alexei Gorbatchev
Un chirurgo: Benoit Delvaux
Chef des Choeurs: Marcel Seminara
Direction musicale: Paolo Arrivabeni
Mise en scene: Francesco Maestrini
(14.11.30)