「エジプトのモゼ」 (&「モイーズとファラオン」)

後述のアッカルド指揮ナポリ・サンカルロ歌劇場の公演記録映像に日本語字幕を付けました。こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。

日本語字幕は、ある方から提供いただいた、フィリップスの同曲のCD 420 109-2 添付の英語対訳(訳者:LIONEL SALTER)からの重訳で作成しました。何箇所か良く分からないところは、同じCDの仏語/独語訳を自動翻訳して参照しました。伊語リブレットはネット上で見つけたものをベースにしましたが、このリブレットと、CD付属のものと、聞き取れる歌詞と、でそれぞれ微妙に一致しません。CD付属のものと聞き取りとが一致したと確信できるところは、ベースから変更しましたが、そうでなければベースのままとしました。訳文の方は伊語分の修正の有無に関わらず、そのまま採用しました。スコアは見ていないので字幕タイミングは聞き取りだけに依っています。英語字幕は、ハイフンやカンマの付加を除き原文を意図的に変更した箇所はありませんが、タイプミスはまだ残っているかもしれません。

特に原作の「エジプトのモゼ」はネット上の日本語情報の乏しい作品でしたが、こちらに粗筋が出ましたので、以前に私が書いた粗筋は引っ込めます。

この作品は、四旬節(キリスト磔刑の季節)には原則歌舞音曲を控えることになっているのだけれど、聖書を題材に求めたオペラなら上演しても良い、という当時のルールに従って作られた、のは間違いないですが、出来上がった台本をどう見るか。抹香臭い宗教ネタに違いない、という先入観で見る向きもあるのかもしれませんが、私の感想では、服喪の念とは正反対の一大痛快スペクタクル劇です。

照明にロウソクしか使えなかった時代に、暗闇と光の復活を舞台上で演じさせようという時点で既にぶっ飛んでいます。そして、展開上のハイライトは、王子様によるユダヤの美少女誘拐監禁事件! そして監禁しようとしたその現場に、王子様の継母と、ユダヤのうるさ型の長老と、に踏み込まれてしまう! ・・・ギャグ漫画でも中々お目にかかれないナイスな展開の台本です。

それにロッシーニが1818年と1819年につけた音楽が、「美旋律の垂れ流し」状態で、これぞ「音楽の神に見初められし天才の筆の冴え」と思えます。同時代だと、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」が1819年ですが、あれは音楽の神に見初められたというより音楽の神に立ち向かうような大作であり、流れ出る豊かさはロッシーニのこの作品のほうにあります。

「ハンマークラヴィーア」での音楽の神に立ち向かう姿勢にも感動しますし勿論大好きです。思うようには弾けませんけど。あれは「天に挑むイカロス」でしょうか。脱線ついでですが、もう一人の「音楽の神に見初められし天才」シューベルトの作品でも「さすらい人幻想曲」には同じく「天に挑むイカロス」を感じたりします。

「美旋律の垂れ流し」であっても、オペラ全体で一番有名な「祈り」の合唱とか、第1幕の最初と最後(どちらもエジプトが神の怒りに触れる場面)とか、台本ぴったりの音楽が付けられている場面も多々ありますが、その一方で、

場面お構いなしの美旋律も多々あり、最たるものが全曲中多分2番目に有名な「声も出ない」の四重唱でしょう。場面はまさしく、誘拐監禁現場に踏み込まれちゃった、その場面です。「4人でひとしきり言い争って息が切れた状態」に、どのような音楽を期待されますでしょうか? その身も蓋も無い場面と台本にロッシーニが付けた音楽は、天上の音楽もかくや、というハープ伴奏の四重唱なのです。場面と音楽が合わない、という批判が歴史上無かったとは思えません。しかし、音楽の余りの美しさに聞きほれてしまい、そんな野暮は言わない、のが世評の大勢のようで、私も勿論そう思います。

この場面がギャップ最大ですが、他の場面も台本に合おうと合うまいと一切構わず美旋律を連ねている感があります。台本と場面に相応しい音楽を追及したヴェルディのオペラと同じ価値観では語りようの無い名作なのです。ドラマの連続性を重視して重厚な世界を築き上げた「マオメット二世」とはまた違った意味で、「エジプトのモゼ」はイタリア時代のロッシーニの一つの頂点のように思えます。

一方、パリ向け改作版「モイーズとファラオン」の粗筋もこちらで読めますが、アナイー(こちらでのエルチアに相当)はまるでアメーノフィス(こちらでのオジリデに相当)をたらしこむために派遣された女工作員みたいだし、振られて復讐に燃えるアメーノフィスも純愛には程遠いように思えます。それに対して、甘やかされて育って少女監禁事件を起こしてしまう歪んだ愛であれ、オジリデもエルチアも最後まで自分達なりの愛を貫いています。フランスとイタリアの趣味の違いなのでしょうか。私にはイタリア趣味の方が落ち着いて見ていられます。

私は「エジプトのモゼ」を先に聞いてから「モイーズとファラオン」を聞くことになったのですが、音楽も大分違って聞こえます。それも残念ながら全部改悪であるように。「エジプトのモゼ」を基にしていない部分は単に魅力が劣るように聞こえます。そのために、どこをとっても最高の音楽ばかり、とは言えなくなっています。中でも最悪なのはバレエ音楽でしょう、同時代の誰にでも作曲できそうな出来に思えます。同じ素材を流用した部分も、歌唱技巧をフランス仕様に簡素化した結果でしょうか、少しずつ魅力が劣る方向に変更されているように感じられます。

 

手持ち音源

アッカルド指揮ナポリ・サン・カルロ歌劇場盤(「エジプトのモゼ」)

これは人類の宝の一つに数えても良いような貴重な記録ではないでしょうか。ロックウェル・ブレイクというテノールは何を歌ってもブレイク色に染め上げてしまうのではないかと思うのですが、このオジリデ役にはピッタリで、絶好調の歌を聞かせてくれます。デヴィーアも第2幕の最後でハイEの長伸ばしを豪快に決めるなど、こちらも絶好調です。ペルトゥージ(ファラオ)、スカンディウッティ(モゼ)のバス対決では、後者の方が印象が強くなりますが、第1幕の幕切れではペルトゥージの立ち位置がマイクから遠すぎたのでしょう。両者とも充実しています。元々HouseOfOpera(DVDCC936およびDVDBB2113)で入手しており、一長一短ですが後者をベースに字幕を付けました。一部画面の乱れや音揺れがありますが、1993年の舞台中継を家庭用VTRで録画したものと思えば、まずまずの状態です。
→字幕付き画像を見て、だと思うのですが(英語メールでの意思疎通がうまくいきませんでした・・)、イタリアの方よりさらに良い状態の録画を提供いただきましたので、作り直しました。家庭用VTR録画としては最高に近い状態と思います。ダウンロードはこちら。(05.07.10初回公開、05.11.13、06.06.10、10.06.13、10.06.26改訂)

 

 

ユロフスキ指揮ボローニャ歌劇場管弦楽団盤(「モイーズとファラオン」)

これもHouseOfOpera盤(DVDCC928)です。こちらで紹介されているCDの映像付きになりますが、状態はかなり悪いです。音声は右chしか出ません。ほぼ周期的に同期不良のような画質と音質の乱れが入ります。カメラが高い位置で殆ど動きません。時々アップに切り替わったりはしているので、カメラは2台以上だったかもしれませんが、素人に毛の生えた程度のカメラワークです。

目をつぶれるような画質音質のレベルではないのですが、それを敢えて目をつぶったつもりになったとして、ワークマンもノルベリ=シュルツも、そう悪くは無いのでしょうが、それぞれブレイク、デヴィーアの方がさらに上回るような気がします。但し、本当は歌手の出来を云々できる録音レベルではありません。

舞台の周りに水の張った回廊が回っているのですが、オケピットの住人は大事な楽器に水が掛からないか、冷や冷やしていたのではないでしょうか。かなり特殊な舞台装置です。私にはアッカルド盤「エジプトのモゼ」の何の変哲も無い舞台の方が安心して見ていられます。

「モイーズとファラオン」についてはムーティ指揮の正規盤発売を待ちましょう。(2005.11.13)

 

 

ムーティ指揮ミラノ・スカラ座盤(「モイーズとファラオン」)

さて、その正規盤です。いずれ日本盤も出るという情報もいただいていましたが、TDKの場合随分待たせることも多いようなので、既に出ている輸入盤にしました。amazonではリージョンコード1(日本向けプレーヤーでは再生不能)としてありますが、パッケージでもTDKのサイトでもリージョンコード0(全世界向け)となっており、もちろん日本向けプレーヤーで再生できました。スカラ座で2003年の収録で、録音は非常に良いです。英語字幕の読みやすさも普通の水準と思います。1997年ペーザロでのユロフスキ盤では取り上げられていた「カンティク」は付いていない形で幕切れする版によっています。

演出がロンコーニ、この人の演出では最低(スカラ座の「ウィリアム・テル」)から最高(カリアリ劇場のシューベルト「アルフォンソとエストレッラ」までありますが、残念ながらこれはかなり最低に近い方でした。「ウィリアム・テル」でも出てきた階段教室みたいな作りがここでも出てきていてゲンナリしますが、紅海の場面で、ちゃんと割れた海面が続いてエジプト人を飲み込むところで、ようやく減点を挽回している感じです。バレエ部分は、音楽はつまらないし、舞台の上も踊りというより妙な黙劇のようで身体の美しさも感じられないし、で、今まで見た「オペラの中のバレエ」中でも最低です。

全体に音楽が「エジプトのモゼ」に比べると弛緩しているのに加えて、冒頭から出てくるモイーズもアナイー(フリットリ)もやや魅力に欠けるか、と思ったのですが、続いて出てくるアメノーフィス(エジプト王子)、ファラオン(エジプト王)はさらに良くないのでした。同じメンバーで「エジプトのモゼ」をやったとしても、サンカルロ盤には遠く及ばないと思います。

フリットリの可憐さと貫禄を併せ持った容姿は素晴らしいのですが、ロッシーニ向きのソプラノではない気がします。エルチアとは違って超高音のない仏語版のアナイーですからちゃんと歌ってはいますが、デヴィーアと比べてしまうと・・。アメノーフィス役も健闘でしょうが、「ブレイクぶし」全開で歌いまくったブレイクには遠く及びません。モイーズ役もスカンジウッティと比べると聞き劣りがしますし、ファラオン役に至ってはペルトゥージと比べるまでもない程の低水準です。シナイーデ(王妃)役はアマルテア役と大分違うので直接比較しにくいですが、これを歌ったガナッシはまずまずでしょう。

どうも仏語より本当は伊語で歌う方が得意な歌手が多かったような気もします。勿論仏語も伊語も解さないものの無責任な感想です。

お勧めかというと・・・「エジプトのモゼ」がこの程度の作品と思われたくはない、という思いから、私としてはお勧め出来ません。(2006.06.10)

 

 

シモーネ指揮ロンドンシンフォニエッタ

劇場の記録用なのか客席隠し撮りなのか、という映像です。普通に見ることの出来る映像でもないのに、なぜ今これを取り上げるかと言いますと・・・
まず、この作品のブレゲンツでの公演を見つけて、そこそこ気に入りました(DVDででているこれと全く同じか、日違いの公演か、だと思います)。で、この作品の在庫を漁ってみて、覚えのないのを適当に見てみたら、声がブレイクとガスディアのような気がする、と思ったので、改めて最初から見て、ブレゲンツの以上に気に入った、のでした。
モゼは私には記憶に無い人ですが、かなりの豪華メンバーです。実際にオジリデとエルチアはブレイクとガスディアで、特徴の特に強いブレイクはともかく、ガスディアは声だけでよく分かったものだと自賛してます。手に入れた時には画質音質が残念すぎるのでお蔵入りになっていたようですが、見直してみるとテンポが速く元気く、これはこれで面白いです。モゼもアライモのエジプト王もいいですが、デッシのアマルテアはスカルキ以上だと思いました。暗くてぼけてて舞台の様子はよく分かりませんが、演出は無難なものだったようです。

Mose in Egitto
Mose: Boris Martinovic
Faraone: Simone Alaimo
Amaltea: Daniela Dessi
Osiride: Rockwel Blake
Elcia: Cecilia Gasdia
Mambre: Oslavio di Credico
Aronne: Giuseppe Fallisi
Amenofi: Luciana rezzadore
The London Sinfonietta
Coro filarmonico di Praga
Direttore: Claudio Scimone
M°del coro: Lubomir Matl
registrazione VIDEO in House del 9 settembre 1983

 

 

マッツォーラ指揮ウィーン交響楽団(2017ブレゲンツ音楽祭)

で、上記”DVDででているこれと全く同じか、日違いの公演か”です。演出から話を始めるんでしょうね・・
舞台の上にAD(アシスタントディレクター)みたいな人が計4人だったかな、全部とは言いませんが、かなりの時間にわたり「出演」しています。サンカルロの映像を見てすぐに、「このオペラは四旬節(キリスト磔刑の季節)向けに作られた聖書を題材に求めたオペラだが、服喪の念とは正反対の一大痛快スペクタクル劇である」と見破った私には、シリアス過ぎない演出であることは全然構わないという立場ですが、それでも、この演出は成功しているようには思えません。
ロッシーニは、出エジプト記という元々痛快な話を素直にオペラにしたのだろうと私は思うのです。それが、この演出だと「聖書の話なら構わないというルールを逆手にとって無理矢理に痛快スペクタクル劇を仕立て上げたことにしようとしている」ような不自然さを感じます。第1幕冒頭の、再び姿を見せた太陽と神に感謝する場面でも、「ADさん達」がいろいろポーズを作っているのに目が行ってしまいますが、そういう面白さを楽しむ場面ではないような気がするのです。あれやこれやで「祈り」の合唱は騒がしい感じで、特に気に入りません。
録音は、機械的応援の気配が気になりますが、特に低い声に得になっている気がします。ファラオーネもモゼも迫力十分です。オジリデもかなり良い声で演技も頑張っていますが、なればこそ一層ブレイクの凄さがよく分かってしまいました。対して、女声の方は見劣りします。駄々っ子を甘やかすお姉さん風のエルチアは、もっと美声が欲しいところ、アマルテアは更に落ちます。

Faraone - Andrew Foster-Williams
Amaltea - Mandy Fredrich
Osiride - Sunnyboy Dladla
Elcia - Clarissa Costanzo
Mambre -Taylan Reinhard
Mosè - Goran Juric
Aronne - Matteo Macchioni
Amenofi - Dara Savinova

Prague Philharmonic Chorus
(chorus master: Lukas Vasilek)
Vienna Symphony Orchestra
Enrique Mazzola, conductor

 

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