碧南市天王町7-26 
浜寺町 津島社 由緒
 昭和の初め頃までは、当社のすぐ西には、衣ヶ浦の浦波寄せる白砂の浜がつづき、
字浜家と呼んだ町内には漁家が多く幾艘もの打瀬船が舳を連ねていた。
 古老の云うところによれば、その昔日の或る朝のこと、当地の鈴木某なる漁師が浜に
流れ寄せる津島神社の神札を見つけた。もったいないからと幾度沖に押し返しても
戻ってくるのに神慮を感じて、浜辺にささやかな祠を建てておまつりした。
 それより豊漁をみることが多く、神徳の致すところと、
町内の漁家が講を結んで年毎の祭礼を営みお守りするようになったという。
 昭和の大戦後、漁家の減少にともなってその祭祀を町内に引継ぎ現在に至っている。



 碧南市浜寺町2-67 
大浜稲荷社(おおはまいなりしゃ)
祭神:保食神(うけもちのかみ)大国主命(おおくにぬしのみこと)

徳川家康の曽祖父にあたる松平信忠三河碧海郡大浜村築山に隠居したのち、
永正6年(1509年)8月15日に稲荷社を創建したとされる
旧社格は村社。
寛永9年(1632年)に本殿が造営された。


家康伊賀越え上陸地『大浜稲荷社』
↓のように書かれていました。
 
 
 
 
大浜中区祭礼

10月第2日曜日には「大浜中区祭礼」が開催され、中之切車と浦島車という2台の山車が
登場する。2019年(令和元年)からは「大浜てらまちウォーキング」と同一期間中に
開催されている。

天明8年(1788年)、亀崎潮干祭で知られる尾張国亀崎から、田中組神楽車の古車を
購入したとされる。中之切車には唐獅子や剣龍などの彫刻が施されており、
からくり人形の乱杭渡りも行われる。乱杭渡りを行うからくり人形は全国的に見て
珍しいとされ、大浜中区祭礼の山車と犬山祭の山車の2組のみとされ
浦島車には浦島人形と乙姫人形が積まれ、浦島太郎伝説のからくりなどが行われる




 碧南市築山町1-21 
三河新四国第七十九番札所・・・清浄院、 第八十番札所・・・南松殿
 
清浄院(しょうじょういん)
前田利家公先祖と伝えられる墓、徳川家康公七ヶ寺朱印地のひとつです。
本山は知恩院。御本尊阿弥陀如来像には、腹内仏として阿弥陀如来立像が
おさめられています。
金毘羅さんが奉られており、港町(海の安全、豊漁)を見守っています
 
 
 
金毘羅堂 
 



  碧南市築山町1-53 
本傳寺(ほんでんじ)
1488年に創建され、1712年現在の地に移転、再建されました。
古い本堂前の樹齢300年以上と言われる大きな
「銀杏(イチョウ)」の木があり、パワースポットとなっています。
晩秋の境内は黄色の絨毯張りで見事な風景となります。
大浜港奥に位置し往事の港の繁栄を思わせる古寺で、
山門の彫刻は、見ごたえがあります。



碧南市築山町3-30  
12番_観音堂の別堂
ご供養されたちいさな童(わらべ)の人形が、ぎっしりと置かれていました~。



碧南市築山町3-58 
三河新四国第七十五番札所・融通山観音寺
 
観音寺(かんのんじ)
大竹きよ尼開創。通称大竹観音、十ヶ寺の中で最も新しいお寺です。
初代大竹常三郎が日露戦争に出征した折、守り本尊として、代々家に伝わる、
小豆観音を肌身に付け、激戦に九死に一生を得て生還出来、
その後も、たびたび不思議な御加護があった為、尊い御仏を私物化せず
多くの人々に広めようと宗教法人としての許可を得たのが始まりとなります。
地元では易占いで評判のお寺です。

宗祖弘法大師をはじめ本尊聖観世音菩薩、如意融通尊をお祀りしています。
別堂として水子観音堂があります。(の11番のお堂です)
信貴山真言宗の寺で身の丈3センチの木彫り立像(※小豆観音)が安置されています。
※小豆観音
観音寺住職が日露戦争に出征する時、守り本尊として大竹家に代々
伝わっている身の丈一寸の小豆観音を肌身離さず持参。
数々の激戦の中、九死に一生を得て無事生還したそうです。
そののちにも、なんども不思議なご加護があり、
尊い御仏をご本尊としたそうです。
 
三河新四国第七十六番札所…大師堂