自作YECBBSの運用開始と発展
1987年に、タスコTNC-20のMailboxのコールサインをJR2YECとしたことよりBBS運用が始まりました。その秋にはジャンクとなりかけたFM-8を使用してF-BASIC によるBBSソフトを開発し運用をはじめました。JR2TDE作Ver.1は、バブルカセットなるものを利用し、フロッピー(2Dで320KB)ドライブ2台による運用でした。当時、431.08MHz ではF3との混信もあり、よく途絶えたりバグったりしていました。そのおかげでソフトは鍛えられ、ビーコンにはCWのIDを入れたり、ハングアップのエラー処理などの工夫は、絶え間なくなされました。この頃JARLでパケット通 信のバンドプランの発表がありました。
1988年には、TNC:KPC4による2ポート化とし、NET/ROMとリンクしました。しかしFM-8のRS232Cのバッファの弱さに閉口し、1989年よりPC98にホストコンピュータを変更、JR2ODZがソフトをN88BASICに移植しVer.3となりました。書き込みも多くなるとフロッピーでは追いつかず、ハードディスク対応とし、常に50000バイトフリーエリアをあける自動メインテナンス機能も付けました。ハードは、PC98F2や20MHDをローカルから借用しBBSの運用は順調にいきました。
1990年ごろから、各局がTCP/IPにチャレンジしはじめました。PRUGからソフトは送ってもらったものの、近くにネットがなくFTPだけでは役にたたず、しばらく置いてありました。その後、常滑のJA2YYQ各局が精力的に運用を始められ、その波がこちらにも押し寄せてきました。そこでTCP/IP運用局の増加にともない、ローカル各局とのメール交換がスムーズに行くようにJR2TDEがYECBBSのソフトを見直しVer.5としました。
1993年にはVer6.0となり、RLIからTCP/IPまでメールのやり取りは自由に可能となりました。その後も改良を続けており、たまにハングアップもしますが、毎日24時間運用しています。1995年5月現在、YECBBS(JR2YEC)延べアクセス局は、546局。YECFWD(JR2YEC-3)延べアクセス局は、116ユーザーとなりました。もちろん1回だけの、ひやかしアクセスも含めてですが。
1996年、JR2YEC常置場所であるJR2TDE宅離れの解体に伴い、YECBBSを見直しました。CPU3台の運用から2台の運用にシェイプアップしました。この際に自作ソフトのYECBBSは止めることとなりました。
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