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西暦1502(文亀2)年に開かれたという。 西暦1634年に現在地に移転。 住職は唯法寺第11世 順海 竹藪のあったところに道を開いて寺を建立したという。 「順海町」は、この住職の名にちなんでつけられたもの。当時の民衆との深い結びつきが伺われる。 このとき建てられた本堂は彼の晩年焼失し、その子 善海のとき再建。
西暦1700年前半から、(第16世)演順・(第17世)諦順・(第18世)順寥の3代かけて本堂を建て替え、境内も整備される。宗祖御絵伝等もこのころうけ、内陣の荘厳もりっぱになり、寺はほぼ現在の姿に整えられた。
第23世観順(西暦1910年 86才還浄)私塾 破塵館を寺内に開く。北は北海道や秋田新潟、南は九州から、約3年間に480名の僧が学んだ。 晩年にいたって、本山内での政争が学派の争いにまでなり、「信順請求」の論争のすえ、教団を追われる事になる。(後に観順の主張した信順義が正義と認められて講師の号を贈られる。)此の事件後、門徒の人々と、信心についてよく語り合うことに力を尽くした。その語録が残されているが、門徒の人々の真宗教義への理解の深さを伺うことが出来る。事件をきっかけに、かえって深く人々と深く信心について語り合えたことをよろこんだ。
昭和になって、200年ぶりに、本堂屋根瓦葺き替え工事。
1983〜
聞法の道場として活動再開。
1985年9月23日(満堂の参加者、280余名)
落慶記念講演「いのちをみつめて」高史明氏
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唯法寺
愛知県西尾市順海町12
住職/占部