起源と発展
大提灯まつりの起源は、今から約480年前。初秋になる毎夜海魔が現れ、人畜農作物を荒らしていました。そこで村人たちは諏訪神社のご神前に真鎮剣(ましずめのつるぎ)を奉り、大篝火を焚いて悪魔退散を祈ったところ、被害がなくなったと言われています。
100年ほど神事として篝火を焚くことが続き、寛文年間(1661~1672)に提灯を献燈する祭りになっていったようです。そして天下泰平の世となった江戸時代中期には、経済的な余裕も生まれ、提灯の上部に覆いが付けられたりと華美になっていき、どんどん大きくなった結果が今の姿となりました。
提灯が大きくなる過程で、柱が2本から3本になり、提灯の骨の材質が竹から檜に変わりました。しかし現在も諏訪組の提灯は竹の骨でできています。
大提灯は長い間に張替など、幾度となく手を入れられて現在に伝わっています。一番最近では平成6年~13年にかけて約130年ぶりに全ての提灯を修復しました。それ以降、毎年1本のペースで全組の大柱を新調しています。
提灯の組 上組・中組・大宝組・宮前組・諏訪組・間浜組
諏訪神社の大提灯は上記6組の氏子の皆さんによって献燈されています。昔は地域的な集団だったようですが、今は新屋が出来て住まいの場所も変わり、地域的な縛りはありませんが、なんとなくこの町内にはこの組が多いなどという傾向は今でもあります。お祭りの日には6組12張の大提灯が境内に掲げられます。一番大きい間浜組の提灯は長さ10m、直径5.6mにも及びます。普段はだだっ広い境内ですが、お祭りの日はとてもせまく感じられます。
各組の提灯にはそれぞれ神話や歴史の一コマが描かれ、とても色鮮やかです。それぞれの提灯の図柄の解説や、お祭りの謂れなどは授与所にて頒布しております「参拝のしおり」に詳しく書かれていますので、ご一読ください。
昭和44年10月29日、6組の提灯、並びに柱組一式は愛知県の民俗資料(有形民俗)文化財に指定されました。