吉田忠左衛門夫妻の墓
 

吉田忠左衛門兼亮は、元禄15年(1702)吉良邸討ち入りの時、北門の大将補佐役をつとめた
赤穂四十七士の一人である。その妻りんは、宝永7年(1710)刈谷に移った。夫亡きあと身を寄せていた娘婿の
主君が、刈谷に転封されたためである。りんは当寺で化導を受け、後生を夫の冥福を祈ることに捧げたが、
半年後に病没した。生別の折、形見にもらった夫の生歯と共に、宝永7年(1710)11月2日にここに合葬された。


近くに立っているものです。

吉田忠左衛門夫妻の墓です。

入り口です。

少しはなれたところです。


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