2005-03 FrontPage
≪ひたちでんてつ≫
八月二十五日 木曜日 天氣(雨 はれ くもり)
きょうはばすにのって(おりてから)きしゃのき
っぷをかってきしゃにのってひたち
でんてつにのってくじはまにいき
ました。それはくじはまのしん
るいのおじさんが、しんでしまったので
おはかまいりにいったのです。かへ
りのでんてつは4だいでした。
一だいのでんてつはとまっていてあと
からきたでんてつがとまっている
でんてつにしょうとつしてつながって
しまいました。あとからきたでん
てつがかもつれっしゃのにもつをつむ
やつみたいのを二だいつないでい
たので4だいになったのです。
おわり
(昭和30年夏)
∞∞∞∞
子供のころ、久慈浜(茨城県日立市)の親戚に行く度に「ひたちでんてつ」に乗った。
その日立電鉄がこの3月限りで廃止になるという。
(廃線のお知らせ)
残念だが時代の流れというものなのだろう。
最近、日立電鉄の歴史を語る写真集が出版されたと聞いて、早速手に入れた。
そしてあるページを開いて驚いた。
「日立電鉄の75年」 白土貞夫 (ネコ・パブリッシング 2004)
モノクロ写真なのでこの車体の配色は分らない。
しかし、前後がスラントした特異なデザインから、この車両は「三角電車」と呼ばれていたらしい。
その他、ビューゲル(集電器)の形、裾の中央が上がっていてボギーの台車が見えている、等々、
これはまさに上の絵日記の姿そのものではないか!
写真の解説によると、モハ15、1957.8.25 大甕(おおみか:常磐線連絡駅)だそうだ。
この車両は昭和10年(1935)製造、相模鉄道から昭和23年(1948)に譲受した4両のうちの1台。
10年前の平成7年(1995)まで働いていたという。
上の絵日記はちょうど50年前の昭和30年(1955)の作品なので、
恐らくこの写真の2年前、同月同日同型車両の姿を描いたものに違いないであろう。
懐かしさがひとしお、である。
∞∞∞∞
<もう一枚の絵日記>
2005.3.1-25