<もう一枚の絵日記>
−翌年の日立電鉄−
七月二十八日(土曜日) 天気(はれ) 温度( )
きょうは、おとうさんとのみ
ちとにいちゃんとぼくで汽車に
のってくじはまにいきました。
はじめは水ひんでんしゃにのっ
て水戸に行ってきしゃにのって
からおおみかにいってそこから
日立電鉄にのってくじはままで
いったのでした。しんせきのう
ちのとなりに山があるのでのぼ
ってみるとうみや田舎が一目で
みえます。日立電鉄がはしって
いるのもみえます。えきはしんせ
きのうちのちかくなのでせんろ
をつたわってえきへいけます。
かえりにおばさんがおこずかい
に百円さつをくれました。ぼくは
おばさんに「どうもありがとう」と
言いました。そしてかえりました。
(昭和31年夏)
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どこの子の絵日記だろうか?(汗)、
1年も経つと漢字が増えたりして、ずいぶんと成長するものだ。
さて、上の絵は親戚の家の隣にある山の頂上から眺めた風景だ。
山といっても20mくらいの小山だが、
木が生い茂り、頂上には小さなお宮があって、眼下向うには日立電鉄線が走っていた。
(この小山、今は平地化されて児童公園になっている)
この絵に小さく描き込まれている電車は、1年前の絵日記と同じ「黄と青」の配色で、
形もやはり前後スラントの同型車のように見える。
昭和31年頃といえば、世間にはカラー写真記録はあまり多くはなかったろうが、
当時の日立電鉄のコーポレートカラーはきっとこの絵のような、黄と青のツートンカラーだったのだろう。
この日おばさんにもらった百円で、次の日に「まんが王」(漫画王=子供向け月刊誌)を購入した。
(日本銀行ホームページの百円札。あの日の“百円さつ”はたしか「百圓」札の方だったはず)。
因みに、「三角電車」と呼ばれた前後面スラントのモハ13型車両(No.13〜16の4両)は、
昭和40年頃ワンマン化に伴い、前後を垂直平面に改造された。
配色も「黄と橙」に塗り替えられて、平成9年まで元気に走り続けたという。
その元気な姿が件の写真集の表紙を飾っているのだが、
往年の「三角電車」時代の面影は、すでに全くない。
2005.3.5-3.16