文化財級 交響曲
作曲家 グスタフ・マーラー
曲名 交響曲全集
指揮 ロリン・マゼール
演奏 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
MSp.ジェシー・ノーマン ほか
録音 1980年代から90年初頭
プロデューサー Stiven Epstein
エンジニア  
評価項目 評価内容
ホールトーン
ステージレイアウト
リアリティ
クオリティ
ダイナミックス
平均点 7.8
商品番号:0878742000 ソニー
解説
マルチマイクでのデジタル録音の初期において、エンジニアがいかに自然で作為のないオーケストラ音像を創り上げるかということに苦心していたかを窺い知ることのできる、記録的遺産として価値のあるアルバムである。結果的に仕上がったものは不自然でアンバランスな、オーディオソースとしては今後も顧みられることのない内容と成ってしまっているが、こうした失敗例があってこそ、録音芸術の歴史がつながっていくのである。
このアルバムは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にとって、現在まで唯一のマーラー全集ということで、話題性もあり文化的にも価値のあるものといえる。1980年代初頭から、およそ10年をかけてスタジオセッションに拠って制作された。ライヴ録音を寄せ集めた全集ではなく、レーベルも指揮者も、そしてオーケストラも、20世紀の世紀末に取組んだ歴史的プロジェクトであったのである。残念だったのは、それが、録音面で評価の高くないソニーレーベルでのプロジェクトであったということだ。しかし、この全集をあらためて一枚一枚丹念に聴きこんでみると、優秀録音とは程遠い位置にあることを前提に、なかなか魅力のある内容だということが判った。
録音はムジーク・フェラインザールで行なわれていて、スタジオセッションであるため、よく伸びるホールトーンを捉えることに成功している。会場のクリアな空気感が、オーケストラの豊かなサウンドを広々と展開させている。そうした空気感を助けにして、ステージレイアウトはあるがままの自然な配置を示している。各楽器の実存感も程よく伝わり、何かを強調するようなところは感じない。
ただ、この録音には眼前に迫り来るような生々しい迫力や赤裸々なリアリティは無い。平均的でそこそこの仕上がりであることが最大の弱点なのである。
例えば、曲の進行に合わせて、エンジニアが様々な細工をしていることが判る。本来、こうした細工はリスナーにわからないように施さなくてはならないが、手に取るようにわかる。それが、当時のエンジニアの試行錯誤の表れなのである。デジタルフォーマットのスペックに任せておけば、ある意味エンジニアは何もしなくても良い。それを小節単位でいろいろと手を尽くしているのである。それが裏目に出てしまった。まことに残念だといえる。
およそ10年というセッションの経過は、デジタル技術の進歩と相まって、後半になるほど鮮明になる。しかし、基本的なコンセプトは変わっておらず、良くも悪くもトータルバランスがとられている。
このアルバムは、演奏面での突出した存在感は誰も否定しないだろう。マゼールの、マゼールらしい天才振りが、マーラーの特異な世界と見事に共鳴している。美しくグロテスクな世界観を、ウィーン・フィルが最上級のサウンドで表現して見せている。それは、ライヴによる熱気を信奉するリスナーに対し、じっくり演奏を創りこむセッションの優位性を見せ付けるものにもなっている。録音の多少の弱さは、このアルバムの存在感にはほとんど影響していない。
それでも、失敗例として葬るには気の毒な、当時のエンジニアの苦心を少しでも顧みる機会があってもいいのではないだろうか。
文化財級