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2003年8月19日 「雨のお盆に診察室のぷちリフォーム作戦」
世界的な規模の異常気象のため、ヨーロッパでは猛暑、日本では冷夏となったお盆休み。お盆の休診中はほとんど雨降りでしたね。わたしは前回の日誌で予告したように、この休みを利用して原稿書きに追われていたので、行楽の予定もなく涼しくてこれ幸いといった感じでした。
ずっとパソコンにむかって文章を書いているのも煮詰まってしまうので、休診期間を利用したリフォームを計画しました。といっても、そんなに大げさなものではなくて、診察室の西側壁面に一部ペンキがはげているところがあり、以前から気になっていたのを簡単になおしたいとういうだけのこと。ペンキを塗るのは大変なので、ホームセンターでのり付きの壁紙を買ってきて、隠したいところの大きさに切って貼ろうという作戦です。
その壁はもともと診察室用の掛け時計がかけてあるところなので、リフォームにあわせて時計も変えちゃいました。6月2日付けの日誌に書いたように、待合室の時計はヤコブセンがデザインしたものに変えているので、診察室にも美しい時計が欲しいところです。そこで選んだものは、歴史に名高いドイツのデザイン学校である、バウハウス bauhaus 出身の「マックス・ビル Max Bill」というデザイナーが1957年にデザインした時計。(最近、これまでの日誌を読んだという未知のかたからメールをいただき、「椅子や時計の話ばかりである」というご指摘をいただきました。わたしが椅子や時計のオタクであるという誤解は受けたくないので、もう時計の話や写真をここにアップしたくないのですが、生憎と「日誌」のネタが少ないものでしてつい・・・)
この時計が映えるように、汚れかくしに貼る壁紙は明るい木目調としました。ペンキがはげた部分の長さをはかって、その大きさに壁紙を切りまして、シールのようにぺたりと貼り付けるだけでOK。意外ときれいにリフォーム完了!あちこちに汚れが目立つ当院ですので、今回のようなぷちリフォームしたい場所はいっぱいあるのです。ちょっとクセになりそう。

<時計のうしろの木目調にみえるところが、今回のぷちリフォーム部分です>
一度乗ってみたかった地下鉄大江戸線で「本郷三丁目」へ! というのも、先週末は「夏本番」という感じの猛暑のなかを、ある座談会に出席するために東京へ出張してきました。座談会が開催された場所は、東京大学にほど近い本郷三丁目にある医学書院の本社ビルです。医学書院は医学・看護学専門の書籍や雑誌を作っている出版社で、わたしの著書もここから出していただきました。今回は糖尿病に関する実地診療の教育雑誌「糖尿病診療マスター」の編集委員である吉岡成人先生(北海道大学医学部第2内科)から、この雑誌に掲載予定の座談会に出席して、糖尿病専門医ではない一般内科医の立場で発言せよとの召集がかかり、雑誌の発行元である医学書院まで出かけたわけです。
医学書院は、わたしにとって大変恩義のある会社ですが、これまで訪問するチャンスがありませんでした。お初におじゃました医学書院の社屋に、「わたしの本をたくさん売ってくださって、ありがとう」と感謝の黙礼を送りつつ、座談会の会場である会議室へと向かいました。今回声をかけてくださった吉岡成人先生は、わたしのレジデント(医学部を卒業後に、病院に住みこんで丁稚のように修行する研修医のこと)時代の先輩かつ指導医であり、「糖尿病診療のお師匠さん」です。座談会に召集された他のメンバーも、現在の所属はちがっていても、かつて聖路加病院在職中にお世話になった親しい先生たちばかりなので、リラックスして参加することができました。雑誌に記事として掲載される座談会ですので、発言者以外にも担当編集者やプロの速記者、カメラマンなどのスタッフも同席されています。
座談会は「上手なコンサルテーション」というテーマで進行しました。「コンサルテーション」とは、自分の専門外の問題が患者さんに発生して困っている医者が、それを専門とするスペシャリストに相談することで、例えば「糖尿病による目の病変があるかどうか、内科医から眼科医へコンサルテーションする」というように使います。わたしは、一般内科の開業医のところを受診した糖尿病患者さんを、大きな病院の糖尿病専門医にコンサルテーションする際の問題点などについて、宮崎医院で経験したケースをもとに発言しました。座談会の出席者は、(わたしを除けば)一流の臨床家ばかりなので、その発言を傾聴しているだけで、明日の診療からすぐに役立つような新鮮な知識を得ることができます。優秀な先輩たちから、大きな刺激を与えられて、汗(冷や汗?)をふきふき灼熱のお江戸から名古屋への帰途につきました。
この座談会の模様は11月発行の「糖尿病診療マスター」6号に掲載されるそうですが、わたしには編集委員の吉岡先生からもうひとつの宿題が出されているのです。それは同じ号に座談会とは別に、「糖尿病患者を診療していて、どのようなときに一般内科医は困るのか?」というテーマで、約4000字(原稿用紙なら10枚!)の原稿を、8月末の締め切りまでに書かきなさいというもので、未熟な後輩への教育的な配慮にあふれた先輩からの指令でしょうか。今週のニュースで2002年の糖尿病実態調査の速報値が発表されていましたが、糖尿病が「強く疑われる人」は約740万人、予備軍に当たる「可能性が否定できない人」を含めると、成人の6.3人に1人に当たる約1620万人に上るそうです。当院でも糖尿病患者さんが最近増えきたなあと感じるのは、こういう事情もあるわけだ。この座談会出席や原稿執筆の機会を生かして、最新の糖尿病診療について勉強し直すことは、宮崎医院の糖尿病診療の質の向上にもつながるというもの。きっと13日からのお盆休みも、この雑誌のための原稿書きでつぶれてしまうのでしょうね、シクシク(←うれし泣き?)。

<この雑誌の6号(11月発行)に今回の座談会と拙稿が掲載されます。「糖尿病診療マスター」への道はけわしい>
2003年7月25日 「院長稼業1周年、みなさまのおかげです」
7月20日をもちまして、わたしが宮崎医院の第3代院長の職について満1年が経過しました。かかりつけの患者さん、地域のみなさま、地元医師会の先生がたなどのご支援により、大きな支障もなく、祖父や父の築いた医院の運営をつづけることができ、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。
1年前の7月19日に前院長である父が急逝し、大学病院の勤務医から急転直下に開業医としての生活がスタートしたわけですが、昨年の今頃は医院の開設者変更手続きをはじめとする、煩雑な届け出の書類づくりに右往左往していたことをなつかしく思い出します。医業継承のための事務的な手続きが終了してからは、過去60年間にわたり外科系の診療所として機能していた宮崎医院を、内科系の診療が円滑に行えるように、ソフト面とハード面の両方から変革していくことに着手しました。この変革のプロジェクトは1年が経過した現在も進行中であり、内科専門医として恥ずかしくない水準のオフィスに成長させる予定です。
大学病院の勤務医を「大企業のサラリーマン」だとすると、診療所の院長は「零細企業の社長」のようなものです。お給料やボーナスをもらう立場から、支給する立場に変わるわけですから、これまでまったくなじみのなかった帳簿、税金、雇用・労務管理など、「経営者」として必要な知識を勉強しなければなりません。個人事業主ということでは、診療所の院長も商店のご主人も全く変わりがないわけですね。
「一般に医院は企業ではなく家業です。この意味は家業は続けていくことが最も大切なことで、それに対して、企業では儲けることが最も大切です。ですから医院と企業では経営的なニュアンスに違いがあります。」
この文章は埼玉県の開業医である緒方龍先生が書かれた「医院経営学入門」という好著から引用したものですが、ここで述べられている「医院の存続こそが経営の最大の目標」という考え方にふれて、眼からウロコが落ちる思いがしました。まさに家業である宮崎医院を存続させるために、2年目になっても、新米院長の悩み深き日々はつづきます。

<初代院長 宮崎洪 (自作の頭像): いつも宮崎医院の行く末を見つめている・・・>
2003年7月5日 「おすすめします!水曜午前にゆったり診察」
ニュースのコーナーなどで何度もアナウンスしてきましたが、今週から水曜日午前中の診療をはじめました。これまでは、藤田保健衛生大学病院を退職してからも、毎週水曜日に非常勤(ボランティア!)医師として、大学病院の血液内科外来で診療を続けてきたのですが、やっと後任の医師が決まったために、わたしは宮崎医院の仕事に専念できるようになったわけです。
さて初日の7月2日ですが、さすがに来院された患者さんの数は少なくて、じつにゆったりとお話を聴き、じっくりと診察することができました。初診の患者さんに30分以上の時間をかけて面接できるなんてアメリカの病院みたいです。本当はいつでも、これだけのゆとりを持って診療できれば、患者さんの満足度も向上するし、医療スタッフのストレスも軽減されるのですが、日本の貧しい医療体制ではなかなかそうはいきません。
待ち時間がほとんどゼロで、ゆっくり訴えを聴いて欲しい、しっかりと診察してほしいというかたは、絶対に水曜日の午前中がおすすめです。もっとも、そんな贅沢な状況が、いつまで続くかわかりませんが・・・

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