西尾市茶業組合 EXPO
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概要
  生産高

 西尾茶の生産面からみた昭和期の特徴は、まず碾茶の生産が急増したことである。
反面、同じ覆下園で生産する玉露茶は明治40年代から伸び続けて来たが、この期に至って中頃からわずかに減少の傾向を示した。
次は、昭和3年4月の遅霜で茶葉が霜害による大被害を受けたことである。
ことに玉露茶は例年の約1割の生産にとどまり、煎茶も約5割の減収となった。
碾茶は、前半は2500貫(9375キログラム)前後でほぼ安定した生産であったが、8年には4500貫(1万6875キログラム)、9年には8500貫(3万1875キログラム)と急増し、13年には8826貫(3万3097・5キログラム)に達した。
これは、県全体の生産量との比でみると最低は7年の約62パーセント、最高は2年の約87パーセントである。
 玉露茶も碾茶同様、昭和3年を除けば県全体の生産量に対し8・90パーセントが市内で生産されている。
しかし、前述のとおり玉露茶は伸び悩みを見せているとこから、上等茶の需要が減少したことが考えられ、当時の社会状勢の不安な面をうかがわせている。
この点、碾茶を加工した抹茶は、一般に工業用といわれる菓子などの材料ともなるため、濃茶や薄茶として用いられる上等茶以外の碾茶の需要は伸びても不思議でない。
 煎茶の生産は、7年に1万貫(37・5トン)台にのせ、以降順調な増産で13年には2万貫に迫った。
また、番茶は煎茶と同様7年には1万貫台にのせたが10年から減少した。
番茶の減産は、労働力の不足や茶樹保護の面から二番茶以降の生産を減少させたことによるのではなかろうか。

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